第53話 夏季休暇という名の夏季錬成を終えた頃には、わたくしも少しだけ皮が剥けておりましたわ
夏季休暇は、世間一般では休むための期間らしい。
なるほど。
理屈は分かる。
暑い。
前期は終わった。
一度身体も頭も戻し、英気を養い、次に備える。
極めて健全である。
ただし。
わたくしに関して言えば、それは少し違った。
休んではいた。
ええ、もちろん休んではいたのだ。
前期課程修了試験の直後など、脚も肩も背も、かなりひどい有様だった。
睡眠も必要だったし、食事も必要だったし、何より一度“騎士学校の流れ”から切り離して、自分の感覚へ戻す時間はたしかに必要だった。
だが、それだけで終わるはずがない。
屋敷へ帰れば、オズヴァルトがいる。
庭がある。
屋敷の中には、騎士学校より静かで、騎士学校より深く、自分の型を見直せる時間がある。
さらに、重り入り部分鎧まで買った。
こうなれば、もうそれは休暇ではなく、夏季錬成である。
極めて自然な流れだった。
朝は少し早めに起きる。
騎士学校ほどではない。
だが緩めすぎない。
最初の数日は、ただ歩くことから始めた。
部分鎧も剣も持たない。
ただ、自分の身体がどこまで疲れを抜き、どこに騎士学校の型を残しているかを見る。
歩く。
止まる。
振り返る。
礼をする。
それだけでも、かなり分かった。
学校の型は入っている。
待ちが少し浅くなった。
集団へ寄せる癖もついた。
だがその分、以前より“戻り”を細く使うようになっている。
悪くはない。
だが、そのままでは私の芯が少し薄くなる。
そこを、オズヴァルトは容赦なく見た。
「お嬢様」
「何かしら」
「前へ出すぎることは減りました」
「ええ」
「ですが、戻す時に少しだけ遠慮が入っております」
鋭い。
かなり鋭い。
「学校の型が悪いわけではありません」
「ええ」
「ですが、お嬢様の場合、“噛み合わせる”ことを覚えた結果、“削らなくてよい部分”まで少し削っております」
私はその言葉を重く受け取った。
たしかにそうだ。
騎士学校では、個人で整いすぎていても駄目だった。
班の流れへ寄せる必要があった。
その学びは正しい。
だが、正しいからといって、ずっと同じ角度で削ってよいわけではない。
そこで必要になるのが、屋敷での再調整だった。
つまり、夏季錬成の第一段階は、元へ戻すことではない。
騎士学校で得たものを残しつつ、“削りすぎた部分だけを戻す”作業だった。
これが難しい。
かなり難しい。
前期で私は、学校の型を身体へ入れた。
それを一度壊すのは愚かである。
だが、そのままだと私の型が薄くなる。
つまり必要なのは、破壊ではなく接続だ。
よろしい。
大変面白い。
午前の調整が終わると、数日後から重り入り部分鎧が入った。
最初は肩だけ。
次に前腕。
その次に脛。
最後に胸。
全部を一度にはやらない。
店主の言葉も、オズヴァルトの言葉も正しい。
重りを増やすこと自体が目的になった時点で、訓練は濁る。
だから、日ごとにずらす。
歩く日。
駆け足の日。
入りと戻りだけを見る日。
部分ごとの揺れを確かめる日。
これが、本当に効いた。
騎士学校で部分鎧を着けた時は、“嫌だが必要”だった。
夏季錬成では、その嫌さをもっと細かく分解できる。
肩に重りがあると、視線の戻しが半拍遅れる。
前腕に入ると、受けたあとの細かい線が鈍る。
脛は歩幅を雑にするとすぐ露呈する。
胸は呼吸の質を荒くする。
つまり、“部分鎧が重い”ではなく、“どこがどう死ぬか”が見えてくる。
それはかなり大きかった。
そして、そこへ食事の調整まで入った。
市場へ行って肉を見た日を境に、屋敷の食卓は少し変わった。
もちろん、公爵家の品位をかなぐり捨てて、皿いっぱいに肉塊が出るわけではない。
そこまでやると母が倒れる。
だが、明らかに違った。
肉の出方が増えた。
卵と乳が少し意識されるようになった。
豆も、以前より“飾り”ではなく“材料”として出るようになった。
母は複雑そうだったが、否定はしなかった。
むしろ数日後には、料理人と真面目に話していた。
大変によろしい。
兄はそれを見て笑った。
