第十一話 おっさん、調子に乗る
ここだ、看板に『リコの酒場』と書いてある。
ときおり聞こえる弾けるような笑い声、ぶつかるジョッキの乾いた音。中の喧騒は扉越しでも隠しきれていない。
漂う煮込みの匂いに、腹の虫が反応してしまった。今日の夕食は決まりだな。さっそく入ってみよう。
「一人いけますか?」
「空いてるとこ勝手に座んな!」
しわがれた声のおばちゃんに、いきなり怒鳴られてしまった。常連ばかりの居酒屋だと、こんなシステムの場所ってあるよな。
俺は入り口近くの席に座る。丸テーブルには、冒険者らしき赤髪の青年と、緑髪のおじさん。むさ苦しい三人が集まった。
煮込みと安い酒という曖昧な注文が通ったことに内心驚きながらしばし待つ。
「なあおっさん。あんたちょっと臭うぜ?」
赤髪が開口一番、痛いところを突いてくる。
もう三日も風呂に入ってないからな。指摘されて当然だ。
テーブルに両手をついて、深々と頭を下げて謝罪する。
「本当に申し訳ない。金がなくて、ずっと公園のベンチで寝ている。昨日は森で木の葉を食い、今日はネズミを生で食べた。生きることに必死で、体臭について失念していた」
「……そうか、そうだよな。分かるぜおっさん。冒険者ってのは大変なんだよ! 臭えくらいが丁度いいぜ! なあみんな!」
赤髪は木製のジョッキを掲げて、周りを煽り始めた。
客も客で盛り上がり、猛り狂いながら叫ぶ。
ここで、無言だったはずの緑髪おじさんまでもが立ち上がり、加わってしまう。
「こいつはな、汚ねえし生でネズミを食っちまう気持ち悪い野郎だ! なあみんな!」
他の席の客が「うおおおぉ!」とか「そうだ、いいぞ!」とか言ってるけど、普通に悪口なんだわ。事実だし否定はできないけどさ。
ノリが分からず、後頭部を掻きながらぺこぺこする俺の気持ちにもなってくれ。
『なにこれ?w』
『やっぱ臭いんだ……』
『なあみんなやめてw』
『同席してる人可哀想』
『香水の匂いきつい人とか嫌だしなぁ』
俺も逆の立場なら顔を顰めるだろうな。
初めて冒険者として稼いだ金で、仕事帰りに一杯をやりたかったんだ。自分本位ですまん。
「はい、お待ちどお」
おばちゃんが料理と酒を運んでくれた。これでこっちに集中できる。
まずは渇いたノドを酒精で焼く。
こりゃ強い。なんらかの蒸留酒を水で割ったものだろう。
続いて煮込み。フゥと吹いて冷まし、大きめの肉を頬張る。
口の中でゼラチン質の部分がとろりと濃厚にほぐれていく。
シンプルな塩味だが、謎のスパイスが後から鼻を突く。この強烈さは癖になるな。
酒が進む進む。
ジョッキが空になってしまった。
「いい飲みっぷりだ不潔野郎! リコちゃん、俺のおごりであいつに同じの頼むわ!」
「あいよー」
他の席から、イジメに近いあだ名とともに、素晴らしいタイミングで酒をご馳走になってしまった。これには感謝しかない。
ちなみに、店名にもなっているリコちゃんとは、俺を怒鳴りつけて料理を運んでくれたあのおばちゃんだった。
「おう、これも食いな」
「どうも」
緑髪のおじさんがパンをくれた。千切って煮込みのスープに浸し、口の中に放り込む。
小麦の香りと甘さが相まって、これも素晴らしい組み合わせだ。
新しい酒も到着。がつがつ食って、ぐいぐいとあおる。
少し酔ってきたかもな。
「そんなボロっちい槍じゃ金もねえんだろ? ここの代金、払ってやっから好きに飲み食いしやがれドブネズミ!」
また別の卓からありがたい声。俺はネズミじゃなくて猫のほうなんだが……まあ、どうでもいいか。
『どんどん不名誉なあだ名が増えていく』
『みんな気前がいい』
『底辺を見つけたから、マウント取りたいだけじゃねえの?』
『小根が腐った妖精もいます』
たしかに、貧乏人に恵んで気持ちよくなっている可能性はある。しかし、後輩に奢る感覚かもしれない。
ここは素直に好意として受け取っておく。その方がみんな幸せだ。
無料で好き放題やれるなんて素晴らしい。
煮込みには野菜も肉もごろごろ入っているから、料理はこれだけで十分だ。また同じ酒を頼む。
ぬるいし美味くはないけれど、不思議と気に入ってしまった。
せっかく相席なのだから、赤髪に聞いてみるか。
「この酒は何から作られている?」
「森に蛇がとぐろ巻いたような木があんだろ? あの葉っぱだよ」
なるほど、合点がいった。
あれは美味かったからな。
「それなら昨日食べたぞ。俺は好きだった」
「ぎゃはははは、ほんとかよ! あんなもんどうやって食うのさ」
「珍しいスキルを持っているからな。葉っぱを消化するのは得意なんだ」
「面白れえなおっさん。ちょっと見せてくれや。おーいリコちゃーん、コイルナの葉っぱ持ってきてー!」
あの木はコイルナというのか。
人と会話をしていると、知識がどんどん増えていく。
「この分の料金も付けとくからね」
リコちゃんが不機嫌そうな顔で、木の器を乱暴に置いた。裁断された細長い葉が山盛りだ。
同時に届いた酒を一息で飲み干せば気合十分、準備完了!
