幕間 ルクレツィアの二の矢、三の矢
ルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、昔から一つの案だけで動く人間ではなかった。
正確には、一つの案だけで動いているように見せかけて、その裏に二つ三つと退路ではない別解を用意しておく人間だった。
それは臆病だからではない。
むしろ逆だ。
一つ潰された時に止まるのが、いちばん合理的ではないと知っているからである。
十五歳の春、王国剣術大会へ出場し、準優勝し、王国騎士学校への進学意思まで家族へ露見した今、ルクレツィアは静かに理解していた。
王国騎士学校へ進めるのが最善だ。
だが、最善が通らない可能性は当然ある。
ならば。
二の矢。
三の矢。
それらまで揃えておくのは、極めて自然な判断だった。
王国騎士学校へ入れるなら、それが一番よい。
王国騎士学校へ入り、正規の教育と訓練を受け、実績を積み、その先で王国騎士団へ入る。
これはルクレツィアにとって、最も筋が良く、最も合理的で、最も“積み上げをそのまま使える”道だった。
実力という軸がある。
騎士としての序列がある。
剣で立つことが、少なくとも一定の正当性を持つ。
貴族学院のように、婚姻、派閥、視線、噂の渦の中心へ放り込まれる危険も薄い。
もちろん全くないわけではない。
だが、比較にならないほどましだった。
ゆえに第一の矢は明白である。
王国騎士学校。
その先の王国騎士団。
だが、もしそれが折られたなら。
ルクレツィアはそこで止まるつもりはなかった。
二の矢は、冒険者である。
この案を思いついた時、ルクレツィアは自分でかなり良いと思った。
なぜなら、金があるからだ。
ルクレツィアは公爵令嬢である。
当然、毎月のお小遣いもある。
そしてルクレツィアは、その金をほとんど使ってこなかった。
ドレスや装飾品への執着が薄い。
菓子にもそこまで散財しない。
贈り物や書籍など必要なものは家から出ることが多い。
その結果、十五歳の時点で、彼女の手元には公爵令嬢としては異様に偏った蓄えができていた。
それも、ただの小銭ではない。
家出の初動資金として考えれば、かなり現実的な額である。
極めてよろしい。
もし王国騎士学校を止められた場合、ルクレツィアは一度家を出る。
そして身分を少しぼかしつつ、冒険者登録をする。
もちろん、公爵令嬢が冒険者になるなど本来は常軌を逸している。
だが、ルクレツィアの理屈は一貫していた。
冒険者には、少なくとも剣が通じる。
実績が金になる。
場数が踏める。
外で生きる訓練にもなる。
そして何より、王国騎士学校へ行けないなら“家の外で実力を積む”ことが次善となる。
つまり冒険者ルートは、逃避ではなく代替の実戦ルートだった。
宿代。
装備更新費。
登録料。
移動費。
非常時の予備金。
それらを記録帳とは別の紙へこっそり試算した時、ルクレツィアはかなり真顔で頷いた。
いけますわね。
かなりいけますわね。
少なくとも最初の数か月は余裕がある。
そして、王国剣術大会準優勝という結果がある以上、登録後すぐに最低ランク帯で埋もれる可能性も薄い。
もちろん危険はある。
だが、貴族学院にも別種の危険はある。
ならば自分で選べる危険の方がよほどよい。
これが二の矢だった。
だが、ルクレツィアはさらに考えた。
冒険者はたしかに実戦的だ。
だが、必ずしも“剣そのものを深める”環境として最適とは限らない。
依頼。
報酬。
移動。
雑務。
連携。
生存。
それら全部がある以上、剣術の純度だけで言えば、もっと良い道もあるのではないか。
そこで生まれたのが、三の矢である。
剣術修行。
もっと言えば、家を出て、流派や名のある剣士のもとへ身を寄せ、修行の旅へ入る道だった。
これもまた常識的ではない。
公爵令嬢が家出して剣術修行に出るなど、もはや笑い話の域である。
だが、ルクレツィアにとっては笑い話ではなかった。
