9.招かれざる乗客……②
貨物区画は、照明を落とすと鉱石の青い光がぼんやりと浮かび上がる。
コンテナが400トン分、天井近くまで積み上がっている。その谷間を、ミューラーは麻痺銃を構えて進んだ。素顔のまま、くたびれた船内ジャケット姿で。
その後を、船内服のナターシャが音もなくついてくる。
『最後尾のコンテナと隔壁の間です』
「最後に積んだ奴か……」
足音を殺して近づく。
コンテナの陰に、作業着姿の小柄な人影が蹲っていた。
「動くな!」
人影が、びくりと跳ねた。
「手を挙げてゆっくり前を向……」
言い掛けた次の瞬間だった。
人影が、弾かれたように飛び出してきた。
「どけぇっ!」
「うおっ!?」
麻痺銃を向ける暇もない。狭いコンテナの谷間を、小柄な身体が一直線に突っ込んでくる。逃げ道は、ミューラーの立っている場所しかない。
避けるか、撃つか。ミューラーの頭が判断を下すより早く、硬いものが腹のど真ん中にめり込んだ。
「げほぉっ!」
頭突きだった。
肺の空気が、根こそぎ押し出される。ミューラーは身体をくの字に折り、麻痺銃を取り落として、コンテナに背中から叩きつけられた。
人影はその脇をすり抜け、貨物区画の出口へ逃れようとする。
『確保します』
抑揚のない声と同時に、ナターシャの手が伸びた。
駆け抜けようとした襟首を、細い指が無造作に掴む。人影の足が、ふわりと宙に浮いた。
「離せ! 離せよっ!」
手足を振り回して暴れる。引っ掻こうとした爪は空を切り、蹴り上げた踵は人工皮膚の腕に当たって、鈍い音を立てただけだった。
「この……っ! 放せっ……ってんだろ! このデカ女!」
『了……無力化して解放します』
ナターシャの掌が、人影の首筋にそっと触れた。
小さく乾いた音と青白い火花が一瞬だけ散り、暴れていた手足から、糸が切れたように力が抜けた。
『低出力のスタンです。後遺症はありません』
ナターシャは、ぐったりした身体を片腕に抱え直した。
抱えられているのは、泥と油に汚れた作業着の少女だった。年のころは17か18。きつく閉じた瞼の下でも、気の強そうな眉はつり上がったままだ。
ミューラーは腹を押さえたまま、コンテナにもたれて、ずるずると座り込んだ。
「……な、何なんだ、こいつは……?」
『密航者による抵抗です。頭突き1発。命中箇所は、船長の腹部中央です』
「ああ、解説しなくても……」
『肋骨に異常はありません。内臓への損傷も認められません。ただし、船長の反応速度は、平均的な宇宙船乗組員を12パーセント下回りました』
「それも解説しなくていい!」
ミューラーは床に転がった麻痺銃を拾い上げ、恨めしそうに眺めた。充電代しかかからない経済的な武器。しかし、1発も撃てなければ、ただの重りだ。
「ったく……山猫かよ」
ナターシャの腕の中で、少女はまだ小さく唸っている。気を失っていても、噛みつく気配だけは消えていない。
「とんでもねぇじゃじゃ馬だ」
『問……運賃は、如何いたしますか?』
「もちろん倍だ。治療費込みでな」
『疑……船長に治療の必要はないと診断しましたが?』
「精神的なやつだ! 皆まで言うな!」
少女が目を覚ましたのは、艦橋の補助席の上だった。
手首は肘掛けに固定され、身体はシートベルトで座席に縫い止められている。
「……っ、何だよこれ! 外せよっ!」
「外したら、また頭突きするだろうが!」
正面の船長席から、地味な男が言った。腹のあたりをさすりながら、恨みがましい目でこちらを見ている。
少女は、その男をまじまじと見た。
ぼさぼさの濃紺の髪。薄く浮いた無精髭。眠たげな目。くたびれた船内ジャケット。
「……アンタ、誰?」
「こっちの台詞だ」
「アタイは船長に用があるんだ。テメェみたいな下っ端に用はねぇ! 船長を呼びな」
「俺が船長だ」
「嘘だね」
「なんでだよ」
「船長はもっといい男だった。背が高くて、顔が良くて、いかにも口が上手そうなキザ野郎だろうが」
『解……メイクを落としています』
隣のオペレーション席から、ナターシャが淡々と言った。
少女はナターシャを見て、男を見て、もう一度ナターシャを見た。
「……アンタ、港にいた秘書?」
『はい』
「じゃあ、こっちのクソザコが?」
『船長です』
少女の顔に、何とも言えない表情が浮かんだ。
「って言うか……詐欺じゃん!」
「商売用の顔だ! 詐欺じゃねぇ!」
ミューラーは、深々と溜息を吐いた。
腹が、まだ痛い。
◇ ◇
船長席に腰を下ろしミューラーは訊ねた。
「お前……名前は?」
「……ジーク」
「本名は?」
「ジーク」
「歳は?」
「関係ねぇだろ!」
「大ありだ。未成年なら保護者に連絡しなきゃならねぇ」
「しなくていい……つーか、すんな!」
「はぁ? お前、家出かよ?」
「そんなんじゃねぇ! お前には関係ねぇ!」
「関係ない……だと?」
ミューラーの瞳が冷たく光り、少女は一瞬怯んだ。
「ジークとか言ったか……この船は、もう領海は出ている……今すぐ放り出してやってもいいんだぞ」
少女の喉が、ごくりと鳴った。
宇宙服も着ていない身体を、真空へ放り出される。そうなったらどうなるか、いくら下町育ちでも、それくらいは知っている。
固定された手首が、肘掛けの上で小さく震えた。
それでも、少女は顎を上げた。
「……やれるもんなら、やってみろよ」
声が、わずかに裏返った。
『補足します』
オペレーション席から、ナターシャが淡々と口を挟んだ。
『航行中の船舶から人員を船外へ放出する行為は、星間航行法上、殺人罪に該当します。なお、遺体の回収費用は船主負担です』
「……売り言葉に買い言葉……言葉の綾だ」
『了解しました。記録上は、脅迫として処理します』
「処理すんな!」
少女が、ぽかんと口を開けた。
さっきまでの冷たい目をした男は、もうどこにもいない。いるのは、自分の秘書に言い負かされている、ただの地味な男だった。
「……だっせぇ」
「うるせぇよ!」
ミューラーは咳払いをひとつして、仕切り直した。
「いいか。お前がやったのは無賃乗船だ。運賃をもらってねぇ客は、この船の保険の対象外だ。航行中に何かあっても、1ユニーも出ねぇ」
「…………」
「検疫も通ってねぇ。次の港で見つかったら、船ごと足止めだ。入管の書類もねぇ。密航者を乗せてたってだけで、俺の商売の信用に傷がつく」
「…………」
「それに400トンのレオナートだ。お前があそこで火遊びでもしてたら、船ごと吹っ飛んでた」
「火なんか使ってねぇし!」
「当たり前だ、バカ野郎! 使ってたら今頃ここにいねぇよ!」
少女は唇を尖らせ、そっぽを向いた。




