第34話 決勝の相手は、わたくしよりずっと“外”を知っておりましたわ
準決勝を抜けたあと、会場の空気は完全に変わっていた。
もはや誰も、私を“珍しい令嬢”として見ていない。
勝ち上がってきた一人として見ている。
それはとても良い変化だった。
物珍しさは、すぐ消える。
だが実力として見られれば、話は違う。
控えへ戻ると、オズヴァルトは短く言った。
「ここまで来ましたな」
「ええ」
「次で最後です」
「ええ」
「気負いますか」
私は一度だけ呼吸を置いた。
「少しだけ」
「結構。気負いがゼロの者より、少しだけある者の方が丁寧です」
悪くない言葉だった。
私は礼をし、静かに座った。
遠くでは次の組が終わり、係の声が響いている。
来賓席の方は見ない。
父も母も兄も、たぶんこちらを見ているだろう。
だが今は関係ない。
今、見るべきは決勝の相手だけだ。
名前を呼ばれ、私は場へ出た。
相手は十六か十七ほどの少年だった。
背は高い。
肩の力は抜けている。
視線が静かだ。
構えも薄い。
だが、その薄さの下にあるものが違う。
強い。
それも、今までの相手とは違う種類の強さだった。
待てる。
読める。
そして、人前で勝つことに慣れている。
私は向かい合って礼をした。
その一瞬で分かった。
この相手は、わたくしよりずっと“外”を知っておりますわ。
庭でも舞踏室でもなく、こういう場で勝ち負けを繰り返してきた空気がある。
つまり、今の私は本当に試される。
よろしい。
そうでなくては困る。
始まる。
一合目、互いに動かない。
待つ。
見る。
呼吸が細くなる。
二合目、相手が少しだけ圧を置く。
私は乗らない。
三合目、私が薄く入る。
相手はそれを読んで外す。
……見えておりますわね。
会場が静かだった。
見ている者ほど分かるのだろう。
これは、軽い勝負ではない。
四合目、相手が来る。
速い。
だが速さだけではない。
こちらに“そう来るだろう”と思わせた先へ、さらに半歩ずらしてくる。
私はかろうじて戻した。
取らせない。
だが、相手の方が一枚深い。
五合目。
私はここで、一つ決めた。
全部使う。
十年分、全部。
待つ。
読む。
最初の一手。
重さ。
戻り。
間。
そして、人前で崩れないこと。
相手が見るなら、こちらも見る。
相手が待つなら、こちらも待つ。
ただし、向こうの土俵に乗りきらない。
六合目。
私が薄く置く。
相手が反応する。
そこへもう半歩。
取れない。
だが、通じた。
相手の目が、初めて少しだけ変わった。
……よろしい。
七合目。
今度は向こうが来る。
私は待つ。
戻る。
だが、最後の最後でわずかに遅れた。
取られた。
会場が沸く。
大きい。
決勝にふさわしい音だった。
私は礼をしたまま、静かに息を吐いた。
負けた。
だが、崩れてはいない。
悔しい。
かなり悔しい。
けれど、惨めではなかった。
なぜなら、分かったからだ。
外で通じる。
ただし、最上位へ行くにはまだ足りない。
それは敗北として、最高に良い結果だった。
礼を終えて下がろうとした時、相手が小さく言った。
「強かった」
私は顔を上げる。
少年はまっすぐこちらを見ていた。
勝者の余裕ではない。
対等な相手へ向ける目だった。
「あなたもですわ」
「令嬢が来るとは思わなかった」
「わたくしも、ここまで来るとは思いませんでしたの」
すると相手は、ほんの少しだけ笑った。
「また来るだろう」
私は一拍だけ置いて答えた。
「ええ。たぶん」
下がった私を、オズヴァルトは何も言わずに迎えた。
少し歩いて、人目が薄くなったところでようやく口を開く。
「どうでした」
「負けましたわね」
「ええ」
「ですが、よく分かりましたの」
「何が」
私はまっすぐ答えた。
「通じることと、勝ち切ることは違いますわ」
