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公爵令嬢に生まれたので断罪に備えていたら、なぜか王国最強になっていました  作者: 玉響すばる


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第39話 お母様、騎士学校へ行くのに髪が長いのは少々非合理ではなくて?

 騎士服を家族へ見せた翌日から、私の中には一つ、どうしても無視できない問題が残っていた。


 髪である。


 私の髪は、公爵令嬢としてきちんと手入れされ、長く、美しく伸ばされてきた。

 それ自体に不満はない。

 実際、母の趣味と努力と侍女たちの手間の結晶でもあるので、雑に扱うつもりもなかった。


 だが。


 騎士学校へ行くのであれば、話は別だ。


 長い髪は手入れに時間がかかる。

 結う手間もある。

 動けば乱れる。

 視界や首回りへ影響することもある。

 しかも、汗をかいた時の管理まで考えれば、明らかに短い方が合理的である。


 つまり結論は一つ。


 切るべきですわね。


 私は朝の鍛錬を終えたあと、鏡の前で自分の髪を見つめた。

 艶はある。

 流れも綺麗だ。

 令嬢としては申し分ない。


 だが、必要性の前では少し弱い。


「お嬢様」


 背後でミアが言った。


「どうかなさいましたか」


「髪ですわ」


「髪、でございますか」


「ええ。騎士学校へ行くのに、これは少々非合理ではなくて?」


 ミアの手が止まった。


 沈黙。


 かなり長い沈黙だった。


「……お嬢様」


「何かしら」


「それはつまり」


「切りますわ」


 ミアは目を閉じた。

 たぶん、今この屋敷で最も気の毒なのは侍女たちである。


 それでも彼女は優秀だった。

 すぐに混乱を顔へ出さず、慎重に言う。


「奥様には」


「もちろん申し上げますわ」


「先に、でございますね?」


「ええ。これは先に申し上げるべきことですの」


 そこはちゃんとしている。

 さすがに髪を切ってから見せるのは、既成事実としても少し刺激が強すぎる。


「でしたら、お呼びいたします」


「お願い」


 しばらくして、母が来た。


 部屋へ入るなり、私の顔を見る。

 その視線が、私の髪で止まる。

 そして、何かを察した顔になる。


 さすがお母様である。

 勘が良い。


「……ルゥ」


「はい、お母様」


「何を考えているの」


「髪ですわ」


「でしょうね」


 母は私の正面まで来た。

 そして、長く伸ばされた私の髪を、指先でそっと持ち上げる。


「綺麗に伸びたでしょう?」


「ええ」


「手入れも大変だったのよ」


「存じております」


「それで?」


 来た。


 私はまっすぐ答えた。


「騎士学校へ行くのに、髪が長いのは少々非合理ですわ」


 母が目を閉じた。


 とても静かに目を閉じた。

 これはかなり来ている。


「……切るのね」


「ええ」


「短く」


「ええ」


「どのくらい」


「ショートカットですわ」


 母の指が止まった。

 ミアが後ろで呼吸を止めた気配がする。


「ルゥ」


「何かしら」


「それは少々ではなく、かなりよ」


「ですが合理的ですの」


「その合理性で母の情緒を殴るのはやめなさい」


 まことにもっともである。

 だが必要性は消えない。


 母はしばらく黙っていた。

 怒るというより、覚悟を決めている顔だった。


「理由を言いなさい」


「はい」


 私は整理して答えた。


「手入れの時間が減りますわ。結う手間も減ります。訓練時や実習時に邪魔になりにくい。汗をかいた後の管理も楽ですの。あと、首回りの感覚も取りやすくなりますわ」


 母は全部聞いた。

 そのうえで、低く言う。


「完璧に正しいのが嫌ね」


「ありがとうございます」


「褒めていないわ」


 だが、完全に否定もしていない。

 そこが重要だ。


 母は再び私の髪を見た。

 その目には、惜しさと理解の両方があった。


「……本当に、ショートなのね」


「ええ」


「肩にもかからないくらい」


「その方が合理的ですわ」


「やめて、その言葉」


 母は深く息を吐いた。


「分かったわ。ただし条件があります」


「何かしら」


「雑には切らせません。きちんと似合う形にする。騎士学校へ行くとしても、公爵令嬢としてみっともなくはさせない」


 極めて妥当である。


「お願いしますわ」


「それから」


 母が少しだけ目を細める。


「お父様には、切る前に伝えます」


「ええ」


「お兄様にも」


「ええ」


「あとで“もう切りました”は駄目です」


「そこはきちんといたしますわ」


 母はそこでようやく、小さく頷いた。


 その日の午後、家族はまたしても揃えられた。


 最近、本当に多い。

 だが今回は進路ではなく、私の髪である。


 父は事情を聞いた瞬間、しばらく何も言わなかった。

 そして一言。


「今度は髪か」


「ええ、お父様」


「理由は」


「騎士学校へ行くにあたり、長い髪は少々非合理ですの」


