第九話 おっさん、ド正論パンチを食らう
思ったより皮膚が硬く、傷は浅い。
背を蹴り距離を取れば、突然の痛みに驚いたゴブリンが振り向いた。
完璧な作戦を邪魔されて、一丁前に怒っているらしい。
細い目が吊り上がり、これでもかと口を開いている。
"俺が相手だ!"
牙を剥き出しにして威嚇した。
感情に呼応して背中の毛が逆立つ。
これであいつは俺を放っておけないはず。
『その爪じゃ致命傷はムリか』
『いや、あえてのじゃない?』
『注意は引けたな』
『でも、まだあの冒険者ピンチだぞ』
戦う意思は見せつつ、何もしない。ただ睨み合うだけ。
もしゴブリンが向かって来たら、俺は逃げる。どれだけこの体が素早くても、パワーが足りない。
まともにやり合うなら、ヒットアンドアウェイに徹するだろう。しかし、どこかで一つでもミスをして捕まってしまえば、首を捻じ切られて殺される。
そんなリスクは取りたくない。
「くっそおおおおおっ!」
俺が時間を稼いでいると、青髪は右手側から地面に倒れこむ。
体重をかけ、しがみつくゴブリンを押し潰す算段だろう。
「グギギッ……」
サンドイッチにされたゴブリンは、呻き声を漏らす。
一瞬だけ力を緩めたが、やつもまた命懸けだ。再び掴みかかり、転がりながらもみくちゃになっている。
「生きて……帰るんだあああぁ!」
しかし、生への執着が勝利した。
青髪は頭突きを食らわし、ゴブリンを引き剥がす。
立ち上がり、地面に落ちた剣を拾う。
息が荒い。ベージュ色の服が真っ赤に染まっている。
傷が深いのか、右腕は使えないようだ。
左手に持ったショートソードを前に、腰を落として半身に構えた。
「ゲギャアアアッ!」
ゴブリンとて、ただで殺られはしない。先にダメージを与えた有利はこいつにあるのだ。
よろよろと起き上がるその表情からは、並々ならない殺意が窺い知れる。首を振って平衡感覚を確かめると、姿勢を低くして挑みかかった。
青髪の冒険者と緑色のゴブリン。生と生がぶつかり合う。
「――シッ!」
気合とともに鋭く踏み込む青髪。ジャブのような素早い突きが、緑色の首を貫いた。
アクシデントさえなければ、やはり彼の技術が上をいくようだ。
……が、急所に剣が刺さってなお、ゴブリンは前に進む。もうショートソードは引き抜けない。
今にも掴みかかろうと両手を広げたところで、ゴブリンは白目を剥いて崩れ落ちた。恐ろしい闘争心である。
『ゴブリン怖すぎだろ……』
『命のやり取りって感じしたわ』
『まだ終わってないぞ!』
『目開けてらんないよ俺』
『これが冒険者か……』
青髪は死体を踏みつけて、紫色の血が滴るショートソードを引き抜く。
体は泥だらけ、髪には落ち葉が絡まっている。満身創痍といった様子だ。
最後の一匹と戦うつもりらしい。ならば、俺も少し協力しよう。
"いまだ、殺れ!"
仲間を殺した冒険者と背中を傷つけた俺。どちらを相手にしたらよいのか戸惑うゴブリンに対し、圧をかける。
ジグザグと左右に飛び、的を絞らせないように近づく。
「――せあっ!」
青髪もこの機を逃さない。体を捻りながら、ショートソードを振り抜く。
俺から目が離せなくなったゴブリンの首筋に、銀色の弧が走る。
宙を舞う頭部が、声にならない声を発していた。
さあ、異常事態発生だ。
俺の中に見えない何かが流れ込んでくる。
パワー、エネルギー、なんと言い表せばよいのか。肉体が強化されていくようで、未知の感覚だ。
身体能力が二倍や三倍になったわけではなく、実際にはほんのちょっとしか上がっていない。
でも、脳がこの現象を知っていましたよと言わんばかりに、自分が強くなったことを実感している。
「フォレスティアン……」
ここで、ようやく青髪と俺の視線が交差する。
彼は理解できないものを見たような表情を浮かべている。
フォレスティアンとは俺のことだろう。なんとなく響きも猫っぽい。
「なぜ……」
その後に続くのは、「助けてくれたのか」であろう。
だが、彼の口からその言葉が出ることはなかった。
モンスターは人間の敵、そんなことあるはずがない。おそらくはこのように思考を転換し、俺に向けてショートソードを構えた。
"――チェンジ!"
