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公爵令嬢に生まれたので断罪に備えていたら、なぜか王国最強になっていました  作者: 玉響すばる


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第35話 お父様、わたくしは最初から騎士学校へ行くつもりでしたわ

 屋敷へ戻ったその夜、食事は異様なほど静かに進んだ。


 誰も余計なことを言わない。

 だが、何も終わっていないことだけは全員が分かっている。

 父も、母も、兄も、そしてもちろん私も。


 銀器の触れ合う音だけが小さく響く。


 悪くない沈黙だと思った。

 荒れてはいない。

 だが、先送りにもなっていない。

 終わったあとに必ず本題へ入る沈黙だ。


 母が最後にナプキンを整え、父が席を立った。


「ルクレツィア。書斎へ来い」


「はい、お父様」


 短い。

 そして重い。


 兄も立ち上がりかけたが、父が先に言った。


「アルフレートもだ」


「……やっぱり俺もか」


「お前が余計なことを言わなければ、もう少し順序があった」


 兄は少しだけ肩をすくめた。

 だが反論はしない。

 珍しく自覚はあるらしい。


 書斎へ入ると、父は机の向こうではなく、応接用の長椅子の前に立った。

 母はその隣。

 兄は少し離れて壁際。

 私は正面へ立つ。


 逃げ場のない配置である。

 だが、悪くない。

 こういう時に机を挟まないのは、父なりに“家族の話”として処理する意思があるのだろう。


「座れ」


 父が言った。


 私は静かに腰掛けた。

 背筋を立てる。

 呼吸を整える。

 礼儀作法も、舞踏も、会話の間も、こういう時のために積んできたのだ。


 父はしばらく私を見ていた。

 怒っている。

 それは当然だ。

 だが、感情だけで話す顔ではない。


「では聞く」


「はい」


「王国剣術大会へ出た理由は何だ」


 最初の問いは、すでに分かっているはずのことだった。

 だが、それでも父は順序を守る。


「外で通じるかを知るためですわ」


「なぜ、それを今知る必要があった」


「十五歳だからですの」


 父の眉がわずかに動いた。


「十五歳とは、どういう意味だ」


 私はまっすぐ答えた。


「進路を決める年齢ですわ。今までの積み上げが外で通じるかを知らずに進路を決めるのは、合理的ではありませんもの」


 母が静かに息を吐いた。

 兄はもう口を挟まない。


 父は続ける。


「ならば次だ」


 来た。


「騎士学校とは何だ」


 私は一拍だけ置いた。

 だが、それは怯みではない。

 ここは言葉を雑にしてはいけない。


「王国騎士学校ですわ」


「それは分かっている」


「ええ」


「なぜ、お前がそこへ行く」


 私は静かに答えた。


「わたくしは最初から、騎士学校へ行くつもりでしたわ」


 沈黙。


 母が目を閉じた。

 兄は視線を天井へ逃がした。

 父は、ほんの一瞬だけ完全に言葉を失った。


「……最初から?」


「ええ」


「いつからだ」


「十五歳の春には、はっきり決めておりましたの」


「はっきり決めていた、ではない!」


 父の声が少しだけ強くなる。


「なぜ家へ相談しない!」


 私は呼吸を置いた。

 ここで気圧されて速く返すと、負ける。

 勝ち負けではないが、負ける。


「反対なさると分かっておりましたから」


「当然だ!」


「ですから、先に通用性を示す必要がありましたの」


 父がとうとう立ち上がった。


「ルクレツィア!」


 母がそこで静かに言う。


「あなた」


 たったそれだけで、父は次の言葉を飲み込んだ。

 母の制し方は本当に上手い。


「怒るのは結構です。でも、まずは最後まで言わせましょう」


 父はしばらく立ったままだったが、やがて再び腰を下ろした。


「……続けろ」


「はい」


 私はまっすぐ父を見る。


「王国貴族学院は、わたくしにとって危険が多すぎますの」


 父の目が細くなる。

 母も、兄も黙っている。


「危険、とは何だ」


「高位貴族の子弟が集まり、視線が交差し、婚姻と派閥と噂が生まれやすい場ですわ。わたくしはそこで、静かに生きる自信がありませんの」


 兄が小さく息を呑んだ。

 母の視線が少しだけ揺れる。

 父は無言だ。


 私は続けた。


「対して王国騎士学校は、少なくとも実力という軸がありますわ。剣が通じる。積み上げたものが、そのまま一定の意味を持ちますの」


「公爵令嬢が騎士学校へ進む前例など、そう多くはない」


「存じております」


「体面はどうする」


「必要なら引き受けますわ」


「必要なら、で済む話ではない!」


 父が言う。

 だが、先ほどほど荒れてはいない。

 怒りはある。

 だが、理屈も動いている。


「ルクレツィア」


 母が初めて真っ直ぐに問う。


「あなたは、貴族学院へ行くことそのものが嫌なの? それとも、そこで起こり得る何かを嫌がっているの?」


 良い問いだ。

 とても良い。


 私は少し考え、答えた。


「後者ですわ」


「何が、そんなに嫌なの」


 私はそこで、初めて少しだけ言葉を選んだ。


 ここで“断罪が起きそうだからですの”と真正面から言えば、話は壊れる。

