16.領主の館……⑤
惑星エルケは、緑の多い星だった。
鉱山惑星の赤茶けた大地を見慣れた目には、眼下に広がる森と湖がまぶしいほどだった。
『エルケ宇宙港管制より通信。入港を許可する、第3バースへ誘導する、とのことです』
「……もう許可が出たのか?」
『申請から12分です』
ミューラーは思わず、ナターシャを振り返った。
鉱山惑星では、入港許可だけで3時間。検査を含めれば5時間13分。
「領主が違うと、こうも違うもんかね」
『解……統治者が用いるシステムの違いと推測されます』
ジークリットは、補助席で黙って窓の外を見ていた。
膝の上で組んだ指に、力がこもっている。
「……なぁ」
「何だ」
「アタイの手配、ここにも回ってんじゃねぇの? 港に降りた途端、アンタが捕まって、アタイは連れ戻されるとか……」
『解……その可能性は低いと推測されます』
答えたのは、ナターシャだった。
『執政府の公示は、鉱山惑星アイゼンシュタットの星系内、および自由交易都市トレーダーに向けて出されたものです。他の領主が治める星系の当局へ手配を回すには、領主府同士の正式な照会の手続きが必要になります。現時点で、エルケへの照会記録は確認できません』
「……領主の娘が攫われたってのに、余所の星には知らせてねぇってことか?」
ミューラーは、顎を撫でた。
「賞金は20万ぽっち。そのうえ、星の外には手配を回さねぇ。正式な照会なんぞかけたら、エルケの領主府が乗り出してくる。どうやら執政府は、よほどこの件を大っぴらにしたくないらしい」
「……ってことは、大丈夫ってことか?」
「たぶんな」
「たぶんって何だよ!」
「商売に絶対はねぇんだよ」
ジークリットは、唇を尖らせて窓の外に目を戻した。
「そうか……じゃあ入港の前に顔を作ってくれ、ナターシャ」
『了解しました』
「え、メイクすんの?」
ジークリットが目を丸くした。
「当たり前だ。相手は領主様だ。それに皆が知る自由商人ミューラーは、こんな不審者面じゃねぇ」
ドロイドがやって来て副操縦席に立つ。ナターシャの指示の下で『シュヴァルベ』の操船を行うためだ。
「アタイは、そっちの顔のほうが……」
言いかけて、ジークリットは口を噤んだ。
「何だ?」
「……何でもねぇし」
「何かあったら、そのドロイドに話しかけろ」
ミューラーは、ナターシャを引き連れて艦橋を出ていく。
ジークリットは、その背中を目で追っていた。
くたびれた船内ジャケット。肩のあたりの生地が、少しだけ色褪せている。歩きながら、首の後ろをがりがりと掻いた。ゆうべ、袖の破れを繕っていた、あの太い指だ。半歩後ろを、ナターシャが音もなくついていく。
やはり、冴えない。どこからどう見ても、冴えない背中だった。
それなのに、目が離せなかった。
ゆうべ、黙って置かれたマグカップの温かさを思い出す。「すまん」とだけ言って、顔も見ずに座った横顔を思い出す。
扉が閉まる直前まで、ジークリットはその背中を見ていた。閉まってから、自分がずっと見ていたことに気づいて、慌てて窓の外へ顔を向けた。
――何見てんだ、アタイ。
頬が、少しだけ熱い。
ジークリットは席の上で膝を抱えた。
「……話し掛けることなんて……ねぇし……」
愛くるしい姿のドロイドが、声を拾い一瞬反応したが、何事も無かったかのように丸い目を前方に向けた。
2人が去った艦橋は静かだった。
機関の低い唸りと、ドロイドが操船パネルを叩く、ピッ、ピッ、という軽い音だけが続いている。
ジークリットは、しばらく窓の外を眺めていた。眺めているうちに、また閉じた扉へ目が行きそうになって、慌てて逸らす。
「……なぁ」
気がつくと、口が勝手に動いていた。
ドロイドが、くるりと愛くるしい丸い目をこちらへ向けた。
「あいつ……いつも、あんな感じなのか?」
ドロイドは、ぱちり、ぱちりと二度瞬いて、小さな電子音を鳴らした。
それが肯定なのか否定なのか、さっぱり分からない。
「……分かんねぇよ、それじゃ」
ジークリットは、思わず吹き出した。
話し掛けることなんて、ないはずだった。
この船の連中は、どいつもこいつも、なぜか口を開かせる。
1時間後。
艦橋の扉が開いた。
入ってきたのは、白いスーツの男だった。
青いシャツに、白いネクタイ。仕立ての良い上着の袖口から、金とプラチナの腕時計がのぞいている。頭には、つばの浅い白の中折れ帽。整えられた濃紺の髪に、剃り跡ひとつない顎。
男は帽子のつばに軽く指をかけ、補助席のジークリットに向かって、片目だけで笑ってみせた。
「お待たせしたな、お嬢さん」
「……うっわ! マジか!」
思わず声が出た。
港で見た、あの派手な船長だ。背が高くて、顔が良くて、いかにも口が回りそうで、いかにも金にうるさそうな。
スカしている。どこからどう見ても、スカしている。
後ろには、濃紺のタイトスーツに着替えたナターシャが、秘書の顔で控えていた。
「やっぱ詐欺だし」
「商売用の顔だって言ってるだろうが」
声だけは、いつもの口の悪い男のままだった。
それが、かえって妙だった。
ジークリットは知っている。この顔の下にあるのは、ぼさぼさの髪と無精髭の、地味でくたびれた男の顔だ。鍋ひとつで豆のスープを煮て、毎晩手書きの帳簿に「密航者 食費 3ユニー」と書き足して、袖の破れを太い針で繕う男だ。
けれど、目の前の男もまた、作り物ではない。
この顔で、この格好で、この男は何度も商談の席についてきた。腹の底の読めない商社の担当者や、ひと筋縄ではいかない海千山千の連中と渡り合い、ハッタリひとつで値を取り返してきた。その場数は、メイクでは作れない。
――本当のミューラーは、どっちなんだろう?
鍋をかき回していた地味な男か。
帽子のつばに指をかけて笑う、スカした男か。
考えかけて、ジークリットは、ふと自分の手を見た。
泥と油の染みた、借り物の作業着の袖。
この星で、エーリッヒに会う。そのとき自分は「アタイ」ではいられない。背筋を伸ばし、裾をつまんで、「私」と言う。「ですわ」と言う。館で何年も叩き込まれた、令嬢の顔で。あの肖像の顔で。
――アタイも、同じか……
ジークリットは、それ以上考えるのをやめた。
「ほら、行くぞ。じゃじゃ馬」
「じゃじゃ馬、言うなし!」
白い中折れ帽の男は、くるりと背を向けて歩き出した。その背中だけは、どちらの顔の時も同じだった。