ニャンと可愛らしく鳴いてサービスすると、可愛らしくない人間の俺が現れる。
逃げてもよかったが、彼は怪我をしているからな。せっかく助けたのだから、最後まで責任を全うしよう。
「フォレスティアンが人間に!?」
「驚かせてすまない、俺は冒険者のマサルだ」
「……あっ、助けていただきありがとうございます」
「その傷じゃ、今日はもう無理だろ? スキルでさっきのフォレスティアンだったか? あれになれば、安全に街まで送ってやれる」
「僕はレイミー、傷なら大丈夫ですよ」
そう言うと、レイミー君は背負いカバンから小瓶を取り出す。
フタを外し、薄い緑色の液体を傷口にかけ始めた。
まさかあれはラノベでよく見る――
「その液体はポーションか?」
「え? いや、ただの傷薬ですよ。消毒と傷を治す作用が……って、冒険者なら常識でしたね」
「へ、へぇ、そうなんだ。不思議な薬だねぇ」
「まさか、知らないとかないですよね?」
「うーん、まあ、知らないかなぁ」
「えええぇ……」
うわぁ。レイミー君たら、すんごい呆れた顔してるぅ。
ポーションみたいなものかって強がってもよかったけど、それが存在していて、冒険者なら誰もが常備してるだなんて知らない。
だって、お金がないし、食べ物が最優先だったからね。
「ところでさ、ゴブリンを倒したときに、なんか体が強化されたような気がしたんだけど。あれはなに?」
「まあ、そういうものですからね。子供の頃に冒険者になるって決めたら、薬草採取で小遣い稼ぎがてらスライムを狩りましたよね?」
「スライムなら昨日一緒に遊んだね。なぜか子作りする流れになって、危うくケツを掘られそうになったけど。あはははは」
昨日の自分を客観視したら、乾いた笑いしか出ない。
まあ、なんとなく理解してきた。
商人の家に生まれたら、商人になる。この世界では、子供の将来が決まっているのだ。
街の店がほぼ一族経営だったのも、こういった仕組みが影響しているのだろう。
モンスターを倒せば、肉体が強化される。これも常識のうちで、レイミー君からしたら知らない俺がおかしい。
強さを求められる冒険者は、子供のうちからスライムという誰でも倒せる雑魚を狩り、そのついでに薬草採取でお金を貯めながら着々と準備を進めていく。
親から武器の扱いを教わって、レイミー君のような一人前ができあがるってわけだな。
「助けてもらって言うのもなんですが、冒険者は命懸けです。マサルさんの境遇は知りません。でも、自分が就く仕事くらい、事前にちゃんと調べておくべきではないでしょうか」
ド正論パンチ。これは効く。
真面目に働く彼からすれば、俺は適当に仕事をする舐めた態度の大人。医療機器の営業をするのに、各社の注射針の違いすら分かっていないのと同じ。
怒られても仕方ない。
「マサルさん、僕でよければ力になりますよ」
「レ、レイミー君……」
なんというアメとムチ。ムスッとした表情で怒られた後に、爽やかな笑顔を向けられた。
なんて良い子……とは思いつつも、この機会を最大限に利用したい。
恩という商品を提供したのだから、それなりに価値のあるもの――いまであれば情報で返して欲しい。
俺は食べ放題に行けば、単価を計算しながらお得感を満喫するタイプ。中華ならエビチリ、洋食ならローストビーフを食いまくる。
ふふふ、力になってくれるというなら元を取ってやろう。
足りない知識を補うために、これでもかと質問攻めにしていく。
「いままでモンスターを倒したことがなければ、まずはスライムから狩るでいいかな?」
「えぇ、それで大丈夫です。吸えなくなったら――」
モンスターを倒して強くなる現象を、吸うって表現しているのは面白いな。不思議な力を全身で吸収してるって感覚だったし、しっくりくる。
