第十二話 おっさん、犯罪者だった
……きた。
スキルレベルが上がったあの感覚だ。びっくりして目を覚ます。
まだ部屋は薄暗い。
"――チェンジ"
俺は人の姿に戻り、窓を開ける。
星が瞬きを止めた紺色の空。その先で、暁の暖かい光がグラデーションを作り始めていた。
胸一杯に息を吸い込む。
少し冷たい澄んだ空気が、脳に気合を入れてくれた。
さあ、今日を始めるとしよう。
「おーい、朝だよー!」
いますぐ進化したスキルを試したい。
レイミー君を揺さぶり起こす。
『こいつ、スキルにクズ男が追加されてね?w』
『小学生の夏休みじゃないんだから……』
『レイミー君が不憫で仕方ない』
『マサルが友達じゃなくてよかった』
新しいモンスターになって、寝起きドッキリを仕掛けてやろうかとも考えたが、何に変身するか分からない。
冒険者ギルドの作業場で解体されていた巨大なイノシシにでもなろうものなら、こんなボロ宿なんて簡単に破壊してしまいそうだ。
「……んーっ!」
おっ、反応したぞ。
布団の中で大きく伸びをしている。
目を擦り始めたからもう一押しだ。
「早く起きてー!」
「おはようございます、マサルさん……って、まだ暗いじゃないですか……」
会話ができるならこっちのもの。強引に布団を剥ぎ取り、片手を掴んでぐったりした彼を引き起こす。
「あぁ、ぼーっとする。僕、朝に弱いんですよ。もう少し寝ますからね?」
「いや、それは無理だ。大変な事になった。いますぐ俺と一緒に来て欲しい」
「ちょっと、いい加減にしてくださいよ。昨日からなんなんですか。嫌です、絶対行きません。おやすみなさい」
「へぇ、そういう態度を取るんだ? じゃあいいよ、俺にも考えがある」
俺は公園に行きたい。
そして、レベル三のモンスターが何か、どんな特徴があるのかを、レイミー君に教わるのだ。
汚い大人だと蔑まれても構わない。
奥の手を使わせてもらおう。
「昨晩、リコの酒場で飲み食いしてね。俺にも冒険者の知り合いが何人かできたんだ」
「……それがどうしたんですか?」
実際には知り合いってほどではなく、顔見知りだけどな。
しかし、冒険者は横の繋がりが大事。これは、レイミー君本人から聞いた話だ。
その証拠に、彼の細い眉毛がぴくりと動く。
「そいつらに、レイミー君がおっさんのケツを叩いて喜ぶ変態だと言いふらす」
「い、いやいや、そうはならないでしょ。僕はフォレスティアンを撫でただけで……」
「現実を見よう? そのフォレスティアンは、三十六歳の小汚いおっさん。つまり、俺ね? てことは、レイミー君は幸せそうな顔で、リズミカルに俺のケツを叩いてたってわけ」
「うわぁ……そう言われると、自分のことが嫌いになってくるんですけど。分かりました、行きますよ! 行けばいいんでしょ!」
よし、作戦成功だ。
もし俺が女の子なら、いまの脅しは通らない。おっさんのデメリットを最大限に利用してやった。
『狡賢すぎんだろw』
『営業ってみんなこんな感じなの?』
『こんな奴、客からクレーム来て大問題やわ』
『詐欺師に近いw』
『おっさんのケツ叩いてたとか黒歴史すぎる……』
失敬な。仕事は真面目にやってたぞ。
総合病院にSPDという物品管理システムを導入して中抜きを貰ったり、仲が良かった先生が独立するときにクリニック内の商品を全部任されたり。結構頑張ってはいた。
それでもノルマは達成できたことは一度もなかったけど。
「ほら、準備して。公園に行くよ!」
「もうなんでもいいです。着替えるんで、外で待っててください」
「なんでよ、ささっと着替えたらいいじゃん」
「……僕、女ですよ?」
部屋から音が消えた。
気まずい沈黙が流れている。
ま、まあ、いったん外に出よう。
ちょっと難しいことを言われた気がするし、内容を噛み砕くのに時間が必要だ。
廊下で腕を組み、ぶつぶつと呟きながら脳みそをフル回転させる。
「えっと、僕は女です……だったか。これは数学の問題だな。僕の部分には、レイミー君が代入できる。女とは、その意味のまま捉えるなら女性ということだろう。つまり、レイミー君イコール女性の式が成り立つ。……よって俺は、女性の部屋に無理矢理侵入し、そのまま一夜を共にした性犯罪者ってわけだ」
この世紀の大発見を公表すれば、豚箱にぶち込まれること間違いなし。
『名推理ありがとー!w』
『レイミーたそ、僕っ娘だった』
『そこのおっさん、逮捕する!』
『ほら、やっぱり女の子だったじゃん! 僕に目覚めたとか言ってたやつら、息してますかぁ?w』
『パンジィちゃんは君らに譲るよ』
