第十三話 おっさん、ゴブリンを吸う
この目は、遠くまで見えるからといって、近くがぼやけることはない。
多様な倍率のスコープを、高速かつスムーズに切り替えできる感じだろうか。
さらに視認力――つまり、見分ける力に突出している。
例えば、木陰にスライムが潜んでいるとしよう。
人間、もしくは猫の視界には、広く前方に森が映る。フォーカスすることで、その枝や葉の一つ一つに意識が向く。
だが、スライムは木の葉の緑を体表に写し取り、保護色とする。脳はそれを森の一部だと誤認してしまい、存在に気付かないことがある。
しかし、シャドウバルチャーの瞳は違う。
上空から広範囲に眺めただけで、木の葉とスライムを別の物だと即座に判断して認識できるのだ。
森とモンスターを自然と異質な何かとして捉えるような感覚だろうか。
人物はそれぞれ特徴で見分けており、街の中にレイミー君がいれば、それっぽいなで気付ける。
脳の作りが影響しているのかもしれない。
"いたいたぁ!"
ゴブリンなんてすぐに見つかるってわけ。
枝葉の隙間から、緑色の肌をちょっとでも覗けたらよい。簡単なお仕事ですよ。
翼をたたみ、三匹の獲物に向かって急降下。
ツバメは瞬間的に、時速二百キロまで到達するらしい。それくらいのスピードが出ていてもおかしくない。
生身でその速さの世界にいるって考えたら異常事態だ。
『うお、ゴブリンだ』
『あの高さから見つけたってこと?』
『鳥の体、便利すぎん?』
標的まで目測二十メートル。強く羽ばたき、空中で急停止する。
俺の巨大な翼が巻き起こした暴風が落ち葉を巻き上げ、砂塵とともにゴブリンどもを襲う。
やつらは揃ってやかましい悲鳴を上げた。顔の前で両腕を交差し、目を開けられないでいる。
狙って起こした風ではない。だが、運良く足止めに成功した。
これ以上ない好機だ。
"――空刃!"
俺のクチバシが魔法を紡ぐ。
放たれた死の三日月は三つ。目にも止まらぬ速さ。
それぞれの刃がゴブリンの両腕を切り飛ばし、勢い止まらず首まで刎ね飛ばす。
スライムなんかとは比べ物にならない膨大なエネルギーが流れ込んできた。全身を満たしていく。
ちょっと俺、強すぎるかもしれない。
『巻き起こした突風がもう魔法みたいだった』
『シャドウバルチャー強ない?』
『まだ油断すんなよ』
分かってる。ここですぐ人間に戻るなんて愚かな真似はしない。
油断大敵、茂みに仲間が潜んでいたら大変だ。慎重に周囲を見回す。
……よし、大丈夫だな。
"――チェンジ!"
地面に降りて人間の姿に戻る。
討伐報酬を貰うには、その証明が必要だ。
ゴブリンであれば右耳。槍を短く持って穂先の刃を使い、人とは違う長く尖った形状のそれを剥ぎ取る。
血を抜くために、腰布の上に置いておく。
続いて魔石を取り出す。
事前にレイミー君の仕事を見学していたから助かった。
間違って心臓を刺そうものなら、血が噴き出して服が汚れてしまう。同様に胃も破くべきではない。
柄に人差し指を添えて、ゴブリンの胸部を慎重に切開していく。
『うえぇ、よくこんな気持ち悪いこと平気でできるねマサル……』
『ごめん、これは見れないわ』
『医者がメス持ってるみたい』
『激ヤバグロシーンをお届けしております』
『モザイク仕事しろ!』
そういえば新入社員のとき、先輩に同行してペースメーカーの埋め込みに立ち会ったことがある。
胸にポケットを作るために先生が電気メスを使うんだが、髪の毛を燃やしたような臭いが漂ってきて、気持ち悪くて吐きそうになった。
俺の配属先はペースメーカーとは無縁の部署だったのに、なんでこんな思いをしなければならないんだと内心ブチギレてたっけ……。
あの経験があったから平気なのかもな。
さあ、取り出し完了っと。
二体目、三体目とテキパキ解体していく。
耳は医療機器のカタログを千切ってくるみ、魔石はそのままリュックにぽいっ。
このペースで狩れるなら、前職の時給が可愛く思えてくる。
「俺、この仕事に向いてるかも。――チェンジ!」
再び上空からゴブリンを探す。
ちなみに、死体は放置で問題ない。他のモンスターや肉食の獣が餌にするからだ。
加えて、ゴブリンには変わった特性がある。仲間の死体を見つけると墓を作るらしい。
弱い冒険者はソロのゴブリンを見つけて狩り、死体を放置して身を潜める。
別のゴブリンが墓を作り始めたところで、背後を急襲して倒す。
そうやって繰り返すことを連鎖狩りという。全部レイミー君が教えてくれた。
"入れ食いだなこりゃ"
あちらこちらにゴブリンが見える。どんどん狩っていこう。
先ほどと同じ戦法ならば、巻き起こした風が視界を塞ぎ、敵を無力化してくれる。
せっかくだし別の魔法も試してみようかな。
『次はどんな魔法使うの?』
『翼に風の刃を纏わせて突っ込むとか』
『やっぱ竜巻っしょ!』
『でかいの出すと、その分消費も増えるのかな?』
空刃は、放たれた矢の如きスピードで飛んでいく線の魔法。横幅が長弓くらいあるので、躱すのが難しい。
