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公爵令嬢に生まれたので断罪に備えていたら、なぜか王国最強になっていました  作者: 玉響すばる


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第36話 お父様、お母様、条件付きでも前へ進めるなら十分ですわ

 夕方、私が呼ばれた時点で、空気が違うのは分かっていた。


 朝からずっと、家の中の動きが妙に静かだったのだ。

 使用人たちの出入りは必要最小限。

 父は執務室にいない時間が長かった。

 母も社交の予定をかなり絞っていた。

 兄に至っては、昼過ぎに一度こちらを見て、何とも言えない顔で去っていった。


 つまり。


 かなり長く、かなり重い会議があったのだろう。


 しかも、私抜きで。


 それ自体に不満はない。

 家には家の理屈がある。

 私には私の理屈がある。

 それを一度分けて整理するのは、むしろ正しい。


 だが同時に、その会議の結果は私の進路に直結する。

 ならば、ここから先は一言一句が重要だ。


「お嬢様」


 グレゴールが静かに言った。


「旦那様がお呼びです」


「ええ」


「応接室です」


 執務室ではなく、応接室。


 悪くない。

 少なくとも“叱責だけ”の場ではなさそうだ。


 私は頷き、裾を整えた。


 呼吸。

 背筋。

 視線。


 よろしい。


 こういう時こそ、礼で整える。

 十年積んだものを、今さら忘れる理由はない。


 応接室へ入ると、父、母、兄の三人がいた。

 昨日の夜と同じ顔ぶれ。

 だが位置が少し違った。


 父は中央。

 母はその斜め隣。

 兄は壁際ではなく、今日は母の反対側に座っている。


 つまり今日は、詰問ではなく“結論を伝え、条件を詰める場”である可能性が高い。


 私は一礼した。


「お呼びでしょうか」


「座れ」


 父が言う。


 私は静かに腰掛けた。

 誰もすぐには口を開かない。

 だが、悪い沈黙ではなかった。

 考えた末の沈黙だ。


 最初に口を開いたのは父だった。


「ルクレツィア」


「はい、お父様」


「今日一日、お前抜きで話した」


「ええ」


「その結果、結論から言う」


 私は父を見る。

 母も兄もこちらを見ている。


 父は短く、だがはっきりと言った。


「王国騎士学校への進学を、全面的には否定しない」


 私は一瞬だけ息を止めた。

 だが顔には出さない。


 よろしい。

 かなりよろしい。


 しかし当然、続きがある。


「ただし、条件付きだ」


「はい」


 父の目は厳しいままだった。


「まず一つ。これはお前個人の進路ではあるが、公爵家の娘として完全に切り離してよい話ではない」


「ええ」


「騎士学校へ行く以上、家の名がどう扱われるか、どこまで公にするか、どう説明するか、全部こちらの管理下に置く」


 私は頷いた。


「承知いたしましたわ」


「二つ目。卒業後の進路も、最初から家と無関係に決めてよいとは思うな。騎士団へ進むにせよ、別の道を選ぶにせよ、家との協議を前提とする」


 そこも当然だろう。

 私は即答しない。

 一拍だけ置いてから答えた。


「協議はいたしますわ」


 父の眉がわずかに動く。


「“従います”ではないのだな」


「そこは、卒業時の実力と状況次第ですもの」


 兄が小さく笑いそうになって、それを飲み込んだ。

 母は私を見て、ほんの少しだけ目を細める。


 父は深く息を吐いた。


「やはりお前は、最後の最後で完全には折れないな」


「必要なところでは折れませんわ」


「それを平然と言う」


 だが父はそこで怒らなかった。

 むしろその返答も計算に入れている顔だ。


「三つ目」


 父が続ける。


「家出は禁止だ」


 私は少しだけ目を瞬かせた。


 そこへ来るか。

 当然と言えば当然である。


「騎士学校の件がどう転んでも、無断で家を出ることは認めない。冒険者も剣術修行も論外だ」


 兄がそこで咳払いした。

 かなり分かりやすい。

 母も静かに言う。


「ルゥ。そこは本当に駄目です」


「冒険者も」

「駄目です」

「剣術修行も」

「駄目です」


 即答が重なった。


 私は少し考えた。

 考えたうえで、正直に言う。


「つまり、お父様とお母様は、わたくしの二の矢と三の矢まで読んで会議なさっていたのですね」


 沈黙。


 兄がとうとう顔を覆った。

 父は額を押さえた。

 母はため息をついた。


「やはりあったのね」


 母が静かに言う。


「ええ」


「しかも本当に二の矢三の矢だったのね」


「ええ」


 父が低く言った。


「ルクレツィア、お前は一つ潰されたら止まるつもりは最初からなかったのだな」


「当然ですわ」


「当然ではない!」


 そこだけは父も少し声が強くなった。


 だが私は落ち着いていた。


「止まる方が合理的ではありませんもの。騎士学校が駄目なら冒険者、冒険者が駄目なら剣術修行、その順で考えておりましたわ」


「順までついているのか」


 兄がぼそりと言う。

 私は頷いた。


「ええ。騎士学校が最善、冒険者が次善、剣術修行が三番目ですわ」


 母が静かに目を閉じた。

 だが、驚きより確認に近い反応だった。

