第85話 エリザベート様の推し活に巻き込まれましたけれど、どうやら“推される側”というのは思っていた以上に対処が難しいようですわね
エリザベート様が、どうやらわたくしを物凄く気に入ってしまわれたらしい。
その事実自体は、前回の来訪でかなり理解していた。
理解していたのだが、理解していることと、実際に巻き込まれることは別である。
そして私は、その差を数日後に思い知ることになった。
発端は、母のもとへ届いた一通の書簡だった。
内容は、兄との結婚準備に関する穏当な連絡。
家同士としてもまったく自然なやり取りである。
だが、その追伸が少々自然ではなかった。
もし差し支えなければ、ルクレツィア様とご一緒する機会を、またぜひいただけませんでしょうか。前回お話しできたことが本当に嬉しく、できればもう少し親しくお話ししてみたいのです。
母はその追伸を読んで、完全に笑っていた。
「本格的ね」
兄は露骨に嫌そうな顔をした。
「……いや、何でそんなにルクレツィアなんだよ」
「知りませんわ」
私は即答した。
「ですが、わたくしに聞かれましても困ります」
父は父で、書簡を一瞥してから本気で少しだけ頭を抱えた。
「娘の扱いが、また増えたな」
「良いことではなくて?」
母が言うと、父は短く返した。
「悪いとは言っていない。面倒だと言っている」
ええ。
そこは分かりますわ。
そして数日後、エリザベート様はまた公爵家へいらした。
今回は兄との段取りもある。
だが、それだけではない空気が最初から漂っている。
応接の間へ入った瞬間、私はそれを察した。
目が合った時の、あの嬉しそうな顔。
かなり真っ直ぐである。
「ルクレツィア様」
「エリザベート様」
礼を交わす。
その次の一言が、もう少々強かった。
「本日も本当に素敵です」
私は一瞬だけ止まった。
ええ。
もう始まっておりますわね。
兄が横で小さく言う。
「だから言っただろ」
「何をですの」
「お前、推されてるんだよ」
その言い方は少々不本意だったが、実態としては近いのかもしれない。
エリザベート様は、今日は明らかに距離が近かった。
物理的にではない。
関心の向け方が、だ。
母と話していても、父の言葉を受けていても、兄の段取りに触れていても、折々でこちらを見る。
しかも、その視線が妙に温かい。
かなり困りますわね。
食事の席でもそれは続いた。
「ルクレツィア様は、騎士学校では普段どのようなことを?」
「仮出向では、どのような違いをお感じになったのですか?」
「そのお話、とても興味深いです」
「やはり本当にお強いのですね」
私は答える。
だが答えるたび、エリザベート様の目がさらに輝く。
どうやらこの方、聞いて満足するタイプではなく、聞いてさらに好きになるタイプですわね。
かなり強いですわね。
兄が途中で助けに入ろうとした。
「エリザベート、その辺にしてやれ。ルクレツィアが固まってる」
「まあ」
エリザベート様は少しだけ目を丸くし、それから本当に楽しそうに微笑んだ。
「でも、そういうところも可愛らしいのですもの」
私はそこで、ついに兄を見た。
「お兄様」
「何だ」
「少々助けてくださらない?」
「無理だ。俺も初めて見る反応だから」
今日は本当に役に立ちませんわね。
食後、母が案の定言った。
「ルゥ、エリザベート様と少し温室の方でも歩いていらしたら?」
来ましたわね。
断る理由もない。
むしろ、ここで逃げる方が不自然だ。
「ええ」
私は立ち上がり、エリザベート様も嬉しそうに続いた。
温室へ入ると、外より少しだけ空気が柔らかい。
花の香り。
湿り気。
静かな陽射し。
こういう場所は、前ならあまり意識しなかったかもしれない。
だが今は少し違う。
場が柔らかいと、相手の好意も真っ直ぐ通りやすい。
つまり、少々危険である。
「ルクレツィア様」
「何かしら」
「今日は少しお時間が取れて嬉しいです」
かなり真っ直ぐですわね。
「そう」
「この前から、もっとお話ししたいと思っていたのです」
その言い方に作りがない。
だからこそ強い。
私は少しだけ慎重に返す。
「何をお聞きになりたいのかしら」
「たくさんあります」
来ましたわね。
「たとえば、なぜそこまで本気で騎士を目指していらっしゃるのか、とか」
「ええ」
「準王国騎士団服を着て立っていらっしゃる時、どうしてあんなに自然なのか、とか」
「ええ」
「それから」
エリザベート様はそこで少しだけ笑った。
「どうしてそんなに格好良いのに、褒めると少し困ってしまわれるのか、とか」
私はそこで完全に言葉を失った。
ええ。
かなり駄目ですわね。
対処が難しすぎますわね。
「エリザベート様」
「はい」
「それは答える必要がありまして?」
「できれば」
断りにくい笑みだった。
しかも悪意がない。
純粋に知りたそうで、純粋に好意的だ。
だから余計に強い。
私は一度だけ呼吸を置いた。
こういう時こそ、現場で学んだ順番が要るのかもしれない。
つまり、まずその場を一つましにする。
「……本気なのは、必要だからですわ」
「必要」
「ええ。そうする方が、自分にとって筋が通るから」
エリザベート様は静かに聞いている。
目が逸れない。
だが圧ではない。
ちゃんと受けている目だ。
「それに、準王国騎士団服が自然に見えるのだとしたら、たぶん慣れたのではなく、意味ごと身体へ入ったからですわ」