切れ味だってかなりのもの。凶悪な性能に仕上がっている。
魔力消費量は、体感で一発あたりおよそ三パーセント。刃の大きさを調整したら、ここはまた変わってくるだろう。
"俺が考えてるのは燃費のいい魔法なんだよね"
簡単に敵を探し出せるこの体なら、タイパよりコスパを重要視したい。
次はレイピア型――相手を点で捉える貫通力の高い魔法を使う。
形は小さくていい。
細く……鋭く……。イメージを固めていく。
林道を呑気に歩く、四匹のゴブリンに狙いを定めた。
シャドウバルチャーの狩猟本能なのか、アドレナリンという名の脳汁が全身を高揚感で支配している。
翼で空を弾いて一気に加速。風を切り裂きながら滑空していく。
目から得られる情報は高速で処理され、脳が発する電気信号が俺を突き動かす。
木々の隙間をすり抜けて、最短距離で獲物に迫る。
ゴブリンどもを射程距離に捉え、暴風を叩きつけた。
"――空槍!"
顕現させるは風の苦無。一直線に射出されたそれは、ゴブリンの脳天を弾丸の如く撃ち抜いた。
「ゲ……ギャ……」
一瞬の出来事に、何が起きたのか分からない様子の奴らは、額にお揃いの穴を開けている。
やがて白目を剥き、示し合わせたかのように崩れ落ちた。
苦しむ暇も無かったらしい。
『銃弾か?』
『僕らには速すぎて見えましぇーん』
『そもそも見えにくいしな』
『もっとゆっくりなやつ頼む』
『それじゃ避けられるだろw』
うん、この魔法も使えるね。
魔力消費は、一発およそ一パーセントほど。動かない相手なら、空槍のほうが効率がいい。
飛んで降りて狩る。必要なものを剥ぎ取る。この繰り返しだ。
ゴブリン狩りが完全にマニュアル化してしまった。
"――空槍!"
お次は三匹。
"――空槍!"
さらに二匹追加。
倒すたび、脳内でチャリンとコインが弾ける音がする。だんだんモンスターがお金に見えてきた。
視界に映る獲物を片っ端から狩っていく。サーチアンドデストロイだ。
――仕事に大事なのはやりがいだ。
アホなことをのたまう上役が何人もいた。
俺に言わせりゃ、やりがいなんて後から付いてくる。結局は自由な時間とそれなりの金だよ。クオリティオブライフってやつ。
まあ文句はあれど、異世界まで足を運ぶほどには営業が好きだったのだが。
おっ、またお金が歩いてる。
"――空槍!"
ゴブリンが三匹。討伐報酬で五百、魔石が各三百だから、これで千四百ミースだぞ。
殺ったら殺っただけの成果が得られる。俺はいま、ようやく真理に辿り着いた。
「こうなると、奥義みたいなのも欲しいか……」
人間の姿に戻った俺は、ゴブリンを解体しながら呟く。
いま考えているのは、ド派手な範囲魔法だ。
記憶の中にある『いつか異世界に来たら使ってみたかった魔法一覧』のページをめくる。
線、点ときて、面……いや、微妙か。
押して弾き飛ばしても殺しきれるとは限らない。真上から潰せたとして、換金部位までミンチになったら最悪だしな。
やはり風らしく、切れ味を活かしたい。
『ハゲワシって腐肉を漁るから、汚い血が付いても太陽の光で殺菌するためにハゲてるらしいぞ』
『マサルの髪が薄いのもそういう理由があったのか!』
『暑いときは自分の排泄物で足冷やすらしいw』
『あー、だからおっさんもよく漏らしてるのね』
『あいつら足の力が弱いから、シャドウバルチャーとはまた違うのかもな』
『いまシャドウバルチャーとかどうでもいいんだわ。死肉を食べる鳥の足が退化してるなんて知ってるっつーのwww』
『こっちは普通に会話してるだけだろ。てめぇの方が的外れなんだわボケが! 住所教えろや!』
『ピャー、ヒョロガリ妖精がイキってるーwww』
無駄な雑学が増えていく。なぜこいつらは変な知識に突出しているのだろうか。
また急に喧嘩を始めているし、わけが分からない。
妖精さんに呆れながら、採取した素材をリュックに放り込む。
「漏らしてないし、抜け毛が気になるだけでまだハゲてない。俺が腐った動物の死骸に頭突っ込んで貪り食ってるところなんて見たことないだろ? まったく、ハゲワシの生態を当てはめないでくれ。あと、言い争ってる二匹。お前らどっちもどっちだから大人しくしてろ。――チェンジ!」
また空を飛ぶ。
どこかに大量のゴブリンがいないものか。十匹以上の群れを見つけたい。
抑えきれなくなった好奇心に胸が躍る。
空は青く、眼下には広大な緑が続く。どんどん街から遠ざかっていく。
ファンタジーの世界であれば、どこかに集落があってもおかしくない……と、思ったそのとき。真紅の瞳が標的を捉えた。
少し開けた森の中、丈の長い枯れ草を束ねただけの粗末な住居がちらほら。
中央では、三匹がかりで動物を捌いている。鹿に似ているが、足は短く、体がまん丸と太い。
槍と言ってもいいのか、先端を尖らせただけの木を持ち、周囲を警戒するゴブリン。手振りを交えて会話をしているゴブリン。
すごいぞ、うじゃうじゃいる。外にいるだけでも十三匹だ。
"うひょー!"