騎士学校に行けない。
冒険者になるのも一つ。
だが、もし本当に“剣そのものを深める”なら、場数より先に鍛えるべき時期もあるのではないか。
そう考えたのだ。
王国中には名のある剣士がいる。
辺境にも、地方にも、表へ出ない達人はいる。
流派もある。
古い型もある。
騎士の剣とは違う、生きた剣もあるはずだ。
もしそこへ辿り着ければ、王国騎士学校とはまた違う形で強くなれる。
そして何より。
ルクレツィアは、そういう“剣を求めて旅に出る”という構図を、かなり好んだ。
浪漫である。
いや、浪漫だけではない。
合理性もある。
だが浪漫があるのも事実だった。
流派。
修行。
山奥の道場。
旅の途上での学び。
強者との邂逅。
そういうものは、乙女ゲームよりむしろ少年漫画寄りだが、そこは細かいことではない。
大事なのは強くなれるかどうかである。
そしてルクレツィアは、自分の中でこの三本の道をかなり明確に整理していた。
第一。
王国騎士学校に入れるなら、迷わずそこへ行く。
最も筋が良く、最も家格と実力の両立がしやすい。
王国騎士団への道も開ける。
第二。
騎士学校に行けないなら、家を出て冒険者になる。
実績を積み、金を稼ぎ、外で立つ。
最も現実的で、即時性のある代替案。
第三。
騎士学校に行けないなら、家を出て剣術修行に出る。
剣そのものを深める。
長期的だが、純度の高い成長が見込める。
極めて明快である。
そしてルクレツィアが最も優れていたのは、ここで終わらないことだった。
彼女はちゃんと、それぞれの弱点も理解していた。
騎士学校ルートは最善だが、家との正面衝突を避けられない。
冒険者ルートは実戦的だが、身分露見と治安の問題がある。
剣術修行ルートは魅力的だが、良い師に巡り合える保証が薄い。
だからこそ、ルクレツィアは順位をつけていた。
第一希望は騎士学校。
第二希望は冒険者。
第三希望は剣術修行。
その順である。
どれでもよいわけではない。
最善は最善としてはっきりあり、そのうえで潰された時の別解がある。
これこそがルクレツィア・フォン・ヴァルツェンの真骨頂だった。
一つが折れても止まらない。
最初から二本目、三本目まで弓へ番えている。
ある夜、ルクレツィアは記録帳とは別の紙へ、この三本をはっきり書き出した。
一、
王国騎士学校へ進学。
王国騎士団入りを目指す。
二、
騎士学校不可の場合、家出して冒険者。
お小遣い蓄えを初動資金に使う。
三、
騎士学校不可の場合、家出して剣術修行。
師を探し、剣そのものを深める。
そこまで書いて、ルクレツィアは静かに頷いた。
よろしい。
完璧ですわね。
少なくとも、止まる理由はなくなった。
父母が何と言おうと。
家がどう反対しようと。
王国騎士学校が最善であることは変わらない。
そして、それが駄目でも終わりではない。
冒険者という道がある。
剣術修行という道もある。
つまり。
わたくしは、もう詰んでおりませんわね。
この認識は、ルクレツィアにとって大きかった。
人は、選択肢が一つしかないと思うと弱くなる。
だが、二の矢と三の矢が見えていれば、最初の一矢にも迷いなく力を込められる。
それは前世の競技でも同じだった。
一本外したら終わりと思う者は硬い。
次があると知る者の方が、最初の一本も良い形で打てる。
だからルクレツィアは、この幕間の時点でむしろ落ち着いていた。
王国騎士学校へ進みたい。
それは揺るがない。
だが、もしそれが折れても、私は別の道で強くなる。
その確信がある限り、彼女は一歩も引かなかった。
――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、王国騎士学校という第一の矢の背後に、冒険者と剣術修行という二の矢、三の矢まで静かに番え、自分の進路が一つ潰れても止まらぬよう、すでに次の戦場まで見据えていたのだった。