「お前、本当に屋敷の食卓まで騎士学校仕様へ寄せるのか」
「寄せるのではありませんわ」
私は答えた。
「必要なものを足しているだけですの」
「その理屈が一番厄介なんだよな」
たしかにそうかもしれない。
ただ、結果として私は前より少し食べるようになった。
少し寝るようにもなった。
そして、少しだけ身体の戻りが早くなった。
食事も睡眠も、やはり訓練と切り離せない。
そのあたりまで含めて、夏季錬成は騎士学校よりむしろ密度が高かった。
さらに厄介だったのは、父と兄が時々見に来ることだった。
父は露骨には口を出さない。
だが、見ている。
歩き。
駆け足。
部分鎧の揺れ。
剣の入り。
そして、たまにだけ言う。
「今の戻りは前の方が良い」
「そこは学校の癖が出ているな」
「その重りはまだ重い」
驚くほど的確である。
父も父で、見ているのだ。
兄はもっと分かりやすかった。
「前よりやりにくいな」
「そこ、また静かになった」
「でも今のは学校で得た方が効いてる」
たぶん兄は兄で、私が変わるのを面白がっている。
だが同時に、ちゃんと見てもいる。
母は母で違うところを見た。
「ルゥ、食べ方が少し変わったわね」
「そうかしら」
「ええ。前より“美味しく食べる”だけではなく“必要だから食べる”顔をする時がある」
それは、少しだけ図星だった。
騎士学校へ行ってから、食事は以前より“材料”として見える時が増えた。
味を軽んじるわけではない。
だが、味だけで終わらなくなった。
そういう変化もまた、夏季錬成の一部だったのだろう。
そして何より大きかったのは、オズヴァルトとの仕上げだった。
休暇の終盤、彼ははっきりと言った。
「お嬢様」
「何かしら」
「少し剥けましたな」
私はその言葉に、少しだけ目を瞬かせた。
「何がかしら」
「前期課程で得たものと、お嬢様の型の間にあった“硬い皮”です」
私は黙った。
オズヴァルトは続ける。
「学校で得た型をそのまま良しとせず、屋敷で削りすぎたところを戻した。その結果、前より噛み合わせが良くなりました」
「ええ」
「前より集団へ寄れる。ですが、前よりお嬢様の戻しも死んでいない。かなり良いところへ来ております」
その評価は、とても重かった。
私は静かに礼をした。
「ありがとうございます」
「ただし、二学期へ戻ればまた崩れます」
「ええ」
「そのたびに、また合わせていくのです」
「ええ」
それでよいのだと思う。
一度で完成しない。
崩れるたびに噛み合わせる。
それを繰り返す。
騎士学校の型。
私の型。
公爵令嬢としての姿。
騎士課程で必要な実用。
それらは、最初から一つではない。
だからこそ、合わせ続ける必要がある。
その意味で、この夏季休暇は本当に錬成だった。
休むだけではない。
壊すだけでもない。
再接続し、純度を上げる。
夏の終わり、私は鏡の前で自分を見た。
締まった身体。
短い髪。
静かな立ち方。
だが、入学前よりも、前期終了直後よりも、どこか自然だ。
騎士学校の空気を持ち帰りながら、それに呑まれてはいない。
良い。
かなり良い。
私はその夜、記録帳を開いた。
夏季休暇という名の夏季錬成を終えた。
部分鎧の揺れを細かく分解できた。
学校で削りすぎた部分を少し戻せた。
食事も、休み方も、前より実用的になった。
お父様もお兄様も、かなり見ていた。
お母様は食べ方の変化に気づいた。
オズヴァルトは“少し剥けた”と評した。
そして最後に、少しだけ大きく書いた。
どうやらこの夏で、わたくしも少しだけ一皮剥けたようですわね。
かなり良い。
私は羽根ペンを置き、短い髪を静かに払った。
よろしい。
これなら二学期へ戻れる。
前期をなぞるのではなく、その先へ行ける。
そう思えるだけで、この夏季錬成は十分に意味があった。
――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、夏季休暇という名の夏季錬成を通じて、騎士学校で得た型と自分の型をより自然に接続し直し、前期より一段深いところで“公爵令嬢のまま騎士課程を生きる自分”へと近づいていくのだった。




