第77話 仮出向から戻ったあとに最初に分かるのは、どうやら「前と同じ場所へ戻っても、前と同じ感覚では立てない」ということですわね
第八騎士団での仮出向を終え、準騎士宿舎へ戻った翌朝。
私は目を覚ました瞬間、ほんの少しだけ妙な感覚を覚えた。
見慣れた天井。
見慣れた机。
見慣れた宿舎の音。
戻ってきたのだ。
それは間違いない。
だが同時に、もう“そのまま元の場所へ戻った”とも言い切れなかった。
同じ場所だ。
同じ準騎士宿舎だ。
同じ騎士学校の朝だ。
なのに、立つ感覚が少し違う。
よろしい。
かなり面倒ですわね。
ですが、たぶん悪くない変化ですわね。
起き上がり、制服を整え、帯剣し、短く呼吸を置く。
動作そのものは変わらない。
だが、何を先に見ているかが変わっている。
以前なら、自分の整い方が先に来ていた。
今は少し違う。
自分が整っているか。
もちろんそれも大事だ。
だが、その前に“今ここで流れを止めないか”が先に来る。
それは、仮出向前の私にはなかった順番だった。
廊下へ出ると、ちょうどレオンがいた。
彼は私を見るなり、ほんの少しだけ目を細めた。
それは驚きでも、歓迎でもない。
もっと妙なものだった。
「戻ったな」
「ええ」
「……何か違うな」
私は少しだけ首を傾げた。
「そうかしら」
「分からん。でも違う」
よろしい。
かなり雑ですが、かなり本質でもありますわね。
そこへイリーナが来た。
彼女は私を一目見て、すぐに言った。
「ちょっとだけ嫌な感じが増えた」
私はそちらを見た。
「褒めておりますの?」
「半分くらい」
「では、ありがたく受け取りますわ」
カイルは少し遅れて来て、私の顔を見たあと、短く言った。
「削れたな」
それが一番しっくり来た。
ええ。
たぶん、そうですわね。
何かが増えたというより、何かが削れた。
そして削れたぶん、前より見え方が静かになった。
広場へ向かう道すがら、レオンが聞いた。
「どうだった」
「第八騎士団ですの?」
「それ以外ないだろ」
私は少し考えた。
だが、一言で言うならやはりこれだ。
「回る場所でしたわ」
レオンが少し笑う。
「それ、お前らしい答えだな」
「そうかしら」
「でも、何となく分かる」
イリーナが言う。
「戻ってきた時点で、“学校の中でうまくやる”顔じゃなくなってるのよ」
かなり鋭いですわね。
主教官は、広場で整列した私たちを見ると、いつも通り短く告げた。
「仮出向組、復帰」
広場が静まる。
「戻った者は、持ち帰ったものを訓練へ戻せ」
それだけだった。
だが、十分だった。
私はその言葉に、静かに頷いた。
ええ。
そのつもりですわ。
だが問題は、持ち帰ったものを“そのまま”訓練へ載せればいいわけではない、ということだった。
最初の訓練は、二年生との混成総合訓練だった。
前と同じ形式。
前と同じ広場。
前と同じように、三年が二年へ教え、支え、通す。
ここで、私は戻ってきて最初の違和感をはっきり知った。
遅いのだ。
いや、二年生が遅いのではない。
それは前からそうだ。
違う。
“学校の中では許される一拍”が、前より強く遅く見えるのだ。
二年の一人が、横の詰まりを見てから足を出す。
以前の私なら、“丁寧だが遅い”くらいの認識だっただろう。
今は違う。
ああ。
その一拍で、次が鈍りますわね。
そう見えてしまう。
かなり困りますわね。
困る、というのは二年が悪いという意味ではない。
そうではない。
騎士学校では、そこまでの一拍がまだ許される。
許されるからこそ、学べる部分もある。
だが私は、仮出向で“許されない一拍”を身体へ入れて帰ってきた。
だから、どうしても差が見えてしまうのだ。
そしてその差が見えると、今度は三年としてどう教えるかが難しくなる。
速さをそのまま押しつければ、二年は潰れる。
だが、学校の速度へ完全に戻すと、自分の中で何かが鈍る気もする。
つまり。
何を持ち帰り、何を置いていくか。
戻ってきて最初に問われるのは、そこなのですわね。
訓練が始まる。
私はまず、一つだけ決めた。
仮出向で得た順番は捨てない。
だが、二年へその速度をそのまま要求しない。
だから、位置は先に取る。
だが言葉は以前より半拍だけ丁寧に置く。
「前、そのままでよろしいですわ」
「右は今すぐ切らなくていい」
「そこは見えてからでは遅いですの。先に半歩だけ」
「全部は要りませんわ。一つだけ合わせなさい」
二年生たちは、以前より私の言葉へ反応しやすくなっていた。
だが今日は、私の方が少し違う。
言葉を減らしすぎない。