宴会芸で盛り上げてやろう。
「この葉っぱはな、こうやって食べるんだよ!」
俺はテーブルの真ん中に飛び乗る。
「――チェンジ!」
そして、スライムに変身した。
「なんじゃそりゃあああああああああ!」
「いいぞナメクジ野朗!」
店内はどよめき、赤髪はアゴが外れそうなほど口を開いて驚いている。
モンスター化は、いまこのときのために用意されたスキルだったのかもしれない。
俺は皿ごと包み込んで、コイルナの葉だけを消化していく。シュワシュワとした清涼感が最高だ。
ついでに煮込みもこの体で味わってみる。
どうやら人間の舌よりも、スライムの消化液のほうが鋭敏に味を感じることができるらしい。半端じゃなく美味い。
リコの酒場が笑い声と拍手でどっと沸いた。
『酔っ払って調子に乗ってるわw』
『こういうノリ好きよ私』
『おっさん大人気やんw』
『俺も今度の飲み会で草食おうかな?』
『空気が終わるからやめろw』
"――チェンジ"
ふぅ、そろそろ俺も限界だ。人間に戻る。
胃袋が一杯だし、これ以上飲んだら記憶が飛ぶ。
俺は右手を挙げながらひらひらと揺らし、颯爽と店を出ていく。
「おっさん、楽しませてもらったぞー!」
「次は風呂入ってから来いよー!」
「臭かったぞー!」
背中に受けるのは大声援……だよな?
英雄になった気分。
「いい夢が見れそうだな」
次に向かうのは、とある宿。たしか、『ペノンベンイン』だったか。
ここからはそう遠くない。
ふわふわとした脳みそで通りを歩く。
細路地に入って三軒目。聞いていた通りだ。すぐに見つかった。
良くも悪くも趣深い建物。木と石を組み合わせて造られており、外壁に薄っすらと苔が生えている。
中もまた、綺麗に掃除はされているのだろうけど、少し汚らしい印象を受けた。
こげ茶色の床板を踏むたび、ぎぃと軋む。
天井には四角いプレートが貼り付けてあり、ぼんやりした光を放つ証明になっている。おそらく魔道具だな。
今日はここに泊まろうと思う。
受付のおじさんに声をかける。
「あの、レイミーという冒険者の部屋はどこですか?」
「あー、あいつなら二階の一番奥だ」
さあ、押しかけてやるか。
彼のことなど知ったこっちゃない。たとえ嫌われようとも、俺さえよければそれでいい。
『ん? なんでレイミー君?』
『まさか……ね』
『いい大人だぞ? さすがにそこまで終わってないだろw』
『まともな脳みそをしてると信じたい』
『ネズミ食ってる時点でまともじゃねえよw』
階段を上り、教えてもらった通りにレイミー君の部屋の前へと来た。
二回ノックをして、申し訳なさそうな顔を作っておく。
……足音がする。
さあ、絶望しろ。終わりの悪魔が来たぞ。
「はい、どなたで……マサルさん?」
「ごめん、レイミー君が招待してくれたから来ちゃったよ」
「え? いやいや……」
「お邪魔しまーす!」
レイミー君の脳みそがパニックを起こしているうちに、部屋の中に侵入した。
四畳くらいの狭さで、布団が真ん中にぽつんと一枚。その近くに床置きのライトがある。
安心して寝られますよってだけの、機能美なんて無視したレイアウトだ。
「お風呂とか洗濯ってどうしてるの?」
「風呂は共用のシャワーがあります。洗濯は井戸の側で桶を使って石鹸で……って感じですが。何の用ですか?」
「何の用ってレイミー君、そりゃあんまりだよ。昼間に約束したから泊まりに来たんじゃん」
「そんな約束してないと思いますけど」
シャワーが付いて三千ミースならいいかもしれない。俺もそのうち利用しようかな。
しかし、レイミー君が相当嫌がってる。
そりゃそうだ。不潔野郎とあだ名を付けられた男と一夜を共にするなんて最悪だろう。
俺が彼の立場なら、殴ってでも追い返すしな。
でも、泊まる。これは決定事項だ。絶対にここで寝る!