「まあ……」
その“まあ”が、かなり本気で感動している響きだった。
困りますわね。
「やはり本当に素敵です」
そしてまたそこへ戻るのですわね。
私は少しだけ視線を逸らした。
温室の中の白い花が目に入る。
かなり綺麗だ。
だが、今はそれどころではない。
エリザベート様は、そこでふと小さく笑った。
「ルクレツィア様、困っていらっしゃいます?」
「少々」
「でも逃げませんね」
その指摘に、私は少しだけ目を瞬かせた。
「逃げる必要がありまして?」
「いいえ」
エリザベート様は柔らかく首を振る。
「でも、そういうところも好きです」
……もう駄目ですわね。
完全に巻き込まれておりますわね。
推し活、という言葉を私は知らない。
だがもし誰かがこの状況をそう呼ぶのだとしたら、たぶんそれなのだろう。
相手は嬉しそうで、こちらを褒めて、知りたがって、反応を楽しんでいる。
しかも、それが全部好意から来ている。
悪くない。
悪くないのだ。
だが、対処が難しい。
「エリザベート様」
「はい」
「なぜ、そこまでわたくしを」
私は少しだけ言葉を探した。
「……気に入ってくださるのかしら」
エリザベート様は、その問いを待っていたように少しだけ目を細めた。
「そうですね」
そして、とても静かに答える。
「本気で騎士を目指していらっしゃるのに、公爵令嬢としての美しさも失っておられないからです」
私は黙った。
彼女は続ける。
「珍しいから、ではありません」
「ええ」
「本気だからです」
その言葉は、思っていた以上に深く入った。
「しかも、その本気が変に濁っていない」
「ええ」
「真っ直ぐで、きちんとご自分で選んでおられて、その上でちゃんとお優しい」
「ええ」
「そんな方、好きになってしまいます」
そこまで真っ直ぐに言われると、もはや反論のしようがない。
私は少しだけ息を吐いた。
「……それは、光栄ですわ」
エリザベート様は嬉しそうに笑う。
「はい。ですから、これからも推させてくださいませ」
私はそこで、さすがに首を傾げた。
「推す、とは」
エリザベート様は一瞬だけ止まった。
それから、少しだけ困ったように笑う。
「応援して、見守って、素敵なところをきちんと伝えて、時々とても嬉しくなることです」
……なるほど。
だいぶ分かりやすくなりましたわね。
「少々強いですわね」
「そうでしょうか」
「ええ」
私がそう言うと、エリザベート様はまた楽しそうに笑った。
「でしたら、加減は少し考えます」
「それは助かりますわ」
「でも、やめません」
即答だった。
よろしい。
そう来ますのね。
温室から戻る頃には、私はすでに少し疲れていた。
戦闘でも訓練でもないのに、妙に疲れる。
だが、不快な疲れではない。
むしろ、調子を狂わされ続けた疲れに近い。
母は戻ってきた私の顔を見るなり、完全に察した顔をした。
「あら」
「お母様」
「巻き込まれたのね」
「ええ。かなり」
兄が横で吹き出した。
「だから言っただろ」
「お兄様は、もう少し事前に詳しく言うべきでしたわ」
「俺もここまでとは思わなかったんだよ」
父はそこで一言だけ。
「……娘が懐柔されている」
「懐柔、ではありませんわ」
私は即座に否定した。
「ただ、少々対処が難しいだけですの」
母は扇の向こうで笑う。
「それを懐柔されていると言うのではなくて?」
「違いますわ」
だが、その否定にあまり自信がなかったのは事実である。
帰り際、エリザベート様は本当に嬉しそうに私へ言った。
「またお話ししてくださいませ」
「ええ」
「次はもっとゆっくり」
「ええ」
「ルクレツィア様のお話、まだまだ聞きたいことがたくさんありますの」
私は少しだけ笑いそうになった。
「わたくし、そんなに面白いかしら」
するとエリザベート様は、ためらいなく頷いた。
「とても」
かなり真っ直ぐである。
その夜、私は記録帳を開いた。
エリザベート様の推し活に、どうやら本格的に巻き込まれ始めたようですわね。
褒める。
知りたがる。
喜ぶ。
そしてまた褒める。
悪意もなく、妙な駆け引きもなく、ただ真っ直ぐに好意を向けてこられるので、対処がかなり難しいですわ。
ですが、嫌ではありませんでした。
むしろ、少々調子を狂わされながらも、かなり嬉しくはありましたの。
そこまで書いて、私は少しだけ手を止めた。
それから最後に、一行だけ静かに足した。
どうやら“推される側”というのは、剣や訓練や仮出向よりずっと言葉の対処が難しく、しかも好意で来られると逃げにくいもののようですわね。
……かなり面倒で、かなり悪くありませんわ。
私は羽根ペンを置き、少しだけ笑ってしまった。
お兄様の婚約者は、本当に良い方だった。
そして、その良い方は、どうやら本気でわたくしを推すつもりらしい。
それならもう、少し巻き込まれてみるしかないのかもしれない。
――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、兄の婚約者エリザベートによる真っ直ぐすぎる好意と称賛と関心、いわば“推し活”に本格的に巻き込まれ、騎士学校でも第八騎士団でも味わったことのない種類の対処の難しさと、しかし確かな嬉しさを、少し困りながら受け止めることになるのだった。




