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公爵令嬢に生まれたので断罪に備えていたら、なぜか王国最強になっていました  作者: 玉響すばる


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幕間 ルクレツィアの乙女を知った公爵家秘密会議と公爵家使用人会議

 ルクレツィア・フォン・ヴァルツェンが、婚約の話を振られた瞬間に露骨な絶望を見せ、その理由が「ちゃんと好きになった方でないと嫌ですの」という、驚くほど真っ当で驚くほど乙女らしいものであったその夜。


 ヴァルツェン公爵家では、二つの会議がほぼ同時に発生していた。


 一つは、いつもの小会議室で開かれる公爵家秘密会議。

 もう一つは、使用人たちの間で静かに、しかし異様な速度で共有されていく公爵家使用人会議である。


 どちらも正式名称ではない。

 だが実態としては、もう完全に会議だった。


 まず、小会議室。


 父、母、兄の三人がいつもの顔ぶれで座っている。

 今夜はいつもより少し空気が柔らかい。

 いや、柔らかいというより、微妙に処理しきれていない空気だった。


 最初に口を開いたのは兄だった。


「……いや、本当にびっくりした」


 母がカップへ手を添えたまま頷く。


「ええ。私もよ」


 父は腕を組んだまま、少しだけ疲れた顔で言った。


「私もだ」


 沈黙。


 そしてその沈黙の中心には、さっき食卓で見たルクレツィアの絶望顔がある。


 母が小さく息を吐く。


「まさか、あそこまで分かりやすく顔へ出るとは思わなかったわ」


「出たな」


 兄が即答する。


「かなり出た」


「ええ」


 母は少しだけ笑いそうになりながら言った。


「本当に“終わりました”みたいなお顔をしていたもの」


 父が低く言う。


「婚約そのものが嫌なのかと思った」


「私も最初はそう思ったわ」


「俺も」


 だが違った。

 そこが、この会議の妙な重さであり、妙な柔らかさでもあった。


 父が少しだけ視線を落とす。


「“ちゃんと好きになった方でないと嫌ですの”か」


 その言葉を、父は少しぎこちなく口にした。

 たぶん、娘のその種の感情を声に出して反復するのが少し照れくさいのだろう。


 兄が即座に言う。


「父上、その言い方だと何か面白いな」


「うるさい」


「いや、でも分かるけどな。あのルクレツィアがそこまで真っ直ぐ“好きになった方”って言うの、破壊力あった」


 母が静かに頷く。


「ええ。びっくりしたけれど、でも同時に少し安心したのよね」


 父が母を見る。


「やはりそうか」


「ええ」


「私も少しだ」


 兄がそこで吹き出しかける。


「父上も安心したのか」


「悪いか」


「悪くないけど、正直だな」


 父は少しだけ嫌そうな顔をした。

 だが、否定はしない。


 母が言う。


「だって、今までのルゥって、あまりにも“必要ですもの”の生き物だったでしょう?」


「ええ」


「剣。槍。行軍。たんぱく質。部分鎧。市場で肉」


 兄が指を折るように数える。


「改めて並べると本当にひどいな」


「ひどくありませんわ」


 と、いつものようにルクレツィアがどこからともなく口を挟みそうな気配を三人とも一瞬だけ感じたが、当然本人はここにいない。


 母は少し笑って続けた。


「そういう子だから、婚約の話にもまったく夢がないのでは、と少しは思っていたのよ」


「夢がないというより、優先順位が低すぎる、だな」


 兄が補足する。


 父も頷いた。


「だが違った。優先順位が低いのではなく、むしろ重く見ているからこそ雑に扱われるのが嫌なのだな」


「その通りね」


 母は穏やかに言った。


「そこが、かなり乙女だったわ」


 少しの沈黙。


 兄がぼそりと言う。


「“物凄く乙女だった”の方が正しい気がする」


 父も、今度は否定しなかった。


「……そうだな」


 その瞬間、三人の中で何かが少しだけ定まった。


 ルクレツィアは変わっている。

 それは事実だ。

 だが、変わっているからといって感情の根までおかしいわけではない。

 むしろ、根の部分は驚くほど普通で、驚くほど繊細で、驚くほど乙女らしい。


 そこがようやく、家族の中でも言葉として共有されたのだ。


 兄が背もたれへもたれたまま言う。


「で、父上と母上はどうするんだ」


「何をだ」


「今後の婚約話。今日の反応を見たあとで、家としての扱い変わるだろ」


 父は少し考えた。


「変わる」


「やっぱりな」


「少なくとも、“婚約に興味がないから後回し”という整理は捨てる」


 母が頷く。


「ええ。“興味がない”のではなく、“雑に決められたくない”のだもの」


「なら、外向きの説明も少し変わりますわね」


 兄が言う。


「どう変える」


「今までは“騎士課程に専念させている”が中心だったけれど、今後はそれに加えて“本人の意思を尊重している”も含めた方が自然でしょう」


 父が低く言う。


「公爵家が、そこまで娘の意思を前へ出すのは軽く見られぬか」


 母が首を振る。


「軽くは見られないわ。むしろ今のルゥは、制服のまま帰省しても浮かないところまで来ているのよ。そこへ婚約だけ家の都合で押す方が、逆に不自然だもの」


 兄が笑う。


「それに、“好きになった方でないと嫌ですの”って本人が言ったあとで、それを無視して話を進めたら、さすがに家族の負けだろ」


「負け、という表現は好きではない」


