第48話 狭い場所では、綺麗な剣だけでは少々足りませんわね
部分鎧を着け、帯剣したまま走らされた翌週、騎士学校はさらに嫌な方へ正しく進んだ。
狭窄地での訓練である。
訓練場の一角に、木板と縄と土嚢で組まれた仮設の細道が作られていた。
幅は肩二つ分もない。
場所によっては一人がやっと通る程度。
曲がり角があり、視界が切れ、足元もわずかに不安定である。
良い。
いや、良くはない。
かなり嫌である。
だが必要性はよく分かる。
広い場所で綺麗に剣を振れるのは当然だ。
問題は、狭い、近い、見えない、逃げられない、その四つが揃った時にどうするかである。
そして、そういう場所では剣だけで全部が解決しないことも多い。
つまり今日は、かなり本質に近い日だった。
「本日は狭窄地訓練を行う」
教官が前へ立ち、短く告げる。
「剣だけで終わると思うな。距離が潰れる。視界が切れる。掴まれる。ぶつかる。倒れる。そうなってからが本番だ」
よろしい。
非常によろしい。
私は内心でかなり深く頷いた。
この学校、本当にそのあたりを分かっている。
周囲の新入生たちは、露骨に嫌そうな顔をしていた。
レオンは額へ手を当てている。
イリーナは目を細め、カイルは無言で狭路の幅を測っていた。
「まずは木剣ありで行う」
教官が言う。
「次に、途中で木剣を落とした想定へ切り替える。最後は組みつきと離脱だ」
そこで、広場の空気が一段だけ重くなった。
剣を落とした想定。
組みつき。
離脱。
つまり、肉弾戦込みである。
何人かが明らかに顔をしかめた。
だが私は少し安心した。
やはりそこまでやりますのね。
当然だと思う。
狭い場所では、綺麗に振れる距離が消える。
相手の身体が近すぎる。
壁もある。
剣が引けない。
そうなれば、最後は身体そのものをどう使うかになる。
前世の感覚からすると、そこを飛ばす方が不自然だった。
「ヴァルツェン」
教官がこちらを見た。
「はい」
「お前はこういう訓練が嫌いではなさそうだな」
「ええ。かなり必要ですもの」
「必要、か」
「剣が届く前に距離が潰れる可能性は常にありますわ」
レオンが横でぼそりと言う。
「始まったな」
イリーナは小さく息を吐いた。
「でも、今日はその意見に反論しにくいのよね」
まったくその通りだった。
最初は二人一組での通過訓練だった。
狭路へ入り、曲がり角を抜け、前方の相手と一合だけ交える。
取ることが目的ではない。
狭さの中で、どう姿勢と距離を保つかを見る。
私の最初の相手はレオンだった。
「やりにくそうだな」
「ええ」
「お前、こういう時でも落ち着いてるよな」
「落ち着いているというより、嫌でも考えざるを得ませんもの」
礼。
構え。
入る。
狭い。
予想以上に狭い。
木剣の先が、意識しなくても壁へ近づく。
身体を開きすぎるとすぐ引っかかる。
足の置き方も、広い訓練場の時のままでは駄目だ。
レオンが先に来る。
だが、いつものような真っ直ぐさがここでは少し邪魔になる。
私は横へ逃がすのではなく、前で少しだけ詰める。
剣を大きく振らない。
肩と手首で小さく線をずらす。
終える。
「止め」
教官が言う。
「レオン、広い場所のまま入るな。ヴァルツェン、悪くないが剣へ頼りすぎるな」
私は少しだけ目を上げた。
「ここでもですの?」
「ここだからだ」
教官は即答した。
「その距離で剣が残る保証はない」
ええ。
まことにその通りですわね。
次はイリーナと組んだ。
イリーナは狭路でも鋭い。
だが鋭い分だけ、少しでも引っかかると前へ気が寄りやすい。
そこで肩が先に入る。
「今」
教官の合図で互いに動く。
距離が潰れる。
木剣が邪魔になる。
私はすぐに半歩だけ詰め、剣を使うのをやめた。
前腕で相手の中心線をずらし、肩を当て、空いた足場を取る。
終わる。
イリーナが目を見開いた。
「今、剣を捨てた?」
「使わなかっただけですわ」
「そんな判断を一瞬でやるの?」
「距離がなくなりましたもの」
教官が頷く。
「今のは悪くない。狭い場所では、剣を持っていることと、剣で解決することは違う」
よろしい。
かなり深いですわね。
そこから訓練は一段きつくなった。
「次、木剣を落とした想定」
はい。
来ましたわね。
木剣を持ったまま狭路へ入り、合図の途中で“落とした”ことにされる。
その瞬間からは、腕、肩、腰、足で前を取り、押し込むのではなく、自分が潰れない位置を作る。
そして離脱か制圧かを選ぶ。
かなり良い。
かなり嫌だが、かなり良い。
最初にやった者たちは散々だった。
剣がなくなった瞬間、頭が真っ白になる。
何をしていいか分からず、ただ押し合いになり、足が絡む。
それはそうだろう。
剣術の訓練をしてきた者ほど、“剣がある前提”で身体を動かしている。
だからこそ必要なのだ。
レオンが終わったあと、息を吐いた。
「最悪だな、これ」
「ええ」
私は頷いた。
「ですが、剣を落とす方がもっと最悪ですわ」
「分かってるよ!」
私の番が来た。
相手はカイルだった。
悪くない。
この人は無駄が少ないので、こういう時にこちらも学べる。