だが、景色は先に置く。
その合わせ方が、思っていた以上に難しい。
途中、二年の一人が私へ聞いた。
「先輩、今のは何で先に分かったんですか」
以前の私なら、その問いへかなり細かく答えたかもしれない。
だが、今は少し違う。
「前の足が浅いまま横を見ましたもの」
「え?」
「つまり、次に止まりますわ」
二年生は一瞬だけ止まり、それから頷いた。
「……はい」
それでいい。
全部を説明しなくても、拾えるところまで落とせばよい。
そしてその落とし方が、前より少しだけ“現場帰り”になっているのだろう。
訓練の途中、主教官が私を見て言った。
「ヴァルツェン」
「はい」
「戻ったな」
「ええ」
「で、持ち帰ったものをそのまま押しつけないのは正解だ」
私は少しだけ目を細めた。
見られておりますわね。
「ありがとうございます」
「だが、まだ迷っている」
図星だった。
「ええ」
「どこまで学校の速度へ戻し、どこから外の順番を混ぜるか。そこだろう」
「ええ」
主教官は短く頷く。
「それでいい。戻って最初に要るのは、そこを切ることだ」
その言葉に、私は少しだけ安心した。
ああ。
この迷い自体は間違っておりませんのね。
仮出向から戻った者が、学校へ戻ってすぐに“全部を外仕様”へする必要はない。
むしろ、それをやれば訓練が壊れる。
だから、切る。
どこを持ち帰り、どこを置くか。
それを考える。
それが戻ってきた者の最初の課題なのだろう。
昼休憩、レオンが私を見ながら言った。
「何か、前より厳しいな」
「わたくしが?」
「うん。でも、前みたいに喋りすぎない」
イリーナが横で頷く。
「それに、“ここまでは待つ”って線も少しはっきりした」
カイルが静かに言う。
「仮出向前より、切るのが早い」
ええ。
そこは自分でも分かる。
遅らせない。
流れを鈍らせない。
そのために、以前より早く“一つだけ切る”ようになっている。
ただし、その切り方を今はまだ学校の中へ合わせている途中だ。
「少しは変わりましたのね」
私がそう言うと、レオンが苦笑する。
「少しどころじゃないだろ」
「そうかしら」
「でも、完全に別人って感じでもない」
「ええ」
「そこが、一番いいんじゃないか」
それは、かなり良い言葉だった。
午後の訓練では、仮出向組が前へ出て二年へ短い講評を返す時間があった。
私はそこで、一つだけ言った。
「全部を見ようとしなくてよろしいですわ」
二年生たちが私を見る。
「今、自分の役で切るべき一つだけを先に見なさい」
「その一つで流れが止まらなければ、あとはあとで整えられますの」
それは、たぶん仮出向前の私なら言わなかった言葉だった。
以前なら、“まず全部を見て、正しい順番を理解しなさい”に近かっただろう。
今は違う。
全部を見ようとしなくていい。
まず一つ切れ。
止まらなければ、そのあと整えろ。
そういう順番になっている。
訓練の終わり際、主教官が全体へ言った。
「仮出向から戻った者は、前と同じ場所へ立つ」
広場が静まる。
「だが、前と同じ感覚で立つな」
その言葉は、今日一日をそのまま言い当てていた。
「持ち帰った順番を消すな」
「だが、学校で育てるべきものまで外の速度で潰すな」
「切れ」
短い。
だが十分だった。
その夜、私は記録帳を開いた。
仮出向から戻って最初に分かるのは、“前と同じ場所へ戻っても、前と同じ感覚では立てない”ということ。
第八騎士団で得た順番を、そのまま学校へ押しつけてはいけない。
だが、捨ててもいけない。
持ち帰るべきは、“何を先に切るか”の感覚。
置いていくべきは、“学校でも全部を現場の速度で処理しようとする焦り”なのかもしれませんわね。
そこまで書いて、私は少し手を止めた。
それから最後に、一行だけ静かに足した。
どうやら仮出向から戻るとは、“外で削られた順番を抱えたまま、学校で育てる速度へ再接続すること”のようですわね。
……かなり面倒で、かなり良いですわ。
私は羽根ペンを置き、準王国騎士団服の袖を静かに撫でた。
よろしい。
戻ってきたのだ。
ならば、今度はこの順番を学校の中で通る形へもう一度整え直せばよい。
それだけの話である。
――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、第八騎士団から騎士学校へ戻ったあと初めての総合訓練を通じて、“外で削られた順番”をそのまま押しつけるのではなく、学校で育てるべき速度へ再接続していくという、仮出向後ならではの新しい調整へ足を踏み入れていくのだった。




