13.領主の館……②
「領主府の役人は?」
「みんなフンヴェの顔色見てる。治安部隊もそう。あの中で助けを求めても、全部フンヴェに筒抜けだ」
「それで外に逃げた……と?」
「……それに、昨日の船。あれ、執政府の警備艇だ。館の窓から何度も見た」
ミューラーは目を細めた。
「なるほどな。それで識別信号を消してやがったか」
鉱山惑星の港で、治安部隊の隊長が言いかけてやめた言葉を思い出す。
『今は執政府が仕切っている』
出港許可がこの船にだけ下りたのも、輸出許可が1日で出たのも、あの港の何もかもが妙だったのも。全部、1本の線で繋がりかけている気がした。
繋がりかけているが、まだ見えない。
執政府は、娘を取り戻そうと警備艇を差し向けた。その同じ執政府が、厳戒態勢の港から、この船だけを外へ出した。娘が乗っていると知っていたなら、出すはずがない。
知らなかったのなら、何故この船だけが特別扱いだったのか。
考えれば考えるほど、喉の奥に小骨が増えていく。
「それで……お前さんが行きたいエルケには何があるんだ?」
「エーリッヒ様がいる……」
ミューラーは「おやっ?」と思った。
「様」……この口の悪い小娘の口から、初めて聞く敬称だった。
「エーリッヒ? 誰だそりゃ? 親類か?」
ジークリットはすぐには答えなかった。
虚空を眺め、暫く黙り込んだ後、静かに口を開いた。
「フリューゲルって……言えば分かる?」
「フリューゲル?」
『告……惑星エルケの領主です。エーリッヒ・フォン・フリューゲル卿……23歳。3年前に家督を継いでいます。領民からの評判は良好。公明正大な統治者として知られています』
ナターシャが補足した。
「他所の星のご領主様が、なんでお前んちの揉め事に首を突っ込むんだ?」
ジークリットは、少しだけ言い澱んだ。
「……婚約者だから」
ミューラーは、しばらく彼女の顔を眺めていたが、納得行ったらしく、鼻で笑い始めた。
「なんだ! お前、じゃじゃ馬の訳アリ商品かと思ってたが、売約済み商品じゃねぇか!」
ジークリットが、補助席から跳ね起きた。
「アタイは商品じゃねぇし!」
「領主の娘が、余所の領主と婚約……そりゃ、立派な取引だろうが」
「親父と向こうの家が勝手に決めたんだ! アタイが決めたんじゃねぇ!」
「だったら、なおさら筋は通せ」
ミューラーは船長席の肘掛けに頬杖をついた。
「お前が気に入ってようがいまいが、向こうはお前の婚約者だ。助けを求めに行くなら、まず相手に話を通せ。黙って押しかけて、助けてくださいじゃ、向こうだって動きようがねぇ」
「……アンタ、商人のくせに政治持ち出して説教すんのかよ」
「商人だから言うんだよ。取引ってのは、相手の顔を立てて初めて成立する」
ジークリットは何か言い返そうとして、口を噤んだ。
それは大人の理屈だ。だが、正しい物の見方であり、間違ってはいない。でも正論が故に腹が立った。
エーリッヒが悪い人間でないことは、ジークリット自身が一番よく知っている。穏やかで、誠実で、誰に対しても公平だ。だからこそ、勝手に決められた婚約に、文句のつけようがない。嫌いになれる理由がひとつでもあれば、どれほど楽だったか。
ジークリットは、膝を抱え直した。
◇ ◇
エルケへ向かうかどうか、ミューラーはまだ答えを出していなかった。
トレーダーには戻れない。戻れば誘拐犯として捕まる。かといって、小娘の言うままエルケへ寄り道すれば、推進剤代だけで40万近くが飛ぶ。着いたところで、婚約者の領主が話を聞いてくれる保証もない。
『シュヴァルベ』はひとまず、どちらにも舵を切れる星系外縁の航路を、のろのろと進んでいた。
船内の時間だけが、淡々と過ぎていった。
この船で見るもの全てが、ジークリットには意外だった。それまで自分が乗ってきた船とは、まるで違う。
