第38話 お母様、騎士服姿のわたくしを見て微妙なお顔をなさらないでくださいまし
実用的な剣と騎士服を揃えたことで、私の中ではかなりの部分が固まっていた。
もちろん、進学の許可が完全に下りたわけではない。
条件付きで前へ進んでいるだけだ。
だが、剣があり、服があり、必要な形が整い始めると、人は嫌でも実感する。
ああ、本当に行くのだ、と。
そしてその実感は、どうやら私だけのものではなかったらしい。
騎士服が仕立て上がって屋敷へ届いた日の夕方、私はそれを自室で試していた。
鏡の前に立ち、肩の動き、肘の引き、腰回りの余り、裾の長さ、靴との相性を一つずつ確認する。
良い。
かなり良い。
動きやすい。
だが雑には見えない。
騎士学校へ入る者としては不足なく、かといって“男装の真似事”のような安っぽさもない。
極めてよろしい。
「お嬢様」
ミアが少しだけ困ったように言う。
「本当に、よくお似合いです」
「ありがとう」
「ですが……」
「何かしら」
「その、あまりにも自然すぎて、少し複雑でございます」
まあ。
それは分からなくもない。
公爵令嬢が騎士服を着て、鏡の前でごく自然に腕を上げたり半歩入ったりしていれば、複雑にもなるだろう。
「お母様にお見せした方がよろしいかしら」
私がそう言うと、ミアは一瞬だけ口を閉じた。
そして、かなり慎重に答える。
「……いずれは」
歯切れが悪い。
つまり、見せた時に何かしら起きると考えているのだろう。
だが、隠していても仕方ない。
どうせ入学前には必ず見る。
ならば、こちらから出した方がまだましである。
「では今から参りますわ」
「今から、でございますか」
「ええ」
「少々お待ちを、と申し上げたいところですが、お嬢様はそういう時に待たれませんものね」
「必要がありませんわ」
ミアが小さくため息をついた。
だが止めはしない。
最近の使用人たちは、そのあたりの見切りが早い。
私はそのまま廊下へ出た。
騎士服のまま歩く感覚は、やはりドレスと違う。
裾を気にしなくてよい。
腰の位置が分かりやすい。
腕の振りも自然だ。
良い。
非常に良い。
そのまま母の居間へ向かうと、扉の前で一度呼吸を置き、ノックした。
「ルクレツィアですわ」
「どうぞ」
母の声はいつも通り穏やかだった。
私は扉を開けて中へ入る。
そして、母は私を見た。
沈黙。
たっぷり二呼吸分ほどの沈黙だった。
私はその間に理解した。
かなり来ておりますわね、と。
「……ルゥ」
母がようやく言う。
「はい、お母様」
「似合ってしまうのが、また少し嫌ね」
非常に母らしい第一声だった。
私は少しだけ首を傾げた。
「嫌、とまで仰いますの?」
「ええ。だって、もっとこう……違和感があってくれれば、母としても“やはりやめておきましょう”と言いやすかったもの」
それは少し気の毒だが、どうしようもない。
「ですが、違和感はあまりありませんわね」
「そうなのよ」
母は本当に微妙な顔をしていた。
「悔しいけれど、あまりないの」
そこへ、ちょうど兄まで現れた。
今日は本当によく人が集まる。
「何を――」
兄は扉のところで止まった。
そして、私を上から下まで見て、数秒黙る。
「……おお」
その一言には、呆れと感心と面白さが全部入っていた。
「何かしら」
「いや、これは……」
「これは?」
「思った以上に、ちゃんと騎士学校へ行く奴の姿だな」
悪くない。
かなり悪くない感想である。
母が兄へ言う。
「でしょう?」
「母上、その“でしょう?”には何が含まれているんですか」
「複雑さよ」
それは本当にそうだろう。
兄は部屋へ入り、私の周りを半歩ほど回って見た。
「肩は悪くないな。腰回りももたついていない。靴も変に浮いていない」
「ええ。実用性を優先しましたもの」
「知っている。知っているが、口にされると改めて困る」
そこへ父まで来た。
今日はもはや予定調和である。
父は部屋へ入るなり、母と兄の空気で何かあると察したらしい。