モンスターごとに吸える限界があるようで、例えばスライムを十とするならゴブリンが百って感じ。ただ、最初からゴブリンで十まで吸ってしまえば、もうスライムからは吸えない。
強いスキルを持っているとかで、格上のモンスターを狩れるなら、そっちのほうが効率がいい……ということみたい。
「レイミー君て、どこの宿に泊まってるの? 傷薬っていくらする? みんなどうやってお金を稼いでるのかな?」
「えっと……」
宿の場所を聞いたのは、困ったときに押しかけるため。レイミー君がブチギレるまで、搾取してやろうと思う。
傷薬は一瓶で千二百ミースらしい。意外とお手頃だ。
冒険者の稼ぎは大きく分けて三つ。
一つ目は討伐報酬。
二つ目は、モンスターの体内に必ず存在している魔石をギルドで売る。
三つ目は、ダンジョンで宝箱を開けて中身を換金。
もっとも、ダンジョンで活動するには、同じ人間とは思えない化け物じみた強さを身につけてからになる。
『はえぇ、勉強になりますなぁ』
『レイミーきゅんに会わなかったら終わってたねw』
『スライム狩るだけでも稼げるなら最初に教えてくれよパンジィちゃん』
『傷害事件に加担してるマサルに常識なんて通じないんだからさぁw』
『こっちはスライムに掘られてんだぞって!』
いくら駆け出しとはいえ、ゴブリン三体でたったの五百ミースはおかしいと思っていた。
何も知らなきゃ、あんな汚さそうな奴を掻っ捌くとかやらなかっただろうしな。ありがたい情報だ。
さっそくレイミー君が、ゴブリンの胸の辺りを切り裂いて実演してくれている。
「これが魔石です。スライムなら核の中にあって、五十ミースで売れます。ゴブリンなら心臓の右手側にあり、三百ミースですね。一つどうぞ」
手渡された魔石は、黒っぽい紫色をしていた。およそ人差し指の先から第一関節くらいまでの大きさか。
陽の光に照らしてみると、ゴツゴツした表面がキラキラと輝く。
大事なお金だ。リュックにしまっておこう。
「魔法ってあるの?」
「珍しいスキルですが、ありますよ。人間よりモンスターの方が、魔法を使える個体は多いみたいです」
よかった、魔法は存在するらしい。
異世界のお約束みたいなものだからな。いつかはこの目で見てみたい。
モンスターに変身できる俺なら、そのうち使えるようになるかもしれない。
「魔石は全部売っちゃっていいの?」
「魔道具を起動するエネルギーになりますので、もし必要なら手元に置くのもありです。ほら、街灯とか給湯器とか、生活を便利にする魔道具があるじゃないですか?」
ご存知の通り……みたいに言われたところで、ホームレス同然の生活をしていた俺には馴染みがない。あの街灯がそうなのねって感じだ。
魔道具とは家電のようなもので、電気の代わりに魔石のエネルギーで動くのだろう。
ふむふむなるほどと反応しながら、この後も疑問を投げ続けた。
レイミー君の顔がどんどん曇っていく。
「あの、そろそろ……」
お日様が真上に来たあたりで、レイミー君も限界を迎えたらしい。
このまま俺が邪魔していたら、彼の稼ぎが足りなくなってしまう。
そろそろ解放してやるか。
「そうだよね。助かったよ、ありがとう。また分からないことがあったら、宿まで聞きに行くよ! いいよね、ね?」
「……え? あ、はい」
断りづらい雰囲気を作り、言質を取った。
彼はとても嫌そうな顔をしているが、これで大義名分を振りかざせる。
『このおっさんやば……』
『ほんまに社会人やってたんか?w』
『非常識な行動しか見せられてない』
『サイコすぎん?』
『いい歳した大人のやることじゃねえよw』
俺はレイミー君と別れ、スライム狩りに向かうことにした。




