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公爵令嬢に生まれたので断罪に備えていたら、なぜか王国最強になっていました  作者: 玉響すばる


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第52話 お母様、公爵家の食事は大変美味しいのですけれど、少々たんぱく質が足りないのではなくて?

 重り入り部分鎧を買ってから三日ほど経った頃、私は屋敷の食卓に対して一つの疑問を抱くようになっていた。


 いや、正確には以前から薄々思っていた。

 ただ、騎士学校へ行ってからその感覚がかなり明確になったのだ。


 公爵家の食事は美味しい。


 それは疑いようがない。

 味付けも良い。

 見た目も美しい。

 季節感もある。

 野菜も魚も果物も、きちんと整っている。

 母の美意識と料理人の技術が存分に発揮された、実に立派な食卓である。


 だが。


 少々、たんぱく質が足りない気がするのですわね。


 私は朝食の席で、焼いた白身魚とスープとパンと卵料理を前に、かなり真面目にそう考えていた。


 足りないというのは、絶対量の話ではない。

 一般的な公爵令嬢として見れば、十分なのだろう。

 だが、今の私は違う。


 騎士学校で訓練し、行軍し、野営し、部分鎧で走り、狭窄地で潰れ、帰省してからも重り入り部分鎧を買って調整に入っている。

 そういう身体に対して、今の食事は少々上品すぎる。


 上品なのは良い。

 大変良い。

 だが、必要性の前では少し弱い。


 私はスープを一口飲み、静かに理解した。


 肉が必要ですわね。


 父が私を見た。


「どうした」


「何かしら」


「今、妙に真剣な顔をしていた」


「食事のことですわ」


 母が少しだけ目を細める。


「口に合わなかった?」


「とんでもありません」


 私は即座に否定した。


「大変美味しいですわ」


「では何なの」


 来た。

 私は真面目に答える。


「お母様、公爵家の食事は大変美味しいのですけれど、少々たんぱく質が足りないのではなくて?」


 沈黙。


 兄がパンを持ったまま止まった。

 父の眉がわずかに動く。

 母は、非常に静かに紅茶を置いた。


「……たんぱく質」


「ええ」


「ルゥ」


「はい、お母様」


「食卓に対して最初に言うことがそれなの」


「必要ですもの」


 兄が吹き出した。

 感じが悪い。


「いや、でも騎士学校行って帰ってきた娘の第一声が“たんぱく質が足りない”はちょっと強いな」


「第一声ではありませんわ。今朝の第一声はおはようございますでしたもの」


「そこじゃないんだよ」


 父が低く聞く。


「根拠は」


 良い問いである。

 私はすぐに答えた。


「騎士学校の食事は、屋敷より質素ですわ。ですが、訓練量に対する構成はかなり実用的でしたの」


 母が少しだけ嫌そうな顔をする。

 公爵家の食卓に対し、騎士学校の食事構成が比較対象になるのは、たしかに複雑だろう。


「肉、卵、豆、乳、それらがかなり素直に出ておりましたわ。対して屋敷の食事は、洗練されておりますけれど、少々優雅すぎますの」


「優雅すぎる」


 母が復唱する。

 その声は少し危険だ。


「ええ」


 私は頷いた。


「今のわたくしには、もう少し分かりやすく身体の材料になるものが必要ですわ」


 父はそこで、なぜか少し納得した顔になった。


「……まあ、言いたいことは分かる」


 母が父を見る。


「あなた」


「いや、味の話ではないのだろう」


「もちろんですわ」


 私は答える。


「味は大変よろしいですの。必要量の問題ですわ」


 兄が笑いながら言う。


「ルクレツィア、お前そのうち“公爵家の夕食は美しいが筋肉には弱い”とか言いそうだな」


「少し近いですわね」


「言うんだ」


 母が額へ手を当てた。


「ねえ、ルゥ」


「何かしら」


「あなた、まさか自分で市場へ行く気ではないでしょうね」


 私は一瞬だけ止まった。


 そして理解した。

 お母様、かなり鋭いですわね。


「……行っては駄目かしら」


「やっぱり!」


 兄がとうとう声を上げて笑った。

 父も目を閉じた。

 母は本気で深くため息をついた。


「あなた、公爵令嬢なのよ?」


「ええ」


「肉が足りないと思ったから市場へ買いに行く公爵令嬢がどこにいるの」


「ここにおりますわ」


「そういう問題ではありません!」


 だが、私は本気だった。


 実際、料理人へ伝えるだけでもよい。

 食材の追加を頼むこともできる。

 だが、私は少し見たかった。


 市場へ行き、実際にどういう肉がどう並び、どれが新しく、どれが訓練する身体に向くか。

 そういうものを、一度自分の目で確認しておきたかったのだ。


 食事は大事である。

 そして、自分の身体へ入るものを知っておくのは、かなり重要だ。


 オズヴァルトがその場にいれば、おそらく「必要ですな」と言っただろう。


 父がそこで言った。


「一人では駄目だ」


「ええ」


「行くなら付き添いをつける」


「ええ」


