第51話 オズヴァルト、夏休みの間に少し重くしておきたいのですけれど
夏季休暇の三日目、私はようやく“休暇らしくない休暇”へ本格的に入った。
もちろん、休まないわけではない。
騎士学校の一学期を終えた以上、身体を戻す日も必要だ。
実際、前期課程修了試験の直後は、自分でも思った以上に脚と肩へ疲れが残っていた。
だが、休暇とは本来、次へ進むための調整期間でもある。
少なくとも、私にとってはそうだ。
学校で得たものをそのまま流すのではなく、一度屋敷で噛み合わせ直す。
学校の型。
私の型。
その両方を整えたうえで、次の学期へ戻る。
そこまで考えると、この夏休みは案外短い。
そして、その短い中で私は一つ、どうしても必要だと思うものがあった。
部分鎧である。
正確には、部分鎧に近い形で負荷をかけられるもの。
さらに言えば、重り入りの部分鎧だった。
騎士学校で部分鎧と帯剣で走らされた時、私ははっきり理解した。
あの訓練は良い。
かなり良い。
嫌だが、非常に良い。
重さそのものというより、揺れが増える。
身体の外側に、半拍遅れる何かが増える。
その中で呼吸と姿勢を保つ。
それは剣にも行軍にも、そしておそらく実戦にも繋がる。
ならば。
夏休みの間に、少し重くしておくのは極めて合理的である。
私は朝の軽い調整を終えたあと、庭でオズヴァルトへそう告げた。
「オズヴァルト」
「何ですかな」
「夏休みの間に、少し重くしておきたいのですけれど」
オズヴァルトは一瞬だけ黙った。
その沈黙は、意味の分からない沈黙ではない。
“何を言い出すかは分かるが、やはり言うのか”の沈黙である。
「何を、ですかな」
「部分鎧ですわ」
「でしょうな」
「重り入りを買いに行きたいですの」
オズヴァルトは小さく息を吐いた。
「お嬢様」
「何かしら」
「休暇とは」
「次へ進むための調整期間ではなくて?」
「おそらく一般論では違いますな」
だが、否定もされなかった。
そこが大事である。
「必要だと思う理由を聞かせてください」
私は素直に頷いた。
「騎士学校で部分鎧と帯剣の駆け足訓練がありましたわね」
「ええ」
「あれで分かったのですの。重さより揺れですわ。あの感覚を、もう少し身体へ入れておきたいのです」
オズヴァルトは黙って聞いている。
私は続けた。
「学校では学校の型がありますわ。ですが、休暇中ならわたくしの型へ寄せて、もう少し細かく慣らせますの。部分鎧に近い負荷を、自分の歩法や戻しの中へ馴染ませたいですわ」
数秒後、オズヴァルトが言った。
「理屈としては悪くありません」
よろしい。
「ですが」
来た。
「重ければよい、ではありません」
「ええ」
「学校の訓練をそのまま真似るのでも足りません」
「ええ」
「お嬢様の場合、重さを積めばすぐに“もっと出来る”へ行きかねない」
「心外ですわね」
「事実確認です」
少々失礼だが、否定もしきれない。
「ですから、買うとしても“調整できるもの”にしましょう」
「まあ」
それは良い。
非常に良い。
「重りの出し入れが可能で、部分ごとの配分も変えられるもの。見た目だけ鎧に寄せた玩具ではなく、訓練用として実用に足るもの」
「ええ。それが欲しいですわ」
「でしょうな」
というわけで、数日後、私は再びオズヴァルトと王都へ出ていた。
今回の買い物は、以前の実用剣や騎士服とは少し違う。
学校用品というより、かなり個人的な訓練具である。
つまり、店選びが重要だった。
武具店街の中でも、実戦用と訓練用の中間のような品を扱う店へ入る。
外から見れば地味だが、中はかなり良かった。
革の匂い、金具の匂い、厚布の気配。
見せるための店ではなく、使う者の店である。
店主は年配の女だった。
目が鋭い。
私を見るなり、令嬢相手の表情ではなく、使う者を見る目になった。
「何を探してる」
良い。
話が早い。
「部分鎧に近い負荷が欲しいのですけれど」
「見た目だけか、重さもか」
「重さもですわ」
「何のため」
「歩法、駆け足、入り、戻りを、外側の揺れ込みで崩しにくくしたいのです」
店主の目が少しだけ細くなる。
オズヴァルトは黙っている。
私に答えさせるつもりなのだろう。
「部分は」
「肩、前腕、胸、脛。腰回りは、剣の揺れと喧嘩しない程度」
「最初から全部盛る気かい」
「出来れば」
店主は鼻で笑った。
「駄目だね」
よろしい。
この人は信用できる。