 父はそう言ったが、少しだけ言い返しにくそうでもあった。


 確かにそうなのだ。

 あそこまで露骨に絶望し、しかも理由があまりにも真っ当なら、むしろ家族の方がその感情を踏みにじりにくい。


 それが今夜の大きな収穫であり、同時に大きな面倒でもあった。


 母がふいに小さく笑う。


「でも、ちょっと可愛かったわね」


「どこがですかな」


 兄が、いつの間にか少しだけ母の口調へ引っ張られた調子で聞く。


「“ちゃんと好きになった方でないと嫌ですの”よ」


 母はその言葉を大事そうに反復した。


「普段あれだけ剣だの槍だの言っている子が、そこだけはあんなに真っ直ぐなのよ。可愛くないはずがないでしょう」


 父が少しだけ視線を逸らした。

 兄は完全に笑っている。


「父上、今ちょっと分かる顔したな」


「うるさい」


「でも、本当にそうだよな。あいつ、理屈っぽいくせに、こういう時だけ芯が妙にまっすぐなんだよ」


「理屈っぽいからこそでしょうね」


 母が言う。


「雑なものを嫌う子なのよ。だから婚約みたいに重いものへ、雑な順序を許せない」


 それで、小会議室の方は一応の結論へ落ち着いた。


 ルクレツィアが乙女であることは確定。

 婚約は引き続き急がない。

 ただし、“本人がそういう感情を大事にする”ことは家としてきちんと前提に入れる。


 かなり家族らしい、少しだけやわらかい結論だった。


 そしてその頃、屋敷の別の場所では、もう一つの会議が静かに進行していた。


 公爵家使用人会議である。


 正式な場ではない。

 だが、空気としてはもう完全に会議だった。


 中心にいるのは、当然グレゴールだ。

 その周囲に、ミア、年長侍女、料理長、若い下働き、そしてなぜか庭師までいる。


「つまり」


 若い下働きが小声で言った。


「お嬢様は、婚約の話をされて絶望なさったのですか」


「そうです」


 ミアが頷く。


「ですが理由が、あまりにも普通で」


「普通だったのよ」


 年長侍女が言う。


「むしろ、それでみんな少し安心したくらい」


 若い下働きはまだ半信半疑だった。


「でも、お嬢様ですよ?」


「お嬢様です」


 グレゴールが静かに返す。


「だからこそです」


「どういう意味ですか」


「お嬢様は、剣も、槍も、制服も、部分鎧も、食事も、全部“きちんとしたい”方です。婚約だけが例外であるはずがありません」


 料理長が腕を組んで頷く。


「確かにな。肉の部位を見に市場まで行くお嬢様が、婚約相手を適当に決めていいと思うはずもない」


「料理長、その例えは少々どうかと思います」


 ミアが言う。

 だが完全には否定しない。

 たしかに理屈としてはつながっているからだ。


 年長侍女が小さく笑う。


「でも、よかったじゃない。お嬢様がちゃんと乙女で」


「知っていました」


 グレゴールが淡々と言う。


「知っていたんですか……」


 若い下働きがまた驚く。


「はい」


「どうして」


「長く見ておりますので」


 それは簡潔だったが、本質でもあった。


 ミアが言う。


「私も、今日の反応でようやく“ああ、本当にそういうところは普通なのだ”と思いました」


「普通、か」


 庭師が初めて口を開いた。

 無口な男だが、たまに妙に本質を突く。


「普通じゃなくて、真っ直ぐなんだろ」


 その言葉に、少しだけ場が静まった。


 グレゴールがゆっくり頷く。


「ええ。たぶんそうです」


「真っ直ぐ?」


 若い下働きが聞き返す。


「順序を飛ばされるのが嫌なのです」


 グレゴールは静かに言う。


「好きになる前に婚約だけ決まるかもしれない。そのことへ絶望なさった」


「……なるほど」


「ですから、お嬢様は乙女なのです。しかも、かなり」


 そこへ料理長がぼそりと言う。


「相手も大変そうだな」


 全員が少しだけ黙った。


 そして、誰からともなく頷いた。


 それはそうだろう。

 相手は大変だ。

 かなり大変だ。


 剣、槍、行軍、制服、たんぱく質、市場、部分鎧。

 その全部を通ってきたうえで、“ちゃんと好きになった方でないと嫌ですの”と言う公爵令嬢なのだ。


 生半可では務まらない。


 ミアが少し夢見るような声で言う。


「でも、その時は見てみたいです」


「何をです」


「お嬢様が、本当にどなたかを好きになられた時のお顔を」


 その言葉に、年長侍女が笑い、若い下働きが少し赤くなり、料理長が「たしかにな」と低く言った。


 グレゴールだけは、穏やかな顔でそれを聞いていた。


 その時の顔は、たぶん面白いだろう。

 かなり。

 そして同時に、驚くほど真っ直ぐなのだろう。


 そう思うと、少しだけ楽しみでもあった。


 そしてこの夜、ヴァルツェン公爵家では、主の側でも使用人の側でも、ほぼ同じ結論が共有された。


 ルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、やはりかなり変わっている。

 だが、その変わり方の奥にある感情の芯は、驚くほど真っ直ぐで、驚くほど乙女である。


 だからこそ、婚約の話にあれほど絶望したのだ。

 そしてだからこそ、いずれ誰かを好きになった時は、たぶん誰よりも面倒で、誰よりも誠実で、そして誰よりもちゃんと乙女らしくなるのだろう、と。


 それが、秘密会議と使用人会議の、揃いすぎた結論だったのである。

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