あいつら全部俺の金だ。一匹残らず殺ってやる。
上空から接近し、集落の端っこで急ブレーキ。
大技発動のために着地する。
「ギャギャーッ!」
見張りが大慌てで叫ぶと、枯れ草の家からも何事かとゴブリンどもが顔を覗かせた。
だが、もう遅い。
魔法のイメージは固まった。
"――烈空斬!"
右翼に生じたのは巨大な風の刃。
集落の幅を遥かに超えるそれを横薙ぎに振り抜く。
抵抗など微塵も感じない。
周囲の樹木を切り倒し、ゴブリンどもの胴体を真っ二つにしてしまう。まるで空間ごと断裂させたかのようだ。
濁った悲鳴がこだましている。
後に残ったのは、半円状にくり抜かれた森だけだった。
"――チェンジ!"
周囲に敵はいない。
悲惨な光景の中に足を踏み入れた。
まだ息があるゴブリンの喉を槍で突き、トドメを刺していく。
倒壊した枯れ草の家、その残骸を払い除けたとき、自分の愚かさを思い知らされた。
「ゲギャッ!」
身を潜めていたのだろう。待っていたぞとばかりにゴブリンが飛びかかってくる。
その顔は、仲間を殺された怒りを露わにしている。
カエルみたいに両手を広げて眼前に迫ってきた。
「ひっ……」
恐怖で埋め尽くされた脳みそが思考を止めている。
平和ボケした人間は、自分の身が危機に晒されたところで咄嗟には動けない。
ただ間抜けな表情を浮かべ、引き攣った声を漏らすだけ。
ゴブリンは俺の肩を掴み、大きく口を開く。細く尖った牙は糸を引き、紫色の長い舌が暴れている。
時間の流れがやけに遅い。捕食される獲物が陥る感覚が分かった。
「――チェンジ!」
妖精さんに感謝しなければ。『猫になれ!』という声の一つをたまたま脳が拾い上げた。
一瞬にして全身が縮んだことで、ゴブリンの拘束が外れる。
もはや脊椎反射に近い。生存本能に従って足元をすり抜け、全速力で走り去る。
「……ギャ?」
敵は何が起きたのか理解できていない様子。
両手のひらを見つめて困惑している。
"――チェンジ!"
シャドウバルチャーに変身して空へ。
"――空刃!"
ここで魔法をケチって外すなんてありえない。
風の刃を五枚生み出し、ゴブリンを切り裂く。
……俺は調子に乗っていた。
授かり物の力に甘えて死にかけた。
馬鹿な自分を力一杯ぶん殴ってやりたい。
"――空刃、空刃、空刃、空刃、空刃! あああああっ!"
まだ安全が確保されていない積もった枯れ草に魔法を放つ。
同時に、このどうしようもない気持ちを吐き出した。
"――チェンジ"
ゴブリンの死体から素材を剥ぎ取っていく。
単純な作業をしていると、最近の自分を振り返ってしまう。
なにが最強だ。なにがお金に見えるだ。
俺にしか救えない人がいる?
たったいま死にかけた俺なんかに?
どの立場で物を言っていたのか。
……助けてくれ。惨めさに押し潰されてしまう。
「ごめん、今日はもう無理だ」
未だ脳裏にチラつく『死』の一文字。手足は震え、立っているのがやっと。
生きている実感がない。妖精さんたちが一生懸命喋っているけど、何も頭に入ってこない。
空を見上げると、お日様が高い所で嘲笑うかのように輝いていた。
街に戻って気分転換でもするか。