「その説明、昨日も聞いた気がするな」


 兄が横で笑う。

 かなり感じが悪い。


「でもまあ、分かるよ」


 兄は言った。


「実際、あれだけ長いと手入れも結うのも手間だろうし、訓練には邪魔だ」


 父が兄を見る。


「お前まですぐ理解するな」


「いや、これは分かるでしょう」


 母が静かに言う。


「あなた」


「何だ」


「あなたも、本音では分かっているでしょう?」


 父は目を閉じた。

 数秒後、深く息を吐く。


「……分かっている」


 よろしい。


 これでかなり通る。


「ただ」


 父が言う。


「似合わなかった場合、私は笑うぞ」


「お父様」


 母が静かにたしなめる。

 兄は吹き出しかける。


 私は真顔で答えた。


「似合いますわ」


「その自信はどこから来る」


「必要だからですもの」


 兄がとうとう笑った。

 だが、悪い空気ではない。


 その翌日、王都でも腕の良い美容師が屋敷へ呼ばれた。


 母が選んだ人だけあって、判断が速い。

 私の髪質、骨格、首の線、騎士服との相性まで見て、一言で言った。


「短くしても、むしろお似合いになると思います」


 母が少しだけ複雑そうな顔をした。

 だが私は満足だった。


 椅子へ座る。

 布がかけられる。

 鏡の中の自分と目が合う。


 長い髪が肩から胸へ流れている。

 見慣れた姿だった。

 だが、もうここで迷う理由はない。


「本当によろしいですね」


 美容師が問う。


「ええ」


「かなり短くなりますよ」


「構いませんわ」


 母が後ろで静かに立っている。

 ミアもいる。

 兄は面白そうだからと最後まで居座っている。

 父だけは見に来なかった。

 たぶん後で見て驚きたいのだろう。

 少々面倒な人である。


 最初の一束が切られた。


 肩が、少しだけ軽くなる。


 その感覚に、私は静かに息を吐いた。


 良いですわね。


 悪くない。

 かなり良い。


 次々と切られていく。

 長かった髪が、静かに落ちる。

 母は何も言わない。

 だが、少しだけ目が寂しそうだ。

 そこは分かる。

 分かるからこそ、これはちゃんと綺麗に切るべきなのだ。


 やがて仕上がった時、鏡の中には別の私がいた。


 首筋が見える。

 顔立ちが前よりはっきり出る。

 髪は短いが、粗くはない。

 むしろ、線が整って見える。


 ショートカットだった。


 私は数秒、鏡の中の自分を見た。

 そして、率直に思った。


 ……かなり良いのではなくて?


「まあ」


 母が最初に言った。


「悔しいけれど、似合うわね」


 兄がすぐに続く。


「思った以上にいいな」


 ミアは少しだけ目を潤ませていた。

 たぶん感情の整理が追いついていない。


 私は立ち上がり、軽く首を振る。

 視界が軽い。

 肩も軽い。

 風の入り方まで違う。


「極めてよろしいですわね」


 私が言うと、兄が笑った。


「切った本人が一番満足してるな」


「当然ですもの」


 母は私の後ろへ回り、短くなった髪を整えながら言った。


「ルゥ」


「はい」


「これであなた、本当にもう“騎士学校へ行く子”の見た目になったわね」


 その言葉は静かだったが、重かった。


 私もそう思う。


 騎士服。

 実用の剣。

 そしてショートカット。


 ここまで来れば、もう“気分だけ”ではない。

 進路が、外見まで含めて現実になっている。


 その日の夕方、父が帰ってきた。

 そして居間で私を見て、完全に止まった。


 沈黙。


 数秒後、父が言う。


「……誰だ」


「お父様、ひどいですわ」


 兄が後ろで吹き出した。

 母は扇で口元を隠す。


 父は私を見たまま、少しだけ目を細める。


「本当に切ったのか」


「ええ」


「かなり」


「ええ」


「……似合うな」


 私は少しだけ顎を上げた。


「存じておりますわ」


「そこは少しは遠慮しろ」


 だが、父の声にも完全な否定はなかった。


 むしろ、もう認めるしかないという響きがあった。


 私はその夜、記録帳を開いた。


 髪を切った。

 ショートカットになった。

 軽い。

 視界も首回りも扱いやすい。

 お母様は微妙なお顔をなさったが、似合うと仰った。

 お兄様も良いと言った。

 お父様も、結局は似合うと仰った。


 最後に私は、静かに一行足した。


 ようやく外見まで、騎士学校へ行くわたくしに追いついてきましたわ。


 かなり良い日だった。


 少しだけ髪は惜しまれましたけれど、それでも必要ですもの。


 私は羽根ペンを置き、短くなった髪を指先で払った。


 軽い。


 よろしい。


 これでまた一つ、前へ進んだ。


 ――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、貴族令嬢として大切に伸ばしてきた髪をついにショートカットへ変え、外見の上でも完全に“騎士学校へ進む者”の姿へ近づいていくのだった。

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