幕間 ルクレツィアが三年前期課程修了後に帰省した夜の公爵家秘密会議
その夜、ヴァルツェン公爵家では、やはり秘密会議が開かれていた。
もはや定例である。
ルクレツィア・フォン・ヴァルツェンが、何か一つ節目を越える。
すると父と母と兄が集まり、あれは本当に大丈夫なのかを確認し合い、最終的に“大丈夫とは言い切れないが、前よりずっと筋は通っている”あたりへ着地する。
今回も、だいたいその流れだった。
場所はいつもの小会議室。
扉の外には信頼できる使用人のみ。
中にいるのは、父、母、兄の三人だけ。
ルクレツィア本人は当然いない。
本人がいれば話が早いようで、別の意味でややこしくなるからである。
最初に口を開いたのは父だった。
「……また変わったな」
低い声だった。
だが、その一言でこの夜の会議の主題はもう十分に示されていた。
母が静かに頷く。
「ええ」
兄は椅子へもたれたまま、小さく息を吐いた。
「しかも今回は、前までと変わり方の質が違う」
父が兄を見る。
「お前もそう思ったか」
「思うよ。騎士学校に入ったばかりの頃とか、一学年の終わりとか、二年進級の時とか、そういうのとも違う」
母が言う。
「ええ。夏は“学校で得たものを持ち帰った”だった。冬は“騎士学校の側の立場ごと、そのまま帰ってきた”だった。でも今回は、それとも違うのよ」
そこで少し沈黙が落ちる。
全員が、同じものを見ていたからだろう。
父が低く言った。
「“外”を知った顔だったな」
母が静かに息を吐いた。
「ええ。それが一番近いわ」
兄も頷く。
「準王国騎士団服そのものの重さもある。でも、それだけじゃない。今度は“その服で仮出向まで済ませて戻ってきた”感じが前に出てた」
父は腕を組んだまま、少し考えるように視線を落とした。
「似合っていた」
母が少しだけ笑う。
兄も口元を緩める。
「父上、それ毎回言ってるな」
「事実だ」
父は即答した。
だが今回は、その“似合う”の意味が前よりずっと重い。
騎士服が似合う。
騎士学校制服が似合う。
準王国騎士団服が似合う。
その段階はもう過ぎている。
今のルクレツィアは、“少し外を知ってきた者として、その服を着た姿ごと似合う”のだ。
それが、父には少々面倒で、かなり重く、だが同時に否定しにくい事実だった。
母が言う。
「今回のルゥ、前より“綺麗に見せようとして整っている”感じが薄かったでしょう?」
「ええ」
兄が先に頷く。
「そこが一番違った。結果としては整ってる。でも、“整えて見せる”より“そこに必要な形で立つ”感じが強い」
父が低く言う。
「オズヴァルトもそう見ていたな」
「ええ」
母は答える。
「“向こうで削られたものがある動き”だと」
その表現が、この夜の会議ではかなりしっくり来た。
削られた。
増えたのではない。
削られた。
余計な一拍。
余計な言葉。
余計な“整えてから出す”気配。
そういうものが少し薄くなった。
だから立ち方が静かになり、視線が落ち着き、動きの順番が変わる。
父がそこで言う。
「第八騎士団、か」
母が父を見る。
「気になります?」
「当然だ」
父は即答した。
「娘を三か月預けた先だ。気にならん方がおかしい」
兄が苦笑する。
「それはまあそうだな」
「しかも、ただ訓練しただけではない。実際に向こうの流れの中へ入ってきたのだろう」
「ええ」
母が頷く。
「本人も“学校で通る形と、現場で残る形の差をかなり露骨に見せてきた”と」
父は少しだけ目を細めた。
「正しさの順番が違う、とも言っていたな」
「ええ」
母は静かに頷く。
「それが、今回のルゥの変化の芯なのでしょうね」
兄がそこでぼそりと言う。
「要するに、“正しい自分”を出す順番が少し後ろへ下がったんだろ」
母がそちらを見て、小さく笑った。
「あなたにしては、かなり本質的な言い方ね」
「失礼だな」
だがその通りだった。
ルクレツィアは元々、正しくありたい子だ。
それ自体は悪くない。
だが、現場では“その場を一つましにして抜ける”方が先に来ることがある。
その順番の変化を、娘は三か月で少し身体へ入れて帰ってきたのだろう。
父が低く言う。
「となると、今回の帰省は少し難しいな」
母がすぐに頷く。
「ええ。たぶん今までで一番」
「どういう意味だ」
「ルゥは今、“外を少し知った順番”を持ったまま屋敷へ帰ってきているのよ」
その言葉に、兄も黙って頷いた。
母は続ける。
「でも屋敷は、第八騎士団ではない。公爵家には公爵家の速度がある。急がせなくていいもの、立ち止まってよいもの、丁寧である方がいいものもある」
「ええ」
「つまり今回は、外で削られた順番をそのまま家へ流し込めば、逆に少し硬くなる可能性がある」
父が考え込むように腕を組み直した。
「だから、“少し外を知った娘を家へ入れる時間”か」
母が父を見る。
それから、静かに微笑んだ。
「ええ。まさにそれです」
父がその言葉を反復する。
「少し外を知った娘を、家へ入れる」
それは、かなり正確な整理だった。
今までの帰省は、学校で変わった娘が戻る、という意味合いが強かった。
だが今回は違う。
“外を一度見た者”として帰ってきている。
だから家の側も、それを前提に見方を変えなければならない。
兄が言う。
「今回のルクレツィアって、前より“家の娘”じゃなくなったわけじゃないよな」
