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公爵令嬢に生まれたので断罪に備えていたら、なぜか王国最強になっていました  作者: 玉響すばる


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第26話 初めて褒められた日は、少しだけ空が高く見えましたわ

 夏に入る頃には、私の鍛錬はさらに一段進んでいた。


 歩法は崩れにくくなった。

 礼は自然さが増した。

 舞踏では相手へ合わせる余裕が出てきた。

 棒の打ち込みも、待ってから入る形が少しずつ身体へ入ってきた。


 だが、私はまだ満足していなかった。


 基礎が入るのは大事だ。

 けれど、基礎だけでは“できる”の証明になりにくい。

 周囲にとっても、自分にとっても、どこかで一度“見える形の成果”が欲しい。


 そんなことを考えていたある日の午後、オズヴァルトが言った。


「お嬢様」


「何かしら」


「今日は少し趣向を変えます」


 私はすぐに姿勢を正した。


「どう変えるの?」


「今までは一つひとつの動きを切っておりました。今日は、それを繋げます」


 なるほど。


 つまり、礼から入り、構え、待ち、打ち、止め、戻り、また礼へ戻るまでを一続きの流れとして見せるのだろう。


 それは、確かに今の私に必要だった。


 細かく切ればできる。

 だが、繋げると崩れる。

 そういう段階はよくある。


「何本?」


 私が問うと、オズヴァルトは短く答えた。


「三本で結構」


 三本。


 少ない。

 だが少ないからこそ誤魔化せない。

 一つひとつを綺麗に繋げる必要がある。


「いきますわ」


 私は礼をした。


 呼吸。

 構え。

 待つ。

 一歩。

 打つ。

 止める。

 戻る。

 礼へ戻る。


 一本目。

 悪くない。

 だが、戻りで少しだけ気が急いた。


「続けて」


 二本目。

 今度は戻りを急がない。

 待つ。

 打つ。

 止める。

 静かに戻る。


 三本目。

 もっと静かに。

 もっと自然に。

 力ではなく、流れで。


 終えて礼をした時、庭が少しだけ静かになった。


 私は顔を上げる。


 オズヴァルトが腕を組んだままこちらを見ていた。

 グレゴールも、少し離れた場所でいつも通り立っている。

 そして、いつの間にか兄まで木陰にいた。


 最近、本当に多い。


「……今のは」


 オズヴァルトが口を開く。


 私は待った。

 ここで自分から何か言うのは野暮である。


「初めて、“見せてもよい”形になりましたな」


 その言葉に、私は一瞬だけ息を止めた。


 初めて。


 見せてもよい。


 それは、今までで一番はっきりした評価だった。


「本当ですの?」


 思わずそう問うと、オズヴァルトは頷いた。


「ええ。まだ粗さはある。速さも足りない。力もない。ですが、一本の流れとしては、ようやく人に見せて崩れない形になってきました」


 私は少しだけ口を閉じた。


 嬉しい。


 かなり嬉しい。


 だが、ここで浮かれると次で崩れる。

 そういうことも知っている。


「ありがとうございます」


 私は礼をした。

 今度の礼は、自分でも少し自然だった。


 兄がそこで笑う。


「顔に出ているぞ、ルクレツィア」


「何がかしら」


「嬉しいのが」


「……少しだけですわ」


「かなりだろう」


 否定しない。

 今日は否定しないでおこう。


 グレゴールが静かに言った。


「お嬢様」


「何かしら」


「先ほどの三本、最初の頃と比べますと、止めの後の静けさがまるで違いました」


 私はそちらを見た。


「そうかしら」


「はい。以前は“次へ移りたい静けさ”でしたが、今は“そこに止まっていられる静けさ”です」


 良い表現だ。


 かなり良い。


 私はその言葉を頭の中で繰り返した。


 次へ移りたい静けさ。

 そこに止まっていられる静けさ。


 たしかに、その差は大きい。


「お嬢様」


 オズヴァルトが続ける。


「今後は、ただ基礎を積むだけでは足りません」


「次の壁、ですのね」


「ええ。見せられる形になったなら、次は“乱されても崩れない”へ進みます」


 来た。


 それは良い。

 非常に良い。


「どうやるの?」


「簡単です。途中で声を掛けます。あるいは待ちを長くします。少し流れを崩します。その中でも一本を保つのです」


 なるほど。


 つまり、整った条件でできるだけでは足りない。

 少し揺らされた中でも、形を保てるようにする。

 それはたしかに次に必要な段階だ。


「おもしろいですわね」


 私が言うと、兄が呆れたように言った。


「そこを面白がるのは本当に変わらないな」


「変わる必要がありませんもの」


「まあ、そうか」


 兄はそこで少しだけ真面目な顔になる。


「でも、今のはたしかに良かった」


 私はそちらを見た。


「お兄様まで」


「俺は別に甘く見ていたわけじゃない。だが、今日ははっきり分かった。前は“鍛えている妹”だったが、今は少し“積み上がっている妹”だ」


 悪くない。


 かなり悪くない言い方だ。


「ありがとうございます、お兄様」


「素直だな」


「今日はそういう日ですもの」


 その日はそれ以上、長くはやらなかった。

 良い一本が出た日に無理を重ねると、かえって雑になることがある。

 前世でもそうだった。

 掴んだ感覚を、無理に擦り切れさせる必要はない。


 部屋へ戻る途中、空を見上げると、少しだけ高く見えた。


 気のせいかもしれない。

 だが、初めてはっきり褒められた日とは、そういうものだろう。


 その夜、記録帳には珍しく大きめの文字で書かれた。


 初めて、“見せてもよい”と言われた。


 その下に、私は少し考えてから続けた。


 できることが増えるのは嬉しい。

 だが、本当に嬉しいのは、積み上げたものが流れとして形になった時である。


 さらにもう一行。


 次は、乱されても崩れないこと。


 私は羽根ペンを置き、静かに息を吐いた。


 よろしい。


 また一段、進んだ。


 基礎の中にいた私が、ようやく“見せられる基礎”を持ち始めた。

 それはとても大きい。


 そして次は、場が揺れても崩れないことだ。


 断罪の場が静かだとは限らないのだから。


 ――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、ついに自分の修行が“人に見せてもよい形”へ届いたことを認められ、次なる壁――乱されても崩れない強さ――へ向かっていくのだった。

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