第42話 おかしいですわね、騎士学校でも断罪対策は重要ではなくて?
王国騎士学校へ入学して三日目、ついに新入生全体での本格訓練が始まった。
もちろん、入学初日にも基礎確認はあった。
だが、あれはあくまで“どういう者が入ってきたか”を見るためのものだ。
今日から始まるのは、学校の基準で揃え、削り、積み直すための訓練である。
つまり、ここからが本番だ。
朝の空気はひんやりしていた。
訓練場の砂はよく均され、木剣の音があちこちで鳴っている。
私は列の中で静かに立ち、呼吸を整えた。
周囲の新入生たちも、それぞれに緊張していた。
だが、浮ついている者は少ない。
さすが騎士学校だ。
最初からここを目指してきた者が多いだけある。
「整列!」
教官の声が飛ぶ。
初日に全体へ話した、あの四十代半ばほどの男だった。
声がよく通る。
怒鳴らずに場を締める。
私はこの人がかなり好きだった。
列が整う。
「今日から諸君には、王国騎士学校の基準で動いてもらう」
教官は前へ歩きながら言った。
「大会の結果も、家の名も、地方での実績も、この場では参考でしかない。ここで崩れる者は崩れる。通る者は通る」
良い。
非常に良い。
「まずは基礎だ」
そこで教官の目が、ほんの一瞬だけ私を通った。
露骨ではない。
だが、王国剣術大会準優勝を意識していないはずもない。
「礼、構え、歩法、打ち込み、止め、戻り。そこまでを通して見る」
新入生の空気が少しだけ張る。
「順に出ろ。一人ずつだ」
悪くない。
分かりやすい。
こういうのは好きだ。
最初の数人は、やはりまだ硬かった。
動ける。
だが、学校基準で見れば荒い。
急ぐ。
止めが浅い。
戻りが雑。
どこか一つずつ、惜しい。
レオンは力があった。
だが、入りがやや直線的だった。
イリーナは鋭い。
だが、少し前へ出たがる。
どちらも悪くない。
むしろかなり良い方だ。
私の番が来る。
「ルクレツィア・フォン・ヴァルツェン」
「はい」
前へ出る。
礼。
構え。
呼吸。
一歩。
打ち。
止め。
戻る。
いつも通り。
見せつけず、薄くしすぎず。
終える。
教官は無言だった。
その沈黙は悪くない。
だが、すぐに言った。
「悪くない」
よろしい。
「だが」
来た。
「出来上がりすぎている箇所と、学校向きに積み直すべき箇所がある」
私は少しだけ目を上げた。
「どこでしょう」
「待ちが長い」
ほう。
「悪い意味ではない。だが、この学校の基準では少し“見てからやりすぎる”」
なるほど。
それは理解できる。
私は今まで、かなり意識して“見てからでも遅くない”を積んできた。
だが学校の基礎では、全員に一定のテンポを通す必要もあるのだろう。
「あと」
教官が続ける。
「止めは良い。戻りも悪くない。だが、整いすぎている」
後ろで誰かが少しだけ息を呑んだ。
私は一拍だけ置いた。
「整いすぎるのは、よろしくないので?」
「場による」
教官は即答した。
「個人で立つには悪くない。だが集団で揃える時、それぞれが自分の完成形を持ち込むとずれる」
ああ。
なるほど。
それはかなり重要だ。
今までの私は、“自分の型”を育ててきた。
だが学校ではまず“学校の型”を通さなければならない。
そこへ個人の型を強く持ち込みすぎると、たしかに集団の基準から浮く。
私は頷いた。
「承知いたしましたわ」
「理解が早いな」
「必要ですもの」
教官は少しだけ目を細めた。
悪くない反応だった。
「では次。組みでやる」
そこからは二人一組での反復になった。
礼から入り、一定の流れで打ち込みと受けを繰り返す。
個人の良さより、合わせる力が見える課題だ。
私の相手はレオンだった。
「よろしくな」
「ええ」
礼。
構え。
始まる。
一合。
二合。
三合。
レオンはやはり真っ直ぐだ。
だが悪くない。
ただし、私がいつもの調子で待ちすぎると、学校基準では遅くなる。
少しだけテンポを合わせる必要がある。
そこで私は、自分の中の“待ち”を少しだけ削った。
完全に捨てるのではない。
学校の流れへ合わせて、必要最小限に調整する。
終わったあと、教官が言った。
「ヴァルツェン」
「はい」
「今の方が良い」
「ええ」
「自分で削ったな」
「ええ。学校の基準へ合わせた方が合理的でしたので」
教官の後ろで、何人かが小さく顔を上げた。
たぶん“合理的”という言葉が、この場では少し変なのだろう。
だが私は真面目だった。