「まずは抜ける形を作る。重くして動きが死んだら意味がない。揺れを入れたいのなら、段階を踏む」
「ええ」
「分かるのかい」
「かなり」
「口だけじゃないといいけどね」
そこで、いくつか品が出された。
一つ目は、布と革を組み合わせた軽装型。
見た目は部分鎧に近いが、負荷としてはまだ甘い。
二つ目は、肩と前腕に薄い重りを差し込める型。
かなり良い。
ただし胸の揺れが足りない。
三つ目で、私は少し目が止まった。
胸、肩、前腕、脛、それぞれに交換式の重りが入る。
重くしすぎない初期設定も可能。
しかも、締め具合で揺れ方を少し変えられる。
これはかなり良い。
かなり悪くない。
「それですかな」
オズヴァルトが言う。
「ええ。かなり」
私は実際に着けてみた。
まずは最軽量の状態で。
立つ。
一歩。
半歩。
腕を上げる。
体を返す。
良い。
明らかに“何かが増えた”と分かる。
だが、死んではいない。
「次」
店主が言った。
「肩を一段だけ上げるよ」
重りが増える。
再び動く。
肩が遅れる。
前腕の返りも増える。
だが、まだ対処可能だ。
「次は脛だ」
増える。
……嫌ですわね。
だが必要だ。
前へ出る時、脚の返りが一瞬遅れる。
歩幅を雑にするとすぐ乱れる。
これはかなり良い。
「顔に出たね」
店主が言う。
「嫌ですもの」
「それでいい。訓練具は、少し嫌なくらいがちょうどいい」
まことにその通りである。
私は何度か動き、最終的に“今の私が死なずに扱えるが、楽ではない”ところで止めた。
店主が言う。
「ここから先は、欲を出すと壊すよ」
「ええ」
「最初のひと月は増やしすぎるな」
「ええ」
「部分ごとに別の日へ回してもいい。肩の日、脚の日、全身の日。全部を一度にやりすぎない」
「ええ」
オズヴァルトがそこで初めて口を開く。
「今の助言は、そのまま採用しましょう」
「当然ですわ」
「お嬢様が“当然”と仰る時ほど、念押しが必要なのですが」
少々心外だが、この場では反論を控えた。
大人の余裕である。
買い物を終えて店を出る頃には、私はかなり満足していた。
「良い買い物でしたわね」
「そうですな」
「これで夏休みの間に、学校で感じた揺れをもう少し自分の型へ寄せられますわ」
「ただし、負荷を積むこと自体が目的にならぬように」
「ええ」
「お嬢様は時々、その境を越えかけます」
「越えませんわ」
「“かける”と申し上げております」
それは少しだけ事実かもしれない。
屋敷へ戻ると、案の定、母が最初にそれを見つけた。
「……何を買ってきたの」
私が答えるより先に、オズヴァルトが言う。
「部分鎧に近い訓練具です」
母の目が細くなる。
「近い、とは」
「重り入りですわ」
私が補足すると、母が目を閉じた。
「ルゥ」
「何かしら」
「夏休みとは」
「次へ進むための調整期間ではなくて?」
「本当に、その返ししかないのね」
兄は見た瞬間に笑った。
「お前、休暇中にまで重くするのか」
「学校で得たものを維持したいですもの」
「維持って言い方で誤魔化すな」
父は夕食後にその訓練具を見て、しばらく何も言わなかった。
そして一言。
「……また一歩、帰れなくなったな」
私は少しだけ首を傾げた。
「どこへかしら」
「普通の公爵令嬢の範囲へだ」
それはたぶん、かなり前に通り過ぎている。
だが、父がそう言う気持ちも少し分かる。
その夜、私は記録帳を開いた。
重り入り部分鎧を買った。
非常に良い。
かなり嫌だが、かなり良い。
重さではなく揺れ。
揺れを身体の外乱として扱う。
肩、前腕、胸、脛、段階的に増やす。
店主の助言は的確だった。
全部を一度に盛るのは愚かですわね。
そして最後に、一行足した。
どうやらこの夏休みは、“騎士学校で得たものを屋敷で噛み合わせ直す休暇”として、かなり有意義になりそうですわ。
よろしい。
かなり良い。
私は羽根ペンを置き、新しい訓練具をちらりと見た。
嫌である。
だが、楽しみでもある。
こういうものは、たいてい効く。
効くから嫌で、嫌だからこそ意味がある。
――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、夏季休暇の屋敷での再調整用として重り入りの部分鎧を手に入れ、騎士学校で学んだ“揺れの中で崩れない身体”を、さらに自分の型へ噛み合わせていく準備を着々と整えていくのだった。