「しかも目立たぬ形だ」


「ええ」


 母がすぐ言う。


「あなた、認めるの?」


 父は少しだけ疲れた声で答えた。


「止めても別の形でやるだろう」


 それは本当にそうである。

 父もよく分かってきた。


「しかも、食事の実用性を見たいという理屈そのものはそこまで外れていない」


 母は沈黙した。

 だが反論もしない。

 つまり、理解はしているのだろう。


 兄が面白そうに言う。


「じゃあ“公爵令嬢、市場で肉を買う”が実現するわけか」


「その言い方は少々雑ですわね」


「いや、事実だろ」


「事実ではありますけれど」


 その日の午後、私はミアと、護衛兼監督としてオズヴァルトまでつけられて市場へ出ることになった。


 かなり大事になりましたわね。


 だが悪くない。

 むしろよい。


 王都の市場は、武具店街ともまた違う熱があった。

 人。

 声。

 匂い。

 野菜の色。

 魚の光。

 肉の赤み。

 それぞれがそれぞれに“生活そのもの”を売っている。


 こういう場所は嫌いではない。

 むしろかなり面白い。


「お嬢様」


 ミアが小声で言う。


「本当に、肉だけを見るおつもりですか」


「肉だけではありませんわ」


「では?」


「卵も乳も豆も気になりますもの」


 ミアが目を閉じた。

 たぶん、今日の自分の役目が少し分からなくなっているのだろう。


 まずは肉屋だった。


 店先に吊られた塊。

 切り分けられた部位。

 脂の入り方。

 色。

 筋。

 鮮度。


 私は真剣に見た。

 料理名ではなく、部位として。

 火の入れ方ではなく、材料として。


 肉屋の主人が私たちを見て少しだけ不思議そうな顔をしたが、私が真顔で肉を見ていると分かると、すぐに声をかけてきた。


「お嬢さん、どれが要る」


「訓練のあとに向くのはどれかしら」


 主人が止まった。


「……訓練?」


「ええ」


「何の」


「色々と」


 横でオズヴァルトが咳払いした。

 だが訂正はしない。

 よろしい。


「脂が強すぎず、でも薄すぎないものが欲しいですわ。煮ても焼いてもいける方がよろしいですの」


 主人は数秒こちらを見てから、いくつか部位を示した。


「だったらこのあたりだな。若いのが食うなら、固すぎない方がいい」


 非常によろしい。


 私は色と張りを見た。

 悪くない。

 かなり悪くない。


「内臓は」


 私が問うと、今度は主人だけでなくミアまで止まった。


「お嬢様、内臓までご覧になるのですか」


「栄養がありますもの」


 肉屋の主人が、そこで少しだけ笑った。


「変わったお嬢さんだな」


「よく言われますわ」


 結局、私は肉だけでなく、卵も、豆も、乳も見て回った。

 量の問題。

 保存の問題。

 調理の融通。

 屋敷の料理人が扱いやすいか。

 全部を頭の中で並べる。


 市場へ来て正解だった。


 やはり、実物を見ると違う。

 食材は料理になる前の方が、身体の材料として分かりやすい。


「お嬢様」


 帰り道でオズヴァルトが言った。


「満足されましたか」


「ええ。かなり」


「で、何が分かりました」


「公爵家の食事は、やはり少々上品ですわね」


「そこへ戻りますか」


「戻りますわ。ですが改善の見込みもありますの」


 これは大きい。


 屋敷へ戻ると、母はすでに待っていた。

 私を見る顔が、半分諦めで半分興味である。


「どうだったの」


「かなり有意義でしたわ」


「そう」


「肉だけではなく、卵も乳も豆も大事ですわね」


 母がゆっくり瞬いた。


「……本当に勉強して帰ってきたのね」


「もちろんですわ」


 父も夕食時に結果を聞き、最後には一言こう言った。


「で、何を増やせばよい」


 よろしい。


 かなりよろしい。


 私は真顔で答えた。


「まず、分かりやすく肉ですわね」


 兄が吹き出した。


「やっぱりそこか」


「もちろんですわ」


 その夜、私は記録帳を開いた。


 公爵家の食事は美味しい。

 だが少々上品である。

 市場へ行き、肉、卵、豆、乳を見た。

 非常に有意義。

 やはり訓練する身体には、材料としての食事をもう少し意識すべきですわね。


 そして最後に、一行だけ静かに足した。


 どうやら夏休みのわたくしは、“騎士学校で得たものを屋敷へ持ち帰る”だけでなく、“屋敷の方も少しずつ騎士学校仕様へ寄せていく”つもりらしいですわ。


 ……かなり良いことではなくて?


 私は羽根ペンを置き、少し満足して息を吐いた。


 よろしい。


 食事もまた訓練の一部だ。

 そして必要なら、市場にだって行く。


 それだけの話である。


 ――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、公爵家の食卓に対して“少々たんぱく質が足りない”という極めて実用的な疑問を抱き、ついに市場へ自ら肉を見に行くという、またしても公爵令嬢らしからぬが理屈としてはかなり正しい行動を取り始めるのだった。

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