 たぶん予想通りなのだろう。


 父はしばらく何も言わなかった。

 そして、やがて言った。


「だから条件をつけた」


「ええ」


「騎士学校を全面否定すれば、お前はもっと面倒な方向へ行く」


「面倒、とは少し心外ですわね」


「心外で済む話ではない」


 その通りかもしれない。


 だが、父の言葉の裏にあるものはもう分かる。


 完全拒否はしない。

 その代わり、家の管理下で通す。


 つまりこれは、かなり大きな譲歩だ。


 母がそこで、今度は少しやわらかい声で言った。


「ルゥ」


「はい、お母様」


「私たちは、あなたの気持ちを全部肯定したわけではないのよ」


「ええ」


「でも、あなたが本気であることも、騎士学校を潰しても終わらないことも分かったの」


 私は頷いた。


「ええ」


「だから、最もましな形を探したの」


 その言葉は重かった。

 そして誠実だった。


 私は静かに答えた。


「ありがとうございます」


 兄が少しだけ顔を上げる。

 父も、母も、ほんの一瞬だけ動きが止まった。


 たぶん、もっと食い下がると思っていたのだろう。

 だが、ここで感謝は当然だ。


「条件付きでも前へ進めるなら、それで十分ですわ」


 私は真っ直ぐ言った。


「全面勝利でなくても構いませんの。止まらなければ」


 兄がそこでとうとう笑った。

 今度の笑いは、呆れと感心が半分ずつだ。


「本当に、お前はそういうところだな」


「何かしら」


「条件付きの譲歩を、普通は勝ちとは言わない」


「ですが前進ですわ」


 父が低く言う。


「……その考え方は嫌いではない」


 私はそちらを見た。

 父は目を逸らしたが、たしかにそう言った。


 かなり大きい。

 かなり大きい一言だ。


「ただし」


 父がすぐ続ける。


「今後は一つ。既成事実を積んでから話すな」


 そこは難しい。


 私は少し考えてから答えた。


「努力いたしますわ」


「努力では困る」


「では、可能な限り」


 兄が吹き出した。

 母も口元を押さえる。

 父はとうとう空を仰いだ。


「……やはりそこは譲らんのだな」


「必要な場合がありますもの」


「全部お前の必要性判断に任せるからこうなるんだ」


 それは少しそうかもしれない。

 だが、ここで無理に“二度としませんわ”と言っても嘘になる。

 それはよくない。


 母がそこで話を戻した。


「入学までの間、やることは多いわ」


「ええ」


「表向きの説明も整える。最低限の社交もこなす。騎士学校へ行くからといって、公爵家の娘であることをやめてよいわけではないの」


「承知しておりますわ」


「本当に?」


「ええ。令嬢であることを壊さずに強くなるのが、わたくしの型ですもの」


 その答えに、母は少しだけ笑った。


「……そうね。そこまで言うなら、忘れてはいないのでしょう」


 父もそこへ乗る。


「騎士学校へ行っても、家の名は背負う」


「ええ」


「王国剣術大会準優勝の結果も、もう消せん」


「ええ」


「つまり、お前はこれから“公爵令嬢でありながら騎士学校へ進む娘”として見られる」


「ええ」


「それでも行くのか」


 これは確認だ。

 最後の確認に近い。


 私はまっすぐ答えた。


「行きますわ」


 迷いなく。

 一歩も引かず。

 だが声を強くしすぎず。


 父はしばらく私を見ていた。

 そして、ようやく小さく頷いた。


「……分かった」


 その一言で、部屋の空気が少しだけ変わった。


 完全な和解ではない。

 全面的な賛成でもない。

 だが、方向は定まった。


 兄が背もたれへ軽くもたれて言う。


「これでようやく、次へ進めるな」


 母も静かに頷く。


「ええ。長かったけれど」


 父は最後に、かなり疲れた顔で言った。


「ルクレツィア」


「はい」


「お前は本当に厄介だ」


「存じております」


「自覚があるのもまた厄介だ」


 私は少しだけ口元を緩めた。


「褒め言葉として受け取りますわ」


「褒めていない」


 だが、少なくとも追い出されはしなかった。


 それで十分だ。


 その夜、私は記録帳を開いた。


 王国騎士学校、条件付きで前進。

 家出禁止。

 二の矢三の矢はほぼ見抜かれた。

 だが第一の矢はまだ生きている。

 そして、お父様とお母様は“最もましな形”を探してくださった。


 最後に私は、静かにこう書いた。


 条件付きでも前へ進めるなら十分ですわ。

 止められなかったのではなく、通したのですもの。


 かなり良い夜だった。


 かなり疲れましたけれど。


 私は羽根ペンを置き、静かに息を吐いた。


 よろしい。


 ここから先は、準備だ。

 騎士学校へ行く。

 そのための形を整える。


 そして私はもう知っている。


 第一の矢が生きている限り、前へ進めるのだと。


 ――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、家族との本格的な衝突の果てに、ついに王国騎士学校への進学を“条件付きで前へ進める”ところまで通し、次なる段階――公爵令嬢としての顔を保ったまま騎士学校へ入る準備――へ進んでいくのだった。

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