幕間 エリザベートを加えた公爵家秘密会議――ルクレツィアの他人からの好意耐性五歳児並み説について、当人不在で真剣に議論する夜
その夜、ヴァルツェン公爵家では、少々異例の秘密会議が開かれていた。
異例、と言っても議題が異例なのではない。
議題はむしろ継続案件である。
ルクレツィア・フォン・ヴァルツェンの、他人からの好意に対する耐性が少々、いやかなり低い件。
そして、その耐性の低さは五歳児並みではないかという説について。
異例なのは、参加者の方だった。
父、母、兄。
ここまではいつもの顔ぶれである。
だが今回は、そこへ兄の婚約者エリザベート・フォン・レインベルクが加わっていた。
つまり、
ルクレツィアを現在進行形でかなり推している本人を交えたうえで、
そのルクレツィアが推されるたびに困惑して固まる現象について会議するという、
かなり妙で、かなり公爵家らしい夜だった。
場所はいつもの小会議室。
扉は閉まっている。
外にはグレゴールが立っている。
当のルクレツィア本人はもちろん不在である。
いたら、会議以前に本人が固まる。
最初に口を開いたのは父だった。
「……確認するが」
低い声である。
「なぜ婚約者候補まで含めてこの件を話す必要がある」
母が穏やかに答える。
「必要だからです」
「理由は」
「当事者だからですわ」
母はそこでエリザベートへ視線を向けた。
エリザベートは少しだけ姿勢を正し、しかしまったく怯まずに微笑んだ。
「はい。私も、きちんと共有しておいた方がよろしいかと思いました」
父が眉を寄せる。
「何をだ」
「ルクレツィア様が、私の好意に対してどう困っておられるのかをです」
かなり強い。
そしてかなり真っ直ぐだった。
兄が小さく息を吐く。
「だから強いんだよな……」
母は満足そうに頷いた。
「でしょう?」
父は少しだけこめかみを押さえたが、もうここまで来ると追い返す方が不自然だと理解したらしい。
「……では聞こう」
そこで母が本題を置いた。
「ルゥの他人からの好意耐性、五歳児並み説についてです」
エリザベートは、一瞬だけ目を瞬かせた。
だが次の瞬間には、なぜかかなり真剣な顔になった。
「……五歳児並み」
兄がすぐに言う。
「言葉は強いけど、かなり本質なんだよ」
父が低く付け足す。
「表現としては少々雑だがな」
母は扇を口元へ当てたまま続ける。
「ルゥは、強い、賢い、変わっている、筋が通っている、そういう評価にはかなり耐性があります」
「ええ」
「でも、“素敵です”“可愛いです”“好きです”“またお話ししたいです”といった真っ直ぐな好意には、妙に処理が追いつかない」
「……ええ」
エリザベートは、そこで少しだけ目を伏せた。
その様子を見て、兄が警戒する。
「おい、まさか落ち込んでないだろうな」
「いいえ」
エリザベートはすぐに顔を上げた。
しかも、少しだけ嬉しそうだった。
「むしろ、かなり納得いたしました」
沈黙。
父が止まる。
兄が止まる。
母だけが、ああやっぱり、という顔をした。
エリザベートは静かに続ける。
「私、前々から思っておりましたの」
「何をだ」
父が聞く。
「ルクレツィア様は、好意を向けると“受け取ってはくださる”のです」
「ええ」
「ですが、その次に“どう返せばよいか”で少し止まっておられるように見えるのです」
「ええ」
「しかも、その困り方が……」
そこでエリザベートは少しだけ笑った。
「とても可愛らしいのです」
兄が顔を覆った。
父は天を仰いだ。
母は完全に嬉しそうだった。
「でしょう?」
「ええ」
エリザベートは本当に深く頷いた。
「最初は、ただ真っ直ぐで少し不器用な方なのだと思っておりました」
「ええ」
「ですが今のお話を伺って、かなり腑に落ちました」
「どう腑に落ちたのです?」
母が楽しそうに尋ねる。
「ルクレツィア様は、理屈や評価は処理できるのです」
「ええ」
「でも、好意だけは“そのまま受け取ってよい”という経験が少ない」
「ええ」
「だから、少し幼いところで止まってしまわれる」
父が腕を組む。
「かなり的確だな」
兄がぼそりと言う。
「しかも本人が一番嬉しそうに分析してるのが何とも言えない」
エリザベートは、そこで少しだけ兄を見た。
「だって、とても大事なことではありませんか」
「何がだ」
「ルクレツィア様が、あれほどしっかり立っていらっしゃるのに、他人からの好意には少し不器用なままでいらっしゃることがです」
その言い方には、からかいがなかった。
むしろ、大事そうにしている響きがあった。
母が小さく息を吐く。
「ええ。そうなのよね」
父も低く言う。
「欠点というより、少し育ちの遅い部分だ」
「はい」
エリザベートは頷く。
「しかも、それがとても愛らしいのです」
兄が思わず言う。
「だからそこで“愛らしい”に戻るなって」
「事実ですもの」
かなり強い。
そして、かなりぶれない。
父が話を整理しにかかる。
「では、エリザベート嬢から見て、ルクレツィアの反応はどう見える」
エリザベートは少しだけ考えた。
だが答えは早い。
「嫌がってはおられません」
「ええ」
「むしろ、少し嬉しそうです」