女性だと言われたら確かにそう見えるよなぁ。冒険者ギルドで男しか見ていなかったので、頭から抜け落ちていた。
美人とイケメンて紙一重なんだよ。整った顔で生まれてきたレイミー君が悪い。
「お待たせしました」
部屋のドアが開く。準備が終わったようだ。
はぁ、気まずい。
「あっ、レイミー君! いやぁ、なんかすまないねぇ」
「何がですか?」
「ううん、なんでもないよ?」
自分の心を軽くするために謝っておく。
彼女は特に気にしていない様子。
テレビやネットがない世界でよかった。晒し上げられたら社会的に死ぬ。
「レイミー君てちなみに何歳?」
「もうすぐ二十になります」
「そうなんだ。俺は今年で三六歳!」
「もう少し上かと思ってました」
くたびれた中年男は老けて見えるからな。
小綺麗にすれば三歳くらいは若返る。アラフォーおっさんは変幻自在なのだ。
レイミー君は大人だったか。危ない危ない。
もし未成年なら刑が加算されるところだった。
宿を後にした俺たちは、公園にやってきた。
初めてスライムに変身した、あの池のほとりである。
「スキルのレベルが上がってさ、レイミー君に見てもらいたかったんだよね! ――チェンジ!」
さて、俺は何者になれたのだろうか。
目線は人間のときとそれほど変わらない。
これまでで一番大きなモンスターだ。
「これは……シャドウバルチャーじゃないですか!」
レイミー君が目を見開いて驚いている。
珍しいモンスターなのかもしれない。
よちよちと歩き、水面に自分の姿を映してみた。
……鳥がいる。
『でっかいハゲワシって感じのモンスターだね』
『おっ、かっこいいな!』
『強そう!』
『これならゴブリンいけるやろ!』
シャドウとついたその名の通り、全身真っ黒。その中で、瞳だけがルビーのように赤い。
首が長く、頭の付け根あたりにふさふさした毛が生えている。頭のてっぺんだけ体毛が薄く、未来の俺の姿を見ているようだ。
翼を広げてみると、自分のでかさにびびる。
「高い飛行能力を持ち、風魔法を使ってくる厄介なモンスターですね。鋭い爪に肩を掴まれて、空から地面に落とされた冒険者もいるみたいです」
そう言われて、足を見てみた。前に三本、後ろに一本の指がある。
そこから生えた鈎爪は、フォレスティアンのそれより長くて太い。
閉じて開いてと動かせば、後ろの指が人間でいう親指なのだと分かる。
足なのに、小指がない手って感覚だ。
『魔法キター!』
『マサルの好きなエアカッター使えるやんw』
『詠唱いけるか?w』
『また命じようぜw』
ついに念願の魔法が使えるのか。
確かに、心臓と肝臓の近くに、不思議なエネルギーが貯蔵されている器官がある。
この体にとってはそれが当然すぎて、気付くのに遅れてしまった。
一部の人間にもこの器官が備わっているのかもしれない。
"――チェンジ!"
自分が発した雉のような甲高い鳴き声に驚きつつ、いったん人間の姿に戻る。
朝早くから付き合ってくれた彼女にお礼を伝えたい。
「レイミー君、ありがとう! やはり持つべきものは友達だね!」
「いや、友達じゃないんですけど。お役に立てたならよかったです」
「じゃあまたね! さっそく森に行ってみるよ!」
「……は、はぁ」
先輩冒険者でもあるレイミー君とは今後も仲良くしたい。しかし、見えないシャッターを下ろされてしまった。
身勝手なおっさんに振り回されているのだから当然だろう。呆れた顔をしている。
マジでごめん。こっちも生活が懸かっているのだ。
「――チェンジ!」
シャドウバルチャーになった俺は、両足で地面を蹴りジャンプする。
そのまま巨大な翼で羽ばたくと、まるで空に吸い込まれていくようだ。一気に体が持ち上がり、たった一回で街の外壁を越えた。
鳥の体にはダニや病原菌が住みつき、飛び立った後の空気はとても汚いらしい。そんな不潔な風を受けて髪をなびかせるレイミー君には、申し訳ないことをした。
翼を動かすのは、肩甲骨を伸ばして縮める感覚に近い。発達した胸の筋肉でサポートすることで、爆発的な力を生み出している。
体は軽く、大気を下に押しだすほどに高く舞い上がっていく。
あっという間に街が小さくなってしまった。
そして、目がいい。
上空八百メートルは越えているのに、俺を見上げているレイミー君の表情まではっきり見える。
『すげえ、飛んでる!』
『いや、俺らも妖精なんだから飛べるだろ。何に興奮しとんねん』
『羽ないやつおる?』
今日は雲一つない快晴。
ようやく顔を出したお日様が世界を照らしている。
絶好の飛行日和だ。
"レッツゴー!"
