23.若き領主フリューゲル……⑥
エルケ領主館の迎賓館は『シュヴァルベ』の船長室が3つは入りそうな広さだった。
天井には控えめな照明。
窓の外には、夜の森と湖が、月明かりに青く沈んでいる。
汚れた白いスーツは、侍女たちによって早々にクリーニングへ持ち去られていた。代わりに用意されたのは、厚手の生地のナイトガウンだった。
ガウンを運んできたのは、昼間の年若い侍女達だった。
2人はミューラーの分を手渡すと、もう1着を抱えて、ナターシャの前で足を止めた。
そこで、侍女達の動きが止まった。
淡い紫の長い髪。白磁のような肌。伏せた睫毛の一本一本まで、作り物とは思えない。秘書姿のまま背筋を伸ばして立つその姿は、領主館の侍女たちが毎日見慣れているはずの貴婦人たちと比べても、まるで遜色がなかった。
「あの……こちらの方は……?」
「アンドロイドだ。うちの船の管制AGIの端末だよ」
ミューラーが言うと、侍女達は顔を見合わせた。
2人とも信じられないという顔つきをしており、1人が恐る恐るナターシャの手に触れた瞬間、その温もりに小さく息を呑んだ。
「……温かい」
『体温調整機能は標準装備です』
「お召し替えは……必要、でございましょうか?」
『是……汚れておりますので、お借りできるのであれば貸与願います』
侍女達は、もう一度顔を見合わせた。アンドロイドに着替えが要るのかどうか。一瞬だけ迷った顔をしたが、結局「お客様ですので」と押し切った。
『ありがとうございます』
ナターシャはガウンを受け取ると、その場で、何の躊躇もなく秘書服のジャケットのボタンに指をかけた。
「おやめくださいまし!」
「はしたのうございます!」
侍女達の悲鳴のような声が、同時に上がった。
2人は飛びつくようにしてナターシャの両腕を押さえ、ジャケットの前を掻き合わせた。
『問……何か問題がありますか?』
「問題しかございません! 殿方の御前でございますよ!」
『私はアンドロイドですので、羞恥の対象には該当しません』
「そういう問題ではございません!」
侍女達は、ナターシャの肩を抱くようにして、衝立の陰へと連れていった。
ミューラーは、ソファーの上で固まっていた。止める暇もなかった。いや、止める以前に、どこを見ればいいのか分からず、気づけば天井の照明を睨みつけていた。
衝立の陰へ連れていかれる途中で、侍女達がちらりとミューラーを振り返った。
あれほど精巧で美しい女性の姿をしたアンドロイドを、この男が連れ歩いている。人前で平然と服を脱ごうとするほど、それが当たり前になっている。
侍女達の目に、言葉にならない何かが浮かんでいた。
――違うぞ! そういうんじゃねぇからな!
ミューラーは、誰にともなく心の中で弁解した。
衝立の向こうから、ナターシャの淡々とした声が聞こえてきた。
『告……船長の心拍数が、平常時より28パーセント上昇しています』
「報告しなくていい!」
やがて、揃いのガウンを羽織ったナターシャが衝立の陰から戻り、ミューラーの向かいの椅子に、背筋を伸ばして座った。
侍女達は一礼して下がっていったが、扉が閉まる直前まで、ひそひそと何事か囁き合う声が聞こえていた。具体的な会話は聞こえてこなかったが何故か『変態』という単語だけは飛び込んできた。
――だぁ! ここでもか!
傍目で見れば、美術品のように美しい女性型アンドロイドを引き連れている、スカした男にしか見えない。
「……おい、ナターシャ」
『はい』
「お前、わざとやってねぇか?」
『否……私の行動は、すべて合理的な判断に基づいています』
「その合理的な判断のせいで、俺はエルケでも変態扱いだ」
『誤解を解く必要があれば、侍女の方々に、私の購入目的を説明いたします』
「余計に拗れるからやめろ」
ミューラーは、深々と息を吐いた。
港でも変態。エルケでも変態。どこへ行っても、この評判だけはついて回る。
もっとも、言い返す気にもなれなかった。半分は、自分で蒔いた種だ。
ぼやいているうちに、部屋が静かになった。
広すぎる迎賓館に、空調の音だけが低く流れている。窓の外では、月明かりの湖が、ゆっくりと揺れていた。
静かになると、昼間のことが、勝手に頭の中へ戻ってくる。
純度98.7パーセント。崩れていった510万。条件を3つ並べて、若い領主と握り合った手。
そして、膝の上で拳を握りしめて、白くなった少女の指先。
――変態呼ばわりに構ってる場合じゃねぇな……
ソファーに深く座り直し、膝の上で指を組む。顔だけは、まだ商談用の男前のままだ。
向かいの椅子では、揃いのガウンを羽織ったナターシャが、背筋を伸ばしたまま、こちらの言葉を待っていた。ヘッドセットの青い光が、規則正しく明滅している。
この光を相手に考えを整理するのが、彼のいつもの習慣だった。これをもう、何年も続けてきた。
「……で、整理するぞ」
ミューラーは、指を折り始めた。
「積荷は違法鉱石の可能性が高い。執政府は、それを取り戻しに来る。俺は領主閣下と取引して、決着まで一枚噛むことになった。ここまではいい」
『はい』
「それにしても、ずっと妙だと思ってたんだ」
ミューラーは、ソファーの背にもたれた。
「妙なことが2つある。1つ目。あの港は、厳戒態勢のくせに、この船にだけ出港を許した。2つ目。そのくせ、じゃじゃ馬を取り返しに、警備艇を2隻も寄越した」
『確認……娘が乗っていると知っていたのなら、最初から出港を許すはずがありません。矛盾しています』
「そうだ。だから、答えは逆なんだよ」
ミューラーは、1本目の指を立てた。
「出港許可は、荷のためだ。フンヴェの野郎は、横流ししたレオナートを、外の商人に正規の書類つきで売らせて、星の外で金に換えたかった。だから、この船だけを急いで外に出した。この時点では、じゃじゃ馬が乗ってるなんて、連中は知らなかった」
『では、追手は?』
「2本目だ」
ミューラーは、もう1本、指を立てた。
「出港したあとで、領主館から娘がいなくなったことに気づいた。慌てて、あの夜に港を出た船を洗った。そしたら、この船しかなかった。それで追手を寄越したってわけだ」
『追手が貨物区画を狙わなかったのは』
「自分たちの金が積んであるからだ。荷を吹っ飛ばしたら、元も子もねぇ」
『確認……出港許可と追手は、立て続けに発せられた命令だった……ということですね?』
「ああ。連中は、自分達の金を逃がすために開けた抜け道から、娘にまで逃げられたんだ」
『執政府は、その事実を、まだ大っぴらにしたくないはずです。賞金の額が低く、他星系へ手配が回っていないことと整合します』
「だろうな……」
表では20万ぽっちの値札をつけておきながら、裏では識別信号を消した警備艇を2隻も差し向けて、必死に取り返しにくる。見栄と本音が、まるで噛み合っていなかった。
ミューラーは、鼻で笑った。