「当然です」
母がすぐに答える。
「でも、“家の娘だけ”ではなくなった、なのよ」
父が短く言う。
「その通りだ」
そこがこの夜の会議で一番大きい確認だった。
家の娘でなくなったわけではない。
だが、家の娘であることだけでは表せなくなっている。
そこへ“外を少し知って戻った者”が重なっている。
それは、公爵家としてはかなり面倒だ。
だが同時に、見逃せない成長でもある。
母が少しだけ声を柔らかくする。
「でも、悪い顔ではなかったでしょう?」
「ええ」
父が頷く。
「むしろ、前より筋が通っていた」
「そうなのよね」
母も頷く。
「前より“どう見えるか”より“今そこへどう立つか”を先にしている顔だった」
兄が笑う。
「それ、かなりルクレツィアっぽいな」
「ええ」
「でも前より嫌な感じが増してた」
父が兄を睨む。
「言い方」
「いや、でも本当だろ」
兄は悪びれない。
「何かこう、前より“こちらが様子を見ていると、向こうももう一段深いところで見返してきそう”な感じが増した」
母が少しだけ吹き出しそうになるのを堪える。
「それも少し分かるわ」
父は本気で嫌そうな顔をした。
「お前たち、娘を何だと思っている」
「面白い娘」
「忙しい娘」
「本当に厄介な娘」
三人とも少しずつ違う答えを出したが、どれもそれなりに当たっていた。
少しの沈黙のあと、父が改めて話を戻した。
「問題は、この帰省の間に何を見るかだ」
母が頷く。
「ええ。今回は剣の動きだけでは足りないわね」
「どう見る」
「まず、急がせないでいい場面で急がないか、ですわね」
兄が首を傾げる。
「どういう意味だ」
「第八騎士団では、遅れないことがかなり重かったのでしょう? なら、その順番を家の中へ持ち込みすぎると、今度は必要以上に張ったままになるわ」
「なるほどな」
父が低く言う。
「つまり、家の速度へ再接続できるかを見るわけか」
「ええ」
「ただし、外で得た順番を消さずに」
「ええ」
それはかなり面倒な調整だった。
だが、今のルクレツィアにはたぶん必要なのだろう。
兄が言う。
「オズヴァルトはまた喜びそうだな」
「喜ぶ、というより、やるべきことが増えて面白がるでしょうね」
母が言う。
父もそこは否定しなかった。
「それと」
父が続ける。
「婚約の件だが」
母が少しだけ目を細める。
兄も少しだけ顔を上げる。
ああ。
そこへ行きますのね。
「今回のルゥを見る限り、やはり今すぐどうこうする話ではないな」
父のその言葉に、母はすぐ頷いた。
「ええ。ますますそう思うわ」
「理由は」
「今のルゥは、“誰かの隣へ入る自分”より、“何を持ち帰り、何を置いていくか”を調整している段階でしょう?」
「ええ」
「そこへ婚約という別の重さを今の順番で乗せるのは、少し早い」
父が低く言う。
「だが、前より少し“誰かの隣へ立つ”ことの意味は分かるようになったのではないか」
それは、少しだけ意外な言葉だった。
母も兄も、父の方を見た。
父は続ける。
「正しさを先に通すのではなく、その場を一つましにして次へ渡す。そういう感覚を知ったなら、以前よりは“相手と並ぶ”ことの重さも分かるようになるかもしれん」
母は少しだけ考え、それから頷いた。
「……なるほど」
「ええ」
「そういう意味では、前より“自分だけで完結しない重さ”は知ったのかもしれないわね」
兄が少し笑う。
「それでも、好きになった方じゃないと嫌なんだろうけどな」
「当然でしょうね」
母が穏やかに答える。
父はそこで少しだけ息を吐いた。
「なら、今はまだよい」
それでこの件は、少なくとも今夜はそれ以上深くは進まなかった。
代わりに三人は、仮出向帰りの娘をこの屋敷でどう見るか、何を見て、何を急がせず、何を整えさせるかという、かなり現実的でかなり家族らしい話へ戻っていった。
会議の終わり際、母がぽつりと言った。
「今回の帰省、少し楽しみなのよね」
父が母を見る。
「何がだ」
「ルゥが、外で削られた順番を持ったまま、家の中でどこまで柔らかくいられるか」
兄が笑う。
「母上、その言い方だと実験みたいだな」
「少し似たところはあるでしょう?」
父は本気で嫌そうな顔をした。
だが、完全には否定しない。
それもまた答えなのだろう。
少し外を知った娘が家へ帰る。
その娘が、家の中でどんな速度を選ぶのか。
何を急がせ、何を急がせないのか。
それは確かに、家族として気になるところだった。
父が最後に低く言った。
「……本当に忙しい娘だ」
母が穏やかに微笑む。
「でも、良い娘でしょう?」
「誰も悪いとは言っていない」
兄がそこへ軽く乗る。
「むしろ前より面白くなった」
「お前はもう少し言い方を考えろ」
だが、父のその咎めも、どこか柔らかかった。
今回の帰省は、たしかに重い。
だが、その重さは不安だけではない。
少しの安心と、少しの納得と、少しの期待も含んでいる。
それが、この夜の公爵家秘密会議の結論だった。
――こうして、ルクレツィアが三年前期課程修了と第八騎士団での仮出向を終えて帰省した夜の公爵家秘密会議は、“少し外を知った娘を家の中へどう入れ直すか”という新しい課題を家族が共有しつつ、その変化を危うさよりも筋の通った成長として受け止めていく夜になったのだった。




