幕間 公爵家緊急特別会議――ルクレツィアがエリザベート様に推されて困惑し固まる現象について、使用人を交えて検討する件
その夜、ヴァルツェン公爵家では、珍しく本当に“緊急”の名にふさわしい会議が開かれていた。
議題は一つ。
ルクレツィア・フォン・ヴァルツェンが、兄の婚約者エリザベート・フォン・レインベルクに真っ直ぐ推されるたび、妙に困惑して固まり、反応が半拍ずつ遅れる現象について。
しかも今回は、公爵家秘密会議に留まらない。
父、母、兄に加え、家令グレゴール、年長侍女、ミアまで同席している。
もはや秘密会議というより、対策本部である。
小会議室の空気は、最初から少々妙だった。
父は本気で少しだけ頭が痛そうな顔をしている。
母はかなり面白がっている。
兄は「何でこんなことまで会議になるんだ」という顔をしている。
グレゴールは平常運転。
年長侍女は微妙に口元が緩んでいる。
ミアは、わりと最初から限界だった。
最初に口を開いたのは父だった。
「……確認する」
低い声である。
「なぜこの件で使用人まで交えて会議をする必要がある」
母が穏やかに答える。
「必要だからです」
「理由は」
「ルゥの困惑の仕方が、思っていた以上に分かりやすいからです」
兄がすぐに続けた。
「それに、屋敷の中で既にかなり観測されてる」
父が眉を寄せる。
「観測、とは何だ」
そこでミアが小さく手を挙げた。
「本日、温室へ向かわれる前のお嬢様は通常でした」
「ええ」
「ですが、エリザベート様と戻られたあとのお嬢様は、少々目の焦点が遠く、でも機嫌は悪くなく、ただ困っていらっしゃる感じでした」
父が黙る。
母は扇の向こうで笑いを堪えている。
兄は顔を覆った。
「やっぱりそう見えるのか……」
年長侍女が静かに言う。
「かなり」
グレゴールも頷いた。
「かなり」
父が重く息を吐く。
「つまり、娘は婚約者候補を推しているのではなく、婚約者候補に推されて固まっているわけだな」
「ええ」
母が即答した。
「しかも、かなり素直に」
そこで兄がぼそりと言う。
「ルクレツィアって、強いとか厄介とか言われても平気なくせに、“素敵です”“可愛いです”“好きです”系統で一気に動きが鈍るんだよな」
ミアが小さく頷く。
「本日もまさにその通りでした」
父は天を仰いだ。
「なぜそうなる」
その問いは、かなり本質だった。
だが答えられる者も、この部屋にはそれなりにいた。
最初に口を開いたのは、意外にもグレゴールだった。
「お嬢様は、“評価”には慣れておられます」
「評価?」
父が聞き返す。
「はい。強い、変わっている、面倒だ、筋が通っている、そのような言葉には耐性がおありです」
「ええ」
母が頷く。
「でも、“好意”にはまだ慣れていないのよね」
グレゴールが続ける。
「しかも今回は、社交辞令ではなく、かなり純度の高い好意です」
「ええ」
「ですので、“どう返せば正しいか”を一瞬で切れず、結果として固まられるのかと」
兄が腕を組む。
「なるほどな。要するに、エリザベートが好意を真正面から投げるから、ルクレツィアの中で処理順が渋滞するわけだ」
かなり雑だが、かなり正確でもあった。
母が嬉しそうに言う。
「そうなのよ。しかもルゥ、嫌がっているわけではないのよね」
「ええ」
年長侍女が言う。
「困ってはおられますが、不快そうではありませんでした」
ミアも続ける。
「むしろ、少々嬉しそうではありました」
父がそこで本気で少しだけ嫌そうな顔になる。
「娘のそういう観察報告を受けるのは複雑だな」
「ですが必要です」
グレゴールが淡々と返す。
強い。
兄が苦笑する。
「で、何が問題なんだ。別に悪いことじゃないだろ」
母がすぐに言う。
「悪いことではないわ。むしろかなり良いことよ」
「なら何で会議してるんだよ」
「可愛いからに決まっているでしょう」
母のその即答で、部屋が一瞬静まった。
父がこめかみを押さえる。
兄は椅子へ深くもたれる。
ミアは下を向いて肩を震わせている。
年長侍女はもう隠す気がない。
グレゴールだけが平然としていた。
父が低く言う。
「……それは会議理由として適切か」
「かなり適切です」
母はまったく揺るがなかった。
「だってルゥ、騎士学校だの仮出向だのではあれだけ筋を通しているのに、エリザベート様に“素敵です”“可愛らしいです”“またお話ししたいです”と真っ直ぐ言われると、急に処理が追いつかなくなるのよ?」
「ええ」
年長侍女が頷く。
「非常に可愛らしい現象かと」
兄が顔を覆う。
「使用人側も完全にそういうテンションなのか」
「もちろんでございます」
グレゴールが即答した。
強い。
父は深く息を吐いた。
「……では整理しよう。この現象は、要するに何だ」
母が嬉々として答える。
「ルゥが、エリザベート様に推されると困惑して固まる現象です」
「それをもう少しまともに言え」
そこでグレゴールが補足する。
「お嬢様は、真っ直ぐな好意を向けられた際の返答選択肢がまだ少なく、とくに相手が社交辞令ではなく本気で好意を示している場合、一時的に処理優先順位が乱れるものと思われます」
父が少しだけ頷いた。
「それなら分かる」
兄がぼそりと言う。
「言い換えると、“推し活耐性ゼロ”ってことだな」
母が扇で兄を軽く叩いた。
「言い方」
「でも実際そうだろ」
そこは誰も完全には否定できなかった。
父が話を戻す。
「問題は今後どうするかだ」
