17.領主の館……⑥
『シュヴァルベ』が第3バースに接岸すると、間もなく税関の職員が2人、タラップを上がってきた。
武装した治安部隊はいない。紺の制服に、手には検査用の端末だけ。鉱山惑星の港とは、空気がまるで違った。
「エルケ宇宙港税関です。書類を拝見します」
「どうぞ。船籍証明、商船登録証明書、貨物目録。積荷はレオナート400トン、トレーダー向けの正規品です」
ミューラーは笑顔で書類を差し出した。白い中折れ帽を胸に当て、軽く会釈する。
職員は手際よく端末に読み込ませ、貨物区画の封印を確かめると、乗員名簿の画面で指を止めた。
「乗員は、船長と……管制AGIの端末、それと、もう1名ですね。名簿に記載がありませんが?」
ジークリットの肩が、びくりと跳ねた。
「ああ、そいつは途中の港で拾った見習いでしてね。雑用係です。名簿の更新が間に合わなかった。申し訳ない」
「……見習いっ? アタイはなぁ!」
ジークリットが、小声で噛みついた。
「黙ってろ、見習い」
「お名前は?」
「ジーク。見ての通り、口の悪いクソガキです」
職員は作業着姿のジークリットを一瞥し、端末を操作した。照会画面が流れる。
ジークリットは息を詰めた。
手配は回っていない。ナターシャはそう言った。
ミューラーも、たぶん大丈夫だと言った。たぶん……確定ではない。
――執政府の公示……あれが、もうエルケにも届いていたら……
照会画面の文字が、やけにゆっくり流れているように見えた。職員の指が止まる。眉がわずかに動いた気がして、心臓が跳ねた。
隣で、ミューラーは白い中折れ帽を胸に当てたまま、涼しい顔で微笑んでいる。この男の心臓は、いったいどうなっているのだろう。
「人物照会……該当なし。結構です。名簿は出港前迄に必ず更新しておいてください」
「畏まりました」
ジークリットは、そっと息を吐いた。膝から力が抜けそうになるのを、作業着の裾を握って堪える。
「……だから言ったろ」
職員に聞こえない声で、ミューラーが呟いた。
「たぶん……って言ったじゃんか」
「だから、たぶん大丈夫だったろうが」
ジークリットは、言い返す言葉が見つからなかった。
「入国手続きは以上です。ようこそ、エルケへ」
「ああ、ひとつお願いがありまして……」
ミューラーは、帽子のつばに指をかけた。
「フリューゲル閣下にお目通りを願いたいのです。急ぎお耳に入れておきたい情報がございましてね」
「閣下に……ですか?」
職員は、表情一つ変えなかった。
「謁見をご希望でしたら、領主府の陳情窓口に申請書を提出してください。内容を審査のうえ、順番に日程を調整いたします」
「どれくらいかかります?」
「通常ですと、2週間ほど」
「2週間……いや、そこを何とか。閣下ご自身にとっても重要な話なんです」
ミューラーは、さりげなく左手を持ち上げ、袖口から腕時計をのぞかせた。ロワイエ『コスモデイト40』。辺境の港の役人なら、年収が丸ごと消える代物だ。
職員の視線は、時計に一瞬も留まらなかった。
「どのようなご用件であっても、物には順序がございます。閣下はどなたに対しても、同じ手続きをお求めになります」
丁寧で、穏やかで、しかし取りつく島もなかった。
職員が丁寧に一礼してタラップを降りていく。ミューラーは、それを笑顔のまま見送り、扉が閉まった途端に帽子を脱いだ。
「……この星の役人は、腹芸が効かねぇな」
『解……統治者が用いるシステムの違いと推測されます』
「またかよ……二回も言うな」
ミューラーは、帽子を外し、整えた髪をくしゃりと掻いた。
2週間……誘拐犯の汚名を背負ったまま、400トンのレオナートを抱えて、この港に足止めだ。
『告……エルケ宇宙港の停泊料は、本船の規模で1日あたり4200ユニーです。2週間で5万8800ユニー。これに乗員の食費と、待機中の機関維持費が加わります』
「計算しなくていい……」
『なお、密航者の食費ですが』
「それも計算しなくていい!」
ふと横を見ると、ジークリットが、閉じた扉をじっと見つめていた。
「……エーリッヒ様らしいや」
ぽつりと、小さな声だった。悔しそうで、なのに、どこか誇らしげでもあった。
「でもよ、2週間も待ってられっかよ。その間に、親父が……」
言いかけて、口を噤む。代わりに、くるりとミューラーを振り返った。目の奥に、悪巧みの光が点っていた。
「正面がダメなら、裏から入りゃいいじゃん」
「……何の話だ?」
「フリューゲル家の屋敷。アタイ、ガキの頃から何度も行ってんだ。婚約が決まってから、親父に連れられて、何度も。でも退屈だったからさ、屋敷中、探検して回ってた」
ジークリットは、にやりと笑った。
「あそこ、古い地下通路があんだよ。昔の当主が造った避難路。執務室まで繋がってるんだ。今は誰も使ってねぇし、たぶん誰も覚えてねぇ」
「お前……他所様の屋敷の抜け道まで調べてたのか」
「館の塀を越えてたのと、同じだし」
「待て待て。冷静に考えろ。俺は今、誘拐犯の嫌疑をかけられてる身だぞ。その上、他所の領主の屋敷に忍び込んだら、今度は不法侵入だ。罪状がひとつ増えるだけじゃねぇか!」
「えっ? 増えねぇし」
「何でだよ?」
「アタイが一緒なら、婚約者が、突然、婚約者の家に遊びに来ただけじゃん。玄関から入るか、庭から入るかの違いっしょ!」
ミューラーは、口を開けたまま固まった。
屁理屈だ。どう考えても屁理屈だ。だが、筋だけは、妙に通っている。
『船長。先ほどの「取引」とは異なり、今回はジークリット様の論理に一定の整合性が認められます』
「お前、どっちの味方だ」
『私は管制AGIですので』
ミューラーは天井を仰いだ。
2週間の足止め。停泊料。誘拐犯の汚名。400トンのレオナート。
頭の中の計算機が、一瞬で答えを出した。
「……ナターシャ。屋敷の周辺の警備状況」
『公開情報の範囲で照会します。正門と外周は監視網が稼働しています。ただし、築年数の古い区画については、センサー網の更新記録がありません』
「つまり?」
『死角がある可能性は、否定できません』
ミューラーは、白い中折れ帽を目深にかぶり直した。
「……案内しろ、じゃじゃ馬」
「じゃじゃ馬、言うなし!」
ジークリットはいきり立って、ミューラーの脚を蹴った。
「おっと! 服が汚れるじゃねぇか」
しかし、その脚は空を切り、視界には中折れ帽を被り直すスカした顔が飛び込んできた。