 だが、嘘もまた意味がない。


「理不尽に立場を失う可能性を、わたくしは極端に嫌いますの」


 母の目が、わずかにやわらかく揺れた。


「それは……昔からね」


 昔から、か。

 そうかもしれない。

 少なくとも五歳で熱を出してからは、ずっとそうだった。


「貴族学院は、剣だけでは済まない」


 父が低く言う。


「だが、それが貴族の世界だ」


「ええ」


「お前は公爵家の娘だ」


「ええ」


「ならば、逃げてよい理由にはならん」


 その言葉は重かった。

 父らしい。

 逃げるな。

 立場を引き受けろ。

 その論理は一貫している。


 だが、こちらにも一貫した理屈がある。


「逃げるのではありませんわ」


 私は静かに言った。


「より勝てる場所を選ぶのです」


 兄がとうとう顔を覆った。

 母は目を閉じた。

 父は黙った。


「貴族学院は、お父様のおっしゃる通り“貴族の世界”ですわ。ですが、わたくしにとっては勝ち筋が薄い。騎士学校の方が、少なくとも自分で積み上げたものを使えますの」


「勝ち筋、だと」


「ええ。合理性の話ですわ」


「お前は……」


 父はそこまで言って、止まった。


 怒るべきか。

 叱るべきか。

 だが同時に、王国剣術大会準優勝という結果が目の前にある。


 それが父の言葉を鈍らせているのが分かった。


 実際、これがただの空論なら、ここで終わっていたはずだ。

 だが私は今日、外で結果を出した。

 それが今、父を一番苦しめている。


 母が静かに言う。


「出願は、もう済んでいるのね」


 私は母を見た。


「ええ」


「試験は?」


「必要な手続きは整っておりますの」


 兄がぼそりと言う。


「完全に既成事実だな」


「アルフレート、黙っていなさい」


「はい」


 だが、兄の言う通りだった。

 もう“考え中”ではない。

 かなりの部分が進んでいる。


 父は長く息を吐いた。

 その姿は、今日一番疲れて見えた。


「ルクレツィア」


「はい」


「お前は、本気なのだな」


「本気ですわ」


「王国剣術大会へも、本気で出た」


「ええ」


「騎士学校へも、本気で行くつもりだ」


「ええ」


「その先で、自分がどう見られるかも分かったうえでか」


「ええ」


 父は目を閉じた。

 母も何も言わない。

 兄も黙る。


 沈黙が落ちた。

 だが悪い沈黙ではない。

 考える沈黙。

 重さを量る沈黙だ。


 やがて父が目を開けた。


「今夜、この場で許可は出さん」


 私は頷いた。

 それは当然だろう。


「ですが」


 母が言う。


「頭ごなしに否定して終わる話でもないわ」


 父は母を見た。

 母も視線を返す。

 二人の間で、短いが濃い無言のやり取りがあった。


 そして父は、ようやく言った。


「明日、改めて話す」


「はい」


「出願の状況、必要書類、大会に出た経緯、そこまで全部出せ」


「はい」


「全部だ」


「はい」


 私は深く礼をした。


 この場で追い出されなかった。

 感情だけで潰されなかった。

 それだけで十分大きい。


 母がそこで、少しだけやわらかい声で言った。


「ルゥ」


「はい、お母様」


「怒っていないわけではないのよ」


「存じております」


「でも、あなたが本気であることも、よく分かったわ」


 私は顔を上げた。


 母の目はまだ複雑だった。

 当然だろう。

 公爵令嬢の娘が、王国剣術大会へ黙って出場し、そのまま騎士学校へ進もうとしているのだ。

 複雑でないはずがない。


 だが、その複雑さの中に、完全な否定だけではないものが混じっているのも分かった。


 兄は最後に、小さく言った。


「ルクレツィア」


「何かしら」


「お前、本当に一歩も引かないな」


「必要なら引きますわ」


「必要ないと思っている顔だな」


「ええ。今は」


 兄は苦笑した。


 父はもう何も言わなかった。

 だが、追い払わなかった。

 それが今夜の結論だった。


 部屋へ戻った私は、記録帳を開いた。


 今日の記録は、今までで一番重いかもしれない。


 王国剣術大会準優勝の結果を持って帰宅。

 父母兄に発覚。

 騎士学校への進学意思も露見。

 父は即時の許可を出さず。

 だが、頭ごなしの否定で終わらせもしなかった。


 最後に私は、静かにこう書いた。


 お父様、お母様、もうたぶん隠しきれませんわね。

 ですが、ここまで来たら引けませんの。

 わたくしは最初から騎士学校へ行くつもりでしたもの。


 かなり荒れた夜だった。

 だが、悪い夜ではなかった。


 話が、ようやく本当の形で始まったからだ。


 私は羽根ペンを置き、静かに息を吐いた。


 よろしい。


 次は、感情ではなく理屈の場になる。


 それなら負けない。


 ――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、ついに家族へ“王国騎士学校へ進む”という本心を真正面から突きつけ、感情と常識と合理が正面からぶつかる、次の日の本格的な対話へ進むことになったのだった。

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