『正気か?』
『こいつマジかよ。自分勝手すぎる』
『さっき汚いだの臭いだの散々言われてたのに、他人の部屋に入りやがった……』
『予感的中。さすがにドン引きですこちら』
『頭おかしいよこのおっさん……』
あのね、妖精さん。自分が一番ダメなことをしてるって理解してるのよ。
たまに何したって許されると思ってる酔っ払いがいるでしょ? 俺がそれ。
モンスター化のレベルを上げたいの。次のステージに進むためには、レイミー君に迷惑をかけるしかないんだから。
「違う違う、布団はレイミー君が使うんだよ?」
「マサルさん、そういうことではなく――」
「俺はフォレスティアンだっけ? あれになるから、部屋の隅で寝させてもらうね」
「……あー、なるほど、そうですか。はいはい、フォレスティアンにですか。……ちなみに、ちょっと撫でさせてもらうことってできます?」
強引に意見を押し通す作戦だったが、俺は勝利した。レイミー君は猫好きらしい。
だが、ここで喜んだり下手に出てはいけない。
俺は宿に行ってもいいかと昼間に確認している。この曖昧な表現は、捉えようによっては泊まりも可となる彼の落ち度なのだ。
あくまでもこちらが上だというスタンスを貫く。
「うーん……まあ、いいけど」
「本当ですか! ありがとうございます!」
そうすれば、なぜか感謝されるってわけ。
これでウィンウィンな取引ができたね。
「――チェンジ!」
本日何度目か分からないネコモードになり、先に布団に入る。
レイミー君も笑みを浮かべて後に続く。
お世辞にも上質とは言えない寝床だ。それでも、茂みの中やベンチの上と比べたら、天国と地獄ほどの差がある。
「では、失礼して……」
生唾を飲み込む音がする。レイミー君が手を伸ばしてくる。
……ほう、そう来ますか。顎の下から攻めてくるタイプね。
そしたらこちらも勝手にノドがゴロゴロ鳴りますわな。
だが、気持ちいいというほどではない。悪くないって感じだ。
次に彼は、ひたいから背中にかけて大きく撫で始めた。
『どんな感じなの?』
『レイミー君は幸せそうな顔してるわ』
『人間に撫でられる猫の感想聞いてみたい』
それは確かに気になるか。
この状態なら妖精さんと会話しても大丈夫だろう。
"マッサージを受けている感覚に近いかもしれない。脳がリラックスするというか。でもまあ、男に体を撫で回されてるわけだから、気分は最悪だな"
俺はウニャウニャと素直に述べた。
『このおっさんホンマw』
『泊めてもらうんだから、少しは愛嬌振り撒いたりサービスしろよw』
『レイミーきゅん、こいつ斬っていいぞ!』
もう交渉は終わっている。
これ以上を求められるなら、対価を貰わなければ。
「うわぁ、野良猫とは毛並みが違いますね。モフモフでツヤツヤで……」
まあ、その必要はなさそうだ。お客様には大変ご満足いただいている。
こっちは最高級のネズミを二匹も食ったからな。それはそれは触り心地がいい毛皮に仕上がっていることだろう。
もうそろそろいいか?
俺は寝るぞ?
「フォレスティアンもこれ好きなんですかね?」
レイミー君が尻尾の付け根辺りを手のひらで叩く。
トントンと一定のリズムで腰に軽い衝撃を受けるたび、脳みそが痺れるような凄まじい快感が全身を突き抜ける。
"ぬおぉ……"
なんだこれは。かなり気持ちがいい。
このまま続けられたら頭がおかしくなってしまいそうだ。
視界がぼやけて、頭が白で埋め尽くされていく。
……いや、危ない刺激だな。
"ちょ、ちょっと待って!"
気付くと俺は、シャーと威嚇しながらレイミー君の手に噛みつこうとしていた。
「あはは、猫と同じ反応だ」
しかし、彼は驚きもしない。むしろ噛みつかれて当然であるかの様子。
俺は布団から這い出て、部屋の隅っこに向かう。
振り返ると、名残惜しそうな視線が突き刺さる。もう触れ合いタイムが終了したことを悟ったらしい。
レイミー君がライトの引き出しみたいなものを抜くと、明かりが消えた。
カランと音がしたので、あそこが魔石入れ兼スイッチみたいな仕組みなのだろう。
『今日も楽しかったな』
『おっさんの評価が駄々下がりして終わったわ』
『明日はどんな冒険が待ってるんだろう』
『いやー、笑わせてもらったw』
『おっさんのおかげで毎日ワクワクしてる』
妖精の感覚は変わっているらしい。客観的に見ても、酷い一日を送った気がする。
誰かが喜んでくれるのは幸せなことだ。
「マサルさん、おやすみなさい」
"みんなおやすみ"
体を丸めて目を瞑る。
心地よい疲労感が、すぐに俺を眠りへと誘ってくれた。