狭路へ入る。
合図。
動く。
そして、木剣を落とした想定。
その瞬間、私は前世の感覚をかなり強く使った。
剣がない。
なら、先に取るのは中心と足場だ。
腕で押し合わない。
押し合うと止まる。
止まると後ろから詰む。
前腕を差し入れ、相手の胸郭の向きをずらす。
自分の肩をぶつけるのではなく、相手の肩が真っ直ぐ入れない角度を作る。
足は相手の真ん前ではなく半歩外。
腰は正面から潰さない。
終わる。
カイルが小さく息を吐いた。
「……やりにくい」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
「知っておりますわ」
教官が近づいてくる。
「ヴァルツェン」
「はい」
「お前、肉弾戦の発想が最初から入っているな」
「ええ」
「理由は」
「剣がなくなった時に止まるのは、よろしくありませんもの」
教官は数秒黙った。
それから低く言う。
「お前は、本当にそこまで考えているのか」
「かなり」
レオンが横で言う。
「こいつ、前からそうなんですよ」
「知っている」
教官はレオンを見もせず答えた。
「だが、実際に動かれると余計に分かる。剣を失ったあとを“例外”ではなく“次の段階”として扱っている」
それはかなり正しい理解だった。
「ええ」
私は頷く。
「狭い場所では、綺麗な剣だけでは少々足りませんわね」
教官は、そこでほんの少しだけ口元を動かした。
笑ったのだろうか。
かなり珍しい。
「その通りだ」
そこからは、四人組での狭路通過に変わった。
前が詰まる。
横が壁だ。
後ろの気配も来る。
その中で、一人が剣を失い、一人が前へ出すぎ、一人が止まる。
つまり最悪である。
だが、最悪を訓練でやるのは正しい。
私はここで、自分の“先回りしすぎる癖”が役立つ場面と、邪魔になる場面の両方を見た。
役立つのは、詰まりそうな位置が早く見える時だ。
邪魔になるのは、全部を自分で捌こうとした時だ。
レオンが狭路の中で前へ寄りすぎる。
イリーナが横から鋭く入りすぎる。
カイルが止まりかける。
私は短く言葉だけ置く。
「レオン、一歩小さく」
「イリーナ、前腕」
「カイル、止まらないで半歩だけ」
全部はやらない。
全部を手で回収しない。
言葉だけ置いて、自分の位置を取る。
今日はそれがかなりうまくいった。
終わった時、教官が言った。
「今の四本、今までで一番ましだ」
よろしい。
「理由は」
イリーナが先に言う。
「全員が押し合うのをやめた」
レオンが続く。
「あと、潰れた時に“剣がないなら終わり”にならなかった」
カイルが小さく言う。
「……詰まりそうな時に、声が短かった」
そこで教官が私を見る。
「ヴァルツェン」
「はい」
「今日は喋りすぎなかったな」
「努力いたしましたわ」
「そこは評価する」
悪くない。
かなり悪くない。
訓練の最後、教官が全体へ言った。
「覚えておけ。狭い場所では、綺麗に剣を振れる方が珍しい。剣にこだわりすぎるな。だが剣を捨てるな。状況に応じて、剣も身体も距離も全部使え」
それは深かった。
私はかなり真剣に聞いた。
「騎士の戦いは、常に広く、明るく、整った場所で起こるわけではない」
ええ。
そうでしょうね。
「今日の訓練で、剣を失った時に頭が止まった者は覚えておけ。止まるな。次の手を持て」
非常によろしい。
終わったあと、レオンが本気で嫌そうな顔で言った。
「お前、こういう訓練だと本当に生き生きするな」
「必要だからですわ」
「またそれだよ」
イリーナが汗を拭きながら言う。
「でも今日は、ちょっと分かった」
「何がかしら」
「あんたが何でそこまで“最後に自分で立てること”へこだわるのか」
私はそちらを見た。
「本当ですの?」
「全部じゃないけど。剣が綺麗でも、距離が潰れたら意味が薄くなる。それは分かった」
カイルも頷く。
「剣の後があるってことな」
「ええ」
私は静かに答えた。
「剣の前も、剣の最中も、剣の後もありますの」
レオンが苦笑する。
「やっぱり言い方は面倒だな」
「知っておりますわ」
その夜、私は記録帳を開いた。
狭窄地訓練。
非常に良い。
そして非常に嫌。
狭い場所では、綺麗な剣だけでは足りない。
剣が使えない時に止まると終わる。
前腕、肩、腰、足場、距離、全部使う。
押し合わない。
止まらない。
詰まる前に一手置く。
そして最後に、一行だけ少し大きく書いた。
どうやら騎士学校では、狭い場所で肉弾戦まで含めて考えるのは、少々ズレているどころか、かなり正しいようですわね。
……よろしい。
私は羽根ペンを置き、少し痛む前腕を軽く押さえた。
嫌な訓練だった。
だが、かなり良い訓練だった。
この学校はやはり、好きになりそうだ。
――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、狭窄地での訓練と肉弾戦を含む基礎対応を通じて、自分の“剣の後まで考える感覚”が騎士学校でも十分通用するどころか、むしろ高く評価される場面があることを知り、ますますこの学校との相性の良さを実感していくのだった。