オズヴァルトは静かに頷いた。
「その通りです」
「そして、今のわたくしは前者までは行けますけれど、後者にはまだ足りませんの」
「その認識なら結構」
それだけだった。
だが十分だった。
表彰の場で名前を呼ばれた時、会場の視線はもう好奇だけではなかった。
驚きと、評価と、面倒な噂の予感が混じっていた。
準優勝。
公爵令嬢。
王国剣術大会。
ああ。
これは本当に、もう隠せませんわね。
来賓席の前を通る時、父は立っていた。
母も、兄も。
私は一礼した。
父は何も言わない。
母も微笑まない。
兄だけが、微妙な顔で口を引き結んでいる。
よろしい。
かなり荒れる顔ですわね。
だが、その場では何も起きなかった。
家名がある。
人目もある。
父も母も、そこを外す人ではない。
帰りの馬車の中も静かだった。
重い沈黙ではある。
だが、崩れた沈黙ではない。
皆、それぞれに整理しているのだろう。
最初に口を開いたのは父だった。
「ルクレツィア」
「はい、お父様」
「優勝できると思っていたか」
私は少し考えた。
そして正直に答える。
「いえ。できるとは思っておりませんでしたわ」
「では、なぜ出た」
「通じるかを知りたかったからですの」
「それで?」
「通じましたわ。ですが、足りませんでした」
父はしばらく黙った。
やがて、低く言う。
「……そうか」
母が次に言った。
「ルゥ」
「はい、お母様」
「あなた、あの舞台で最後まで崩れなかったわね」
「崩れたら負けが浅くなりますもの」
母は目を閉じ、それから小さく息を吐いた。
「本当に、そういうところなのよ」
兄がそこでようやく笑った。
今度は間の悪くない笑いだった。
「父上、母上。たぶんもう分かっているでしょう」
「何がだ」
父が低く言う。
「こいつ、ここで終わる気がない」
馬車の中がまた静かになった。
私は何も言わない。
言うべきではない。
今はまだ。
だが、父も母も気づいたはずだ。
王国剣術大会へ黙って出るような娘が、これで満足して貴族学院へ素直に進むかどうかなど。
母が静かに言った。
「ルゥ」
「はい」
「帰ったら、全部話してもらいます」
「はい」
父が続ける。
「全部だ」
「はい」
兄は窓の外を見ながら、ぽつりと言った。
「騎士学校だろうな」
沈黙。
しまった、と思う暇もなかった。
父が顔を上げ、母が私を見る。
私は一拍だけ止まった。
だがもう遅い。
兄は完全に言ってしまった。
「……アルフレート」
父の声が低い。
兄は少しだけ肩をすくめた。
「だって、ここまで来たらそうだろう」
私は静かに目を閉じた。
ええ。
もう全部、隠しきれませんわね。
だが、それでも構わない。
大会は終わった。
結果は出た。
準優勝という形で、外で通じることは示した。
ならば次は、その先を話すだけだ。
王国騎士学校。
わたくしが進むべき場所を。
馬車が屋敷へ向かう間、私はただ静かに座っていた。
負けた悔しさはまだ胸にある。
だが、それ以上に心は妙に澄んでいた。
通じた。
足りなかった。
だから次へ行く。
それだけだ。
その夜、記録帳には短くこう書いた。
王国剣術大会、準優勝。
外で通じた。
だが、勝ち切るにはまだ足りない。
そして、騎士学校のことは、もう隠せない。
かなり良い日でしたわ。
かなり荒れる夜でもありますけれど。
私は羽根ペンを置き、静かに息を吐いた。
よろしい。
次は、家族との本当の衝突だ。
――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、王国剣術大会で準優勝という結果を残し、その強さが本物であることを示すと同時に、ついに王国騎士学校への進学という“次の既成事実”まで家族へ露見してしまったのだった。