「理由は」
教官が問う。
「ここでは集団の型が基準ですもの。わたくし個人の待ちを優先して浮くのは得策ではありませんわ」
教官は数秒黙ったあと、低く言った。
「理解は正しい」
よろしい。
「ただし、言い方が少し面倒だ」
後ろでレオンが吹き出しかけた。
イリーナは露骨に口元を歪めている。
私は少しだけ首を傾げた。
「そうかしら」
「そうだ」
教官は即答した。
「お前は、正しいが少し面倒だ」
私はそこで理解した。
ああ、良いですわね。
やはりここでもそう見られるのだ。
「おかしいですわね」
思わず口をついて出た。
「何がおかしい」
「騎士学校でも断罪対策は重要ではなくて?」
沈黙。
広場が、一瞬だけ本当に止まった。
レオンが固まる。
イリーナが眉を寄せる。
何人かが明らかに「何を言っているんだ」という顔をする。
教官だけが、表情を大きく変えなかった。
「……断罪?」
「ええ」
「何の話だ」
「理不尽に立場を失わないための備えですわ」
さらに沈黙。
そして次の瞬間、レオンがとうとう吹き出した。
イリーナが露骨に顔をしかめる。
「やっぱり面倒だ、この公爵令嬢」
「意味が分からないわね」
だが、私は本気である。
教官はしばらく私を見ていた。
それから、非常に落ち着いた声で言った。
「ヴァルツェン」
「はい」
「言っている意味は半分しか分からん」
「半分も分かれば十分ではなくて?」
「だが、一つだけ言える」
「何かしら」
「理不尽に立場を失いたくないなら、なおさら学校の基準を覚えろ」
私は一瞬だけ目を見開いた。
そして、すぐに理解した。
「……たしかに」
「ここでは、まず基準の中で通じることだ。個人の理屈はそのあとにしろ」
なるほど。
これはかなり良い返答だ。
私のズレた動機を矯正するのではなく、学校側の論理へ接続してきた。
悪くない。
かなり悪くない。
「承知いたしましたわ」
「よろしい。続けろ」
訓練はそのまま続いた。
私は学校基準のテンポへ少しずつ自分を合わせていく。
待ちを削る。
整いすぎを薄める。
だが、芯までは崩さない。
これは面白かった。
家で積んだものがそのまま完成形ではない。
だが、否定もされていない。
学校用に積み直すべきところがあるだけだ。
とても健全である。
昼休憩に入ると、レオンが水筒を片手に寄ってきた。
「お前、本当に何なんだよ」
「何とは?」
「断罪対策って」
「断罪対策ですわ」
「説明になってない」
イリーナも来た。
腕を組み、かなり真面目な顔で私を見る。
「……あんた、強いのに言うことがちょくちょく意味不明よね」
「そこは昔からですわ」
「自覚あるんだ」
「かなり」
レオンが笑い、イリーナはますます呆れた顔をした。
「でも」
レオンが言う。
「教官の返しは良かったな」
「ええ」
「断罪は知らんが、学校の基準を覚えろはその通りだ」
「まったくですわ」
私は素直に頷いた。
今日の訓練で一番大きかったのはそこだろう。
ここでは、私の十年分は“土台としては良いが、そのままでは学校用に完成していない”。
これはとても重要だ。
強い。
だが、学校基準ではまだ積み直しがある。
その現在地がはっきり見えた。
それは安心でもあった。
まだ伸びる。
まだ学べる。
そして、この学校はそこをきちんと見てくれる。
悪くない。
かなり良い。
その夜、寄宿舎で記録帳を開いた私は、最初にこう書いた。
本格訓練開始。
わたくしの基礎は通じる。
だが、学校基準では待ちが長く、整いすぎている。
集団の型へ合わせる必要がある。
そして、その下に少しだけ迷ってからもう一行。
騎士学校でも断罪対策は重要だと思ったのですけれど、どうやらまずは学校の基準を覚える方が先らしいですわ。
……それはそうかもしれませんわね。
私は羽根ペンを置き、小さく頷いた。
よろしい。
初めての本格訓練としては、かなり良い。
現在地が見えたのだから。
ここから積み直す。
学校の型を通す。
そのうえで、私の型を重ねる。
面白くなってきましたわ。
――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、騎士学校での初めての本格訓練を通じて、自分の十年分の積み上げが“土台としては優秀、ただし学校基準ではまだ完成ではない”と知り、そして相変わらず少しズレた動機のまま、新しい積み直しへ入っていくのだった。