領主のお嬢様として、エルケに渡ったことは何度もある。傅く使用人や近臣たち。銀の食器に並ぶ豪華な食事。展望室の窓いっぱいに広がる、満天に瞬く星の海。あれこそが船旅だと思っていた。
だが、この船はどうだろう。そんな愛想は一切ない。
通路ですれ違うのは、人ではない。ナターシャの指揮で動き回る、大小のドロイドたちだ。貨物区画で荷の固定具を点検するもの、配管の隙間に潜り込んで何やら修理しているもの、床を磨きながら黙々と行き来するもの。丸みを帯びた胴体に、ぱちりと瞬く光の目。
それは乗る者の心理的緊張を和らげるためなのか、どれも愛くるしい姿に造られている。
けれど、それらは人間ではない。
この広すぎる船の中で、人間は、船長のミューラーと自分の2人だけだった。
ジークリットには、それが少しだけ、寂しいことのように思えた。
そしてドロイドたちの姿は、なぜか厨房にだけは見当たらない。厨房と個人の部屋だけは管轄外に設定されているようだ。
何より驚いたのは、船長が自分で飯を作っている事だ。
軍艦時代の名残で無駄に広い厨房の片隅、使っているのはコンロひとつと鍋ひとつだけだ。
「料理人は雇わねぇのかよ?」
「ナターシャは飯を食わねぇ……食うのは俺だけだ。その為だけに雇っていたら人件費が無駄にかかる」
「だからって……何でもかんでも一人でやってんじゃねぇか? そんなんで保つのかよ?」
「良いんだよ、こちとら伊達と酔狂でやってんだ」
そう言うと、ミューラーは「できたぞ」と鍋を持ち上げて皿に盛りつけた。珍しく二人分だ。
「ナターシャ……何か反応があったら報告しろ」
『了解しました』
スピーカーから聞こえる声。ジークリットは改めて、ナターシャがこの船の管制AGIであることを実感した。
出てきたのは、豆と干し肉を煮込んだだけの、色の悪いスープだった。
見た目は悪いが、食べてみると、意外に美味だった。少なくとも屋敷の新人料理人が作る食事よりは格段に……
「……嘘……おいしい」
「材料費、1食あたり3ユニーだ」
「そこまで言わなくてもいいっつーの!」
次に、船長は毎晩、帳簿をつける。
艦橋の端末ではなく、自室の机で、紙の帳簿に手書きで。
開いたままの頁を覗き込むと、几帳面な字で数字が並んでいた。その一番下の行に、「密航者 食費 3」と書き足されている。
「ナターシャがいるのに、なんで手で書くのさ?」
「自分の手で書かねぇと、金が出ていく実感が湧かねぇんだよ」
「……おかしくね? それ……つーか、アタイの飯代まで書いてんじゃねぇよ」
「後で払うんだろうが」
それから、船長は自分の作業着を自分で繕う。袖の破れを太い針で几帳面に。
港で見た、背の高い、どこか軽薄で口の上手そうな美形の船長。
――あれは、どこへ行ってしまったのだろう?
ここにいるのは、金勘定ばかりしている、地味で、口の悪い、30過ぎのくたびれた男だった。
その男が、艦橋の隅で針を動かしている。ジークリットは補助席に寝転がったまま、それをぼんやりと眺めていた。
機関の低い唸りと、針が布を抜ける小さな音。屋敷では、こんなに静かな時間を過ごしたことがなかった。静かすぎて、何か喋らずにはいられなくなる。
「なぁ」
「何だ」
「アンタさ、そんなにケチケチ稼ぐくらいなら、いっそ海賊にでもなりゃいいのに」
針が、止まった。
「この船、強ぇんだろ? 奪っちまえば元手もいらねぇし、誰にも頭下げなくていいし。そっちのほうが、よっぽど自由……」
バン! とデスクを叩く音が聞こえ、艦橋の空気が凍りついた。
跳び跳ねるように身を起こすと、ミューラーが冷ややかな視線をぶつけている。ジークリットは思わず息を飲んだ。
床に、繕いかけのジャケットが落ちていた。縫いかけの針が刺さったままだった。




