10.招かれざる乗客……③
「……お前さん……何から逃げてる?」
「…………」
「答えたくねぇなら、それでもいい。けどな、理由も言わねぇ奴を乗せとくほど、俺はお人好しじゃねぇ」
少女は長いこと黙っていた。
しばらくの沈黙が流れ、彼女の口がぽつりと動いた。
「アタイは、自由になりたいんだ……」
ミューラーは片眉を上げた。
「それだけか?」
「それだけ」
「……そうか」
『自由』……その言葉は、ミューラーには少しばかり耳が痛かった。
自由を標榜しているのは他ならぬミューラー自身だ。
『自由商人』
名前だけなら、これほど自由な稼業もない。どこの組織にも属さず、どこの星にも縛られず、積む荷も行き先も、自分で決める。
だが、実際はどうだ?
商談の前には、ナターシャに1時間かけて顔を作らせる。誰の記憶にも残らない素顔では、相手にされないからだ。白いスーツを着るのも、高級時計を袖口からのぞかせるのも、好きでやっているわけではない。
MBAの肩書を引っ提げた、いけ好かない若造に買い叩かれかけても、笑顔は崩さない。腹の中で「ペケペケ野郎」と毒づきながら、口では「末永くお付き合いを」と言う。
船は金を食う。食わせなければ止まる。止まれば、商売も止まる。だから稼ぐ。稼ぐために顔を作り、頭を下げ、喉まで出かかった言葉を飲み込む。
いったいこの生活の何処が自由なんだか分からない。
『それが自由の代償だ……よく覚えておけ……マンフレートよ……』
いつか、どこかで聞いた声が、耳の奥で蘇りかけた。ミューラーはそれを、冷めた合成コーヒーと一緒に喉の奥へ流し込んだ。
――自由になりたい……か……
自分にもそんな時期があった。自分一人で何でもできる気になって、粋がって世に抗おうとした。気に入らなければ衝動のままに暴れたこともあった。
――それでも何も変わらなかった……変わったのは俺自身だけだ……
目の前の小娘は、その言葉を、まるで手を伸ばせば届く場所にある宝物のように口にする。その先にあるものを、何ひとつ知らないまま。
――知らないほうがいいこともある。それは確かだ
ミューラーは、それ以上は何も言わなかった。
「次の寄港地まで連れて行ってやる。そこから先は自分でどうにかしろ」
「嫌だ! エルケまで連れてってくれ!」
「は?」
「惑星エルケ。そこまで行けば、なんとかなるんだ!」
「ふざけんな! これは乗合船じゃねぇ!」
若さに任せた物言いに、ミューラーは鼻白んで声を上げた。
しかし、少女は怯むことなく執拗に食い下がった。
「アンタの船、速いんだろ? ちょっと寄り道するくらい良いだろ!」
ミューラーは頭を掻いて、ナターシャに視線を向けた。
現実を知らしめるために。
「ナターシャ。エルケに寄った場合の追加費用を出せ」
『航路変更による推進剤および機関エネルギーの追加費用は、約38万ユニーです。寄港により、本船のトレーダーへの到着は2日遅れます』
「聞いたか! 38万だぞ! お前が払えるのか?」
「……後で払う」
「後っていつだ!」
「後は後だよ!」
少女はそっぽを向いた。耳まで赤い。
財布どころか、着ている作業着さえ借り物だ。払う宛など、どこにもない。それでも「払えない」とだけは、口が裂けても言いたくなかった。
ミューラーが何か言い返そうとした、その時だった。
『報告……レーダー感知。後方より接近する船影があります』
艦橋の空気が変わった。
「識別は?」
『識別信号を発していません。中型の武装船、2隻。本船と同じ航路を、こちらより速い速度で追ってきています』
少女の顔から、すっと血の気が引いていく。ミューラーはそれを横目で見た。
少女は、後方スクリーンに映る2つの船影から目を離せなかった。
ずんぐりとした艦首。くすんだ灰色の塗装。識別信号を出していなくても、あの形には見覚えがある。館の窓から、何度も見下ろしてきた。
――あれは……執政府の、警備艇っ……
喉まで出かかった言葉を、少女は唇を噛んで押し戻した。
『通信が入ります』
「繋げ」
スクリーンに映ったのは、覆面で目元だけを出し顔を隠した男だった。どう見ても正規の組織とは思えない。まるで海賊だ。いや、海賊以上に胡散臭い。
――どこぞのテロリストか?
ミューラーは直感した。正規の組織で無いなら対処は海賊と同じで良い。するとスピーカーから音声が流れてきた。どうやらボイスチェンジャーも使っているようで、ますます怪しい。
『こちらは治安維持のための臨検である。貴船には密航者が乗っている。直ちに停船し、その者を引き渡せ』
「治安維持なら、そっちの所属部隊と名前を名乗るのが筋じゃねぇのか?」
『答える必要はない』
「その密航者ってのは、何者だ。何をした?」
『答える必要はない。停船せよ。然らざれば攻撃する』
ミューラーは補助席の少女を見た。少女は膝の上で、拳を白くなるほど握りしめている。ミューラーは小さく溜息を吐いた。
「……ったく、『厄介』という名の女は、どこまでも俺を追いかけてくるらしい……」
メイクした顔で言えば、きっと絵になった事だろう。しかしこの場には、怯え緊張する少女に、モニターをチェックしながら完全に聞き流すナターシャしかいない。
彼は、何事も無かったかのように深々と船長席に腰を下ろし、画面に向き直った。その目から、さっきまでの軽口の色が消えていた。
覆面に、偽装に、名乗らない所属。努力もせず、交渉もせず、ただ奪うためだけに宇宙を漂う連中。ミューラーにとって、それは『宇宙のゴミ』と何ひとつ変わらなかった。
「断る」
『……何?』
「断ると言ったんだ、海賊ども!」
『貴様っ! 我々を何だと……』
「知るかよ! 所属も名前も名乗りもしねぇ……つまりお前達は、海賊船だ。海賊如きに、俺の船に乗った客を渡せるか! 一昨日来やがれ! このペケペケ野郎!」
少女が、弾かれたようにミューラーを見た。
怒鳴り声なのに、その声はひどく冷えていたのを感じたが、それ以上に、彼女の心を揺らした言葉に引っ張られた。
「……客って、言った」
「おうよ! 運賃は後できっちり頂くぞ!」
『告……ペケペケ野郎の用法を記録しました』
「今はそんなことしてんじゃネェ! 戦闘配置!」
『戦闘配置、了解』
画面の向こうで、男が何か合図を送った。
通信が切れると、直後に艦橋の床が低く唸り、座席ごと沈み込んでいく。艦橋そのものが、艦体の奥深くへと格納されていくのだ。窓という窓に分厚い装甲シャッターが降り、さらにそれを覆うように防壁が展開される。外の星空が消え、代わりに壁一面のスクリーンが点灯した。
商船の艦橋が、わずか数秒で、軍艦の戦闘艦橋へと姿を変えていた。
「何……この船? 戦艦?」
室内の照明が落ち、緑と白の光に包まれる中、少女が周囲を見回した。
『否……重巡航艦です。元、ですが』
ナターシャが淡々と訂正した。
少女は口を開けたまま、言葉を失っていた。