翼で弾みをつけ、滑空しながら速度を増す。
広げた羽が風を掴み、揚力を発生させている。
これで飛行が安定するらしい。
"ヒャッホー!"
それにしても凄まじいスピードだ。鳴き声を後方に置き去りにしている。
ジェットコースターなんて目じゃない。
一瞬で森まで来てしまった。
『はっやwww』
『怖くねえのマサル?』
『酔いそう』
この体にとって空を飛ぶことは、人の身で地を走るのとなんら変わらない。その感覚があるからこそ平気なだけで、人間の脳みそなら恐怖で気絶しているだろう。
翼でブレーキをかけつつ、推進力を上方向に変える。
速度が重力と相殺されたところで、ホバリングしながらゆっくり降下していく。
そして、背の高い広葉樹の枝に留まった。
俺は興奮している。
空を飛べたのもあるが、それ以上に好奇心を掻き立てるものがある。
ファンタジーの世界でしか起こりえない、想像を具現化する未知なる力。
もし俺に魔法が使えたら……寝る前にベッドの中で試行錯誤した回数は、ゆうに千を超えている。
この体で使える属性は風のみ。
謎の臓器に貯蔵されているものを魔力と仮定しよう。
ゴブリンを倒すことに目的を絞れば、殺傷能力があり、魔力消費の少ないコスパがいい魔法が好ましい。
……ふむ。だとすると、やはり刃の形状か。
鋭利に研ぎ澄ました三日月型、もしくは貫通力のあるレイピア型の二択だな。とりあえず前者にしてみよう。
魔法の名前もいくつか候補があるけど、和のテイストを取り入れたものに決めた。
脳裏に浮かぶのは、日本刀のように幅が狭い刃。
空気を固めて、薄く……鋭く……。
"――空刃!"
キエェと鳴けば、体内から魔力が抜け落ちる。
不可視に近い刃が二枚。イメージした通りに左右に分かれたそれらは、弧を描きながら飛んでいく。
枝も葉っぱも関係ない。触れた物は、達人の居合い抜きみたいにスパッと切り裂いてしまう。
狙いを定めたのは、少し先にある木。抱きつけば裏側で指の先が触れるくらいの太さだ。
魔法により生み出された常識外の二枚刃は、そんな幹だろうとお構いなしに通り抜けていく。
地面にまで跡を刻んだところで、ようやく霧散した。
"マジかよ……"
驚いた俺のクチバシから、情けない鳴き声が漏れる。
一拍置いて、木の葉が揺れた。
斜めに作られた二本の道筋を辿るように、いまさら切られたことを思い出した大木がずるりと滑り落ちる。その光景が、いかに鋭い刃がもたらした結果なのかを物語っていた。
地面に倒れた大樹が、みしみしと音を立てながら森を震わせている。
シャドウバルチャーの空間認識能力が高いからこそ、並列思考に近い空刃の操作を可能としていた。
加えて、この魔法の威力である。上空から索敵しつつ、遠距離から攻撃すれば、安全にゴブリンを狩れるかもしれない。
魔力量もまだまだ余裕だ。
『すげえ威力だ』
『エアカッターいじり、気にしてたのかな?』
『いいなぁ、俺らも魔法使ってみたい』
『魔法使うってどんな感覚なんだ?』
妖精さんには魔力がないのか。
羨む気持ちは痛いほど分かる。
"頭に思い浮かべて、「いまだ!」って感じで捻り出したらいけたな。体の中に不思議なエネルギーを蓄えた臓器みたいなのがあるんだけど、そこから少し持っていかれる感じだった"
『へぇ、意外と簡単なんだね』
『スカートめくる魔法だけ準備しとけよ?』
『風で服を張り付かせて、ボディラインをくっきり浮かび上がらせるのはどうですか!』
『ピンクの悲鳴を巻き起こす風――エロエアロ!』
姿が見えないんだから、パンツなんて好きに覗けばいいのに。
あと、どうですかじゃないんだよな。特殊な性癖を押し付けないで欲しい。
変なやつらだ。
"っしゃ、いくぜ!"
俺は足場の枝を蹴り、上空に舞い戻る。
深紅の瞳を光らせながら、獲物を探し始めた。




