22.若き領主フリューゲル……⑤
エーリッヒは、ジークリットの言葉を、真正面から受け止めた。言葉遣いを咎めることも、聞かなかったふりをすることもなかった。
「ジークリット嬢。私には、エルケの民を守る責任があります。私が感情のままに軍を動かせば、エルケは他領を侵した星として、周辺の星々全てを敵に回すかもしれない。そうなって血を流すのは、エルケの民です」
「…………」
「アイゼンシュタット閣下を……御父君を……見殺しにはしません。ですが、正しい手順を踏まなければ、助けられるものも、助けられなくなる」
ジークリットは、唇を噛んで俯いた。
頭では分かっていた。
エーリッヒの言うことは、何一つ間違っていない。それが分かっているからこそ、悔しかった。
館の門に立つ治安部隊の兵。灯りのつかない窓。最後にまともに父の顔を見たのがいつだったか、もう思い出せない。
叱責の言葉に勢いのままに言い返して、扉を叩きつけて、塀を越えて。そうやって背を向けてきた相手を、今になって助けてくれと、他人に頭を下げている。
その身勝手さを、誰よりも分かっているのは、ジークリット自身だった。
ドレスの膝の上で、指先が白くなるほど拳を握る。
――泣くものか!
ジークリットは思った。ここで泣いてしまったら、令嬢の顔も、山猫と呼ばれた粗暴な顔も、どちらも保てなくなる。
ミューラーは、黙ってそのやり取りを見ていた。
それは、統治者の理屈だった。冷たいが筋は通っている。この男は、婚約者の涙ひとつで判断を曲げたりはしない。曲げないからこそ、星1つを背負える。
そして、ミューラーは気づいていた。
――この男は「できない」とは一言も言っていない
しかし、思いつめた若い娘に、言外の意味はどうやら届いていない。生来の生真面目さからくる純粋な思いが、今の彼女自身を縛り付けている。
――しょうがねぇな!
ミューラーが口を開いた。
「閣下は今、『正しい手順』とおっしゃいましたね? だったら、その手順ってのは、どういうものなんです?」
エーリッヒは、ミューラーを見た。
その目に、ほんの僅かに満足げな色が浮かんだ気がした。
「他領への派遣が認められる場合が、ひとつだけあります。その星の『正統な統治者』から『正式な救援要請』が出された場合です」
「正統な統治者……アイゼンシュタット閣下ご本人ですか?」
「ええ。ですが、閣下は館に閉じ込められ、外部と連絡を取ることもできない……お分かりですね?」
エーリッヒは、そこで言葉を切った。
そして、ジークリットへと静かに視線を移した。
彼女は悔しそうに若草色したドレスの裾を掴んだままだ。無理もない、気丈に振舞い……それもかなり虚勢を張ってはいるが、ジークリットはまだ18歳の少女だ。
『告……領主ご本人が意思を示せない場合に限り、その正統な代理人による要請も、同等の効力を持ちます。例えば、領主家の継承権を持つ者による要請です』
ミューラーは、思わずナターシャを振り返った。
「……お前、そんなことまで知ってたのか?」
『星間法典第22章、領邦間救援協定の条文です。商取引の契約に関わる法令とあわせて、常時参照しております』
「商売に、いつそんな条文が要るんだよ」
『領主が交代した星との取引で、旧領主の契約が引き継がれるかどうかの判断に使用します。過去に3回、参照しました』
エーリッヒが、わずかに目を見開いた。
「……優秀な秘書をお持ちですね、ミューラー殿」
「秘書じゃ……って……いえ、秘書です」
ナターシャが、何も言わずに瞬きを一つした。
突如響いたナターシャの言葉に、ジークリットが、ハッとなって顔を上げた。
「……継承権を、持つ者……」
アイゼンシュタット家に、子は1人しかいない。
それが誰なのかは、この部屋にいる全員が知っていた。
ジークリットの顔から、血の気が見る見るうちに引いていった。
『継承権』……その言葉を、これまで自分のこととして考えたことは、一度もなかった。いつか婿を取るか、嫁ぐかして、家を繋ぐ。そのための娘。周りもそう扱い、自分もそれに反発することで、それ以上を考えずに済ませてきた。
その言葉が、今、自分の喉元に突きつけられている。
下町の路地が浮かんだ。屋台の油の匂い。鉱石を運ぶ車の轟音。作業帽を被せてくれたルッツの手。
あの人達の暮らす星に、余所の星の軍を呼ぶ。
それを決めるのが、アタイ……いや、私。
「私が……父の、代わりに……?」
「そういうことです」
エーリッヒは、穏やかに、けれど一切ごまかさずに続けた。
「ただし、ジークリット嬢。それは、貴女の名で、他の星の軍を、ご自分の故郷に招き入れるということです。どれだけ慎重に事を運んでも、血が流れるかもしれない。執政府の兵にも家族がいます。その全ての責任を貴女が負うことになる」
「…………」
「今すぐに……とは申しません。ご自分で、お決めになってください」
ジークリットは、膝の上で両手を握りしめ、その白い指先が小さく震えていた。
ミューラーは、口を挟まなかった。
挟めなかったと、言ったほうが正しい。これは、一介の商人が値をつけていい話ではない。
――自由ってのは、こういうことなんだよ、小娘……
喉まで出かかった言葉を、ミューラーは飲み込んだ。
自分で選ぶということは、選んだ結果の全部を自分で背負うということだ。
艦橋で「アタイは、自由になりたいんだ」と言った少女が、今、その意味の一番重いところに、たった一人で立っていた。
長い沈黙のあと、ジークリットが、ゆっくりと顔を上げた。
「……少しだけ、お時間をいただけますか?」
声は、令嬢のものだった。けれど、語尾がわずかに掠れていた。
「もちろんです」
エーリッヒは頷き、呼び鈴を鳴らした。
「今夜は迎賓館をお使いください。ミューラー殿も、ご一緒に。船よりは、ゆっくりお休みいただけるでしょう」
「お心遣い、痛み入ります」
ミューラーは、帽子を胸に当てて頭を下げた。
顔を上げたとき、ジークリットと目が合った。
令嬢の顔のまま、彼女は何も言わなかった。言わなかったが、その目だけは、艦橋で初めて自由を口にした夜と同じように、何かを探していた。
ミューラーは、先に目を逸らした。
――俺に答えを求めるんじゃねぇよ
答えを出せるのは、本人だけだ。
それが分かっているから、彼は、何も言わなかった。
窓の外では、エルケの空が、ゆっくりと夕暮れの色に染まり始めていた。