「どうする、とは?」
母が聞く。
「エリザベート嬢の好意を止めるのか」
「いいえ」
「娘に耐性をつけるのか」
「少しは要るかもしれませんわね」
その言葉に、兄が目を細めた。
「まさか、訓練でもするのか」
母はかなり真面目に考えていた。
「悪くないかもしれないわ」
父がすぐに言う。
「悪い」
「どうしてですの」
「何の訓練だ。“ルクレツィア、可愛いわ”と毎日言えば慣れるとでも?」
部屋がまた少し静まった。
そして、母と年長侍女とミアが、ほぼ同時に「それは少し見たい」と思った顔をした。
兄が先に言った。
「父上、それ絶対面白いやつだろ」
「やらん」
即答だった。
グレゴールが静かに口を開く。
「ですが、お嬢様に必要なのは“慣れること”そのものではなく、“好意を向けられても固まりすぎず受け取る順番”を覚えることかと」
父がそちらを見る。
「順番?」
「はい。お嬢様は現在、“好意を受ける”→“どう返すか選ぶ”→“困惑する”の順になっておられるようですが」
ミアがすぐ補う。
「たぶん“ありがとうございます”を先に置いてしまえば、かなりましになります」
兄が吹き出した。
「対策が実務的すぎるだろ」
だが、かなり正しかった。
母が真剣に頷く。
「そうなのよ。ルゥ、気持ちはちゃんと受け取っているの。でも、返しを丁寧に選ぼうとするせいで半拍止まるのよね」
「ええ」
年長侍女も同意する。
「“ありがとうございます”“光栄です”あたりを先に置いてから整えれば、かなり自然かと」
父が腕を組む。
「つまり、娘は好意に対する一次応答をまだ持っていない、と」
グレゴールが頷く。
「かなり端的に申し上げれば、そのような整理でよろしいかと」
兄が笑う。
「ルクレツィア、現場では“先に切れ”って学んできたのに、こういう時だけ切れないんだな」
母が少し楽しそうに言う。
「そこが可愛いのよ」
「またそれか」
「重要でしょう?」
父は諦めたように目を閉じた。
少しの沈黙のあと、今度は年長侍女が言った。
「ですが、エリザベート様側もかなり強うございます」
そこは全員が頷いた。
「はい」
ミアが続く。
「悪意なく、真っ直ぐに、かなり具体的に褒めてこられます」
「ええ」
「しかも、お嬢様が困っておられるのを“可愛らしい”として正面から受け止めておられます」
兄が眉をひそめる。
「やっぱり強いな、エリザベート」
「ええ」
母も頷く。
「本当に強いわ。だからルゥも、嫌ではないのに調子を崩されるのよ」
父がそこで、ようやく少しだけ納得した顔になる。
「つまり、娘と婚約者候補の相性が良すぎるのか」
母が穏やかに笑う。
「ええ。かなり」
その一言で、場が静かにまとまった。
悪いことではない。
むしろ、かなり良い。
ただし、その良さが少し強すぎて、ルクレツィアの処理が追いつかず固まる。
それがこの夜の整理だった。
兄が小さく言う。
「俺の婚約者が妹を推してるの、やっぱりちょっと複雑だな」
母がすぐに返す。
「でも良いことよ」
「それは分かるけど」
「ルゥをちゃんと見て、ちゃんと好きになってくれているのだもの」
「それも分かるけど」
父が低く言う。
「少なくとも、不和よりははるかにましだ」
「それはそう」
兄もそこは頷いた。
グレゴールが最後に言う。
「結論としては、現状維持でよろしいかと」
父が眉を寄せる。
「現状維持?」
「はい。エリザベート様の好意を止める必要はなく、お嬢様も嫌がってはおられません」
「ええ」
「むしろ、少しずつ慣れていただくのが自然かと」
「その際、“ありがとうございます”を先に置く一次応答を覚えていただければ、混乱はかなり軽減されるものと思われます」
ミアが小さく頷く。
「実務的にはそれが最適かと」
兄が笑う。
「推し活対策会議なのに、最後は完全に業務改善だな」
母も笑う。
「でも、そのくらいがちょうどいいのかもしれないわね」
父は深く息を吐き、会議の締めへ入った。
「では、結論」
全員が父を見る。
「娘が婚約者候補に推されて困惑し固まる現象は、好意への一次応答が未整備であること、および相手の好意の純度が高すぎることが主因である」
兄が横で顔を逸らした。
笑いを堪えている。
「対策としては」
父は続ける。
「好意を止める必要はない。現状維持。ただし、娘には“ありがとうございます”を先に置く順番を覚えさせる」
母が満足そうに頷いた。
「ええ。それでよろしいわ」
年長侍女も、ミアも、グレゴールも同意する。
そして最後に、母がぽつりと言った。
「でも、やっぱり可愛いわね」
父はもう何も言わなかった。
兄は完全に諦めた顔をしていた。
使用人側は、かなり同意していた。
つまりこの緊急特別会議は、結局のところ、
ルクレツィアがエリザベートに推されて困惑して固まるのは、かなり可愛らしい現象であり、今後も温かく見守りつつ、必要に応じて“ありがとうございます”を先に置く訓練を検討する。
という、かなり公爵家らしく、かなり妙で、しかしかなり平和な結論に落ち着いたのであった。
――こうして、ルクレツィアがエリザベートに真っ直ぐ推されるたび困惑して固まる現象について、家族と使用人を交えた公爵家緊急特別会議は、当人の知らぬところで“可愛い”“強い”“対処が必要”を同時に共有する場となり、結果としてルクレツィアの好意耐性の低さとエリザベートの推し力の高さが、改めて屋敷全体で公式認定される夜となったのだった。