そして、視線を私へ向けた。
止まった。
完全に止まった。
私は静かに一礼する。
「お父様」
「……それか」
「ええ」
父は数秒何も言わなかった。
やがて、非常に疲れた顔で言う。
「似合うな」
私は少しだけ目を見開いた。
まさかそこが先に来るとは思わなかった。
「ありがとうございます」
「褒めているわけではない」
「ですが、似合うとは仰いましたわ」
「そういうところだぞ」
父は額を押さえた。
「もっとこう、浮いてくれればよかったものを」
母が頷く。
「本当に」
「そこまで言われるのも、少し心外ですわね」
「心外でも、母としてはそうなのよ」
父は改めて私を見た。
今度は父らしく、感情ではなく確認の目だった。
「動いてみろ」
「ここで?」
「そうだ」
私は頷き、一歩引いた。
礼をする。
半歩入る。
腕を上げる。
体を返す。
止まる。
大きくは動かない。
だが、布が引っかからず、腰も崩れず、見た目もそこまで荒れない範囲で動く。
終えると、部屋が静かになった。
父が低く言う。
「……問題ないな」
兄がすぐに言う。
「かなり問題ないですね」
母は静かに扇を開いた。
「本当に嫌になるくらい、問題ないわ」
そう言われると少し複雑だが、褒められているのは分かる。
父は長く息を吐いた。
「ルクレツィア」
「はい」
「もうここまで来ると、今さら“やはり貴族学院へ”とは言いづらい」
「ええ」
「そこで即答するな」
「事実ではなくて?」
「事実だとしてもだ」
だが父は、それ以上強くは否定しなかった。
むしろ、もうかなり腹を括り始めている声だった。
「お前、本当に進むのだな」
「ええ」
「騎士学校へ」
「ええ」
「その格好で外へ出る覚悟もある」
「もちろんですわ」
父はしばらく黙った。
それから、少しだけ視線を落として言う。
「なら、半端な真似はするな」
私は父を見た。
「家の名がつく。大会準優勝の結果もある。目立つぞ」
「ええ」
「騎士学校へ行く以上、“珍しい公爵令嬢”で終わるな。“行って当然だった”と思わせろ」
その言葉は厳しかった。
だが、完全に父の側へ入った言葉でもあった。
止めるのではなく、行く前提で語っている。
私は静かに頷く。
「はい、お父様」
母もその流れで言った。
「ルゥ」
「はい」
「騎士服を着ても、令嬢であることは捨てないのよ」
「ええ」
「粗くならない。雑にならない。美しく立つ。それは忘れないこと」
「もちろんですわ」
兄が最後に笑った。
「何だかんだで、みんなもう“どう止めるか”ではなく“どう行かせるか”の顔になってるな」
父が睨む。
「お前は黙っていろ」
「事実でしょう」
「事実でも今は言うな」
だが、そのやり取りそのものがもう結論の一部だった。
私は鏡のない居間の中で、立ったまま静かに理解した。
騎士服を着ること。
剣を持つこと。
それを家族が見て、“似合ってしまう”と認めること。
それは思った以上に大きな一歩だった。
この日、ようやく私の進路は、理屈だけではなく見た目の上でも家族の中で現実になり始めたのだ。
その夜、記録帳にはこう書いた。
騎士服を家族へ見せた。
お母様は微妙なお顔をなさった。
お兄様は思った以上に騎士学校へ行く者の姿だと言った。
お父様は、似合うと仰った。
そして最後に、少しだけ大きく一行足した。
ようやく“騎士学校へ行くわたくし”が、家族の目にも現実として映り始めましたわ。
かなり良い日だった。
少しだけ、勝った気もいたしますし。
私は羽根ペンを置き、静かに息を吐いた。
よろしい。
次はいよいよ入学前の最後の整えだ。
ここまで来たら、もう後戻りはない。
――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、実用の剣に続いて騎士服まで家族へ見せつけることで、ついに“騎士学校へ進む公爵令嬢”という異様な進路を、見た目の上でも完全に既成事実へ変え始めていくのだった。