「ええ」
「ただ、“そのまま受け取る”ことに慣れておられないのだと思います」
母が即座に頷く。
「ええ。そこなのよ」
「ですから、五歳児並み、という表現は少し強いですけれど」
エリザベートはそこで、ほんの少しだけ柔らかく笑った。
「本質としてはかなり近いかもしれません」
父が小さく息を吐いた。
「婚約者候補にまで認められたか」
兄が苦笑する。
「もう公式見解だな」
だが、会議はそこで終わらない。
むしろ、ここからが本題だった。
父が問う。
「では、どう接するのがよいと思う」
エリザベートはそこでも迷わなかった。
「止めません」
即答だった。
兄が額を押さえる。
「やっぱりそう来るか」
「だって、ルクレツィア様は嫌がっておられませんもの」
「ええ」
「でしたら、少しずつ慣れていただく方が自然かと」
母が満足そうに頷く。
「やはりそうなるわよね」
「ただし」
エリザベートは、そこで少しだけ真面目に続けた。
「一度にたくさんは申しません」
兄が目を細める。
「お前にもその発想はあるんだな」
「当然です」
エリザベートは少しだけ首を傾げた。
「ルクレツィア様は、真っ直ぐな好意を向けられると、かなり丁寧に返そうとなさるのでしょう?」
「ええ」
「でしたら、一度に多く差し上げると、処理が詰まります」
父が低く言う。
「かなり実務的だな」
「大事ですもの」
エリザベートは本気だった。
「ですから、まずは一つだけ」
「一つだけ?」
「はい。“素敵です”なら素敵ですだけ。“またお話ししたいです”ならそれだけ。そうすれば、ルクレツィア様も“ありがとうございます”を返しやすいかと」
兄が吹き出した。
「完全に対ルクレツィア運用が出来上がってる」
母も笑う。
「でも、かなり正しいわね」
父がそこで腕を組み直した。
「つまり、五歳児並み説を採るなら、対応も五歳児向けに近づくわけか」
エリザベートは少しだけ考えた。
それから、慎重に答える。
「五歳児向けというより」
「何だ」
「“とても大事にしたいので、きちんと受け取れる量で渡す”に近いです」
その言葉に、部屋が少しだけ静まった。
そこには、面白がりだけではない温かさがあったからだ。
母がやわらかく言う。
「エリザベート様、本当にルゥのことを大事に思ってくださっているのね」
「はい」
エリザベートは迷いなく頷いた。
「とても」
兄がそこで本気で少し複雑そうな顔をした。
「俺の婚約者が妹をそこまで大事に思ってるの、やっぱりちょっと不思議な気分だな」
父が短く言う。
「だが悪くはない」
「それはそうだけど」
会議はそこで、いよいよ核心へ入った。
母が言う。
「では、結局“ルゥの好意耐性五歳児並み説”は採用でよろしいかしら」
父がすぐには答えない。
兄も考える。
エリザベートは静かに待っている。
やがて父が口を開いた。
「表現としては少々強い」
「ええ」
「だが、本質としてはかなり近い」
兄が頷く。
「俺もそれでいいと思う」
母は満足そうに扇を閉じた。
「では、仮採用ですわね」
そこでエリザベートが、少しだけ嬉しそうに言った。
「でしたら、私は今後も大事に推します」
兄が即座に言う。
「仮採用の流れでそこへ行くのか」
「当然です」
エリザベートはまったく揺らがなかった。
「ルクレツィア様のあの反応は、困っておられても嫌ではないのです」
「ええ」
「でしたら、少しずつ慣れていただきつつ、可愛らしさは守りたいです」
母が完全に同意した。
「分かります」
父が頭を抱える。
「なぜこの家は、娘の好意耐性の低さを“守るべき可愛らしさ”として扱い始めている」
兄が苦笑する。
「でも、もうそういう流れだろ」
そこは、誰も否定できなかった。
結局この夜の会議は、
・ルクレツィアの他人からの好意耐性五歳児並み説は、本質としてかなり近い
・原因は経験値不足と、好意への完璧な返答を選ぼうとする処理の重さ
・対策は“ありがとうございます”を先に置くこと
・エリザベートは好意を止めず、ただし一度に与える量は調整する
・この可愛らしい不器用さは、可能なら少し残しておきたい
という、相変わらず非常に公爵家らしく、非常に妙で、しかしかなり愛情のこもった結論へ落ち着いた。
会議の終わり際、母がぽつりと言った。
「でも、本当に良かったわ」
父が見る。
「何がだ」
「ルゥのそういうところを、エリザベート様が面倒だと思わず、むしろ大事にしてくださることよ」
その言葉には、父も兄も、すぐには返さなかった。
だが、やがて兄が小さく言う。
「……それは、かなりあるな」
父も低く頷く。
「ええ」
エリザベートはその言葉を静かに受け取り、やわらかく微笑んだ。
「大事にいたします」
その一言が、この夜で一番強かった。
――こうして、エリザベートを加えた公爵家秘密会議は、ルクレツィアの他人からの好意耐性五歳児並み説をかなり真面目に検討した結果、「本質としてはかなり近い。だがそれは欠点というより、大事に育てるべき少々遅れてきた可愛らしさである」という、父には少々頭が痛く、母と婚約者にはかなり喜ばしく、兄には複雑ながらも否定しがたい結論に至るのだった。




