第25話 気づけば木剣が軽くなっておりましたわ
初夏に入る頃には、私の鍛錬は完全に日常へ溶け込んでいた。
朝は歩法と礼。
昼は勉学と礼儀作法。
午後は舞踏か棒の基礎。
夕方に短い反復。
夜に記録。
最初の頃は、一つできるたびに嬉しくて仕方なかった。
だが今は違う。
できることが増えた分、次に足りないものが見える。
それが良い。
木の棒は、いつの間にか以前ほど重くなくなっていた。
もちろん、本当に軽くなったわけではない。
私の身体が少し慣れ、支え方が少し良くなっただけだ。
礼から構えへ入る流れも自然になった。
舞踏では兄に引きずられにくくなった。
歩法は廊下でも庭でも崩れにくくなった。
そして何より、打つ前に待てる時間が増えた。
その変化がはっきり見えたのは、ある日の午後だった。
「お嬢様」
オズヴァルトが言う。
「今日は少し長めに続けます」
「はい」
「二十本です」
以前なら、その時点で少し身構えた本数だった。
だが今は違う。
私は礼をし、構えた。
一歩。
打つ。
止める。
戻る。
二本。
三本。
五本。
呼吸はまだ荒れない。
肩も上がらない。
十本を超えても、前のように急いで雑になる感覚は薄かった。
「十五」
オズヴァルトが数える。
私は打つ。
止める。
戻る。
「十八」
少しだけ脚が重い。
だが、まだいける。
「二十」
最後の一本を終え、私は静かに戻った。
そのまま礼をする。
沈黙。
オズヴァルトが腕を組んだまま言った。
「……ようやく、ですな」
「何がですの?」
「二十本やっても、最後の三本が崩れなくなってきました」
私は目を瞬かせた。
「本当ですの?」
「ええ。前は十本を超えると、待てなくなった。肩も先に出た。今は違います」
それはかなり大きかった。
前世でも、疲れてから崩れないことは重要だった。
元気な時に綺麗なのは当然である。
本当に差が出るのは、少し苦しくなってからだ。
「では、進んでおりますのね」
「進んでおります」
オズヴァルトは短く言った。
「ただし、まだ“強い”ではなく“基礎が崩れにくくなった”段階です」
「十分ですわ」
「ええ。その認識なら結構」
そこへ兄がやって来た。
「終わったか」
「今終わりましたの」
「顔が少し満足そうだな」
「良い日でしたもの」
兄は私の横に立ち、落ちていた木剣を拾い上げた。
それを軽く振ってから言う。
「それで、前より軽く感じるようになったんだろう」
私はそちらを見た。
「なぜ分かりますの?」
「最近のお前、持ち方が違う」
兄は木剣を私へ返す。
「前は“持っている”感じだった。今は“収まっている”感じだ」
悪くない表現だ。
かなり悪くない。
「ありがとうございます、お兄様」
「褒めたわけじゃない」
「でも当たっておりますわ」
兄は苦笑した。
「最近は、何を言っても材料にするな」
「使えるものは使いますもの」
「そこは変わらないな」
その日の夜、記録帳には短く、しかしはっきりと書かれた。
二十本で崩れにくくなった。
疲れてから待てる。
木剣が“重い”から“収まる”へ変わり始めた。
そして数日後、次の変化が起きた。
舞踏である。
母と兄を相手に続けていた基礎が、ついに少し形になってきたのだ。
「ルゥ」
母が言う。
「ようやく、相手の流れを見てから動けるようになってきたわね」
「以前は違いましたの?」
「以前は、自分が崩れないことに必死だったのよ」
それはそうだろう。
実際、最初の頃は引っ張られないことだけで精一杯だった。
だが最近は違う。
相手の肩の向き。
手の圧。
一歩目の入り。
そういうものを感じてから合わせる余裕が少し出てきた。
兄も言った。
「今は少なくとも、無理に連れていかれている感じはないな」
「無理に、とは何ですの」
「前はたまにそうだった」
「……存じておりますわ」
悔しいが事実だ。
その日の練習の終わり、母が私へ言った。
「次からは、ただ合わせるだけではなく“相手を安心させる動き”も意識しなさい」
「安心、ですの?」
「ええ。自分が崩れないだけでは半分なの。相手に、この人となら大丈夫と思わせて、ようやく一人前よ」
難しい。
だが、面白い。
つまり次の壁はそこだ。
崩れない、の次は、相手を不安にさせない。
良い。
非常に良い。
さらに数週間後、礼儀作法にも変化が出た。
マルグリット夫人が、私の礼を見て珍しく言ったのだ。
「ルクレツィア様。ようやく“形をなぞる礼”ではなくなってきましたね」
私はすぐに背筋を伸ばした。
「どういう意味かしら」
「以前は正確でしたが、どこか作っている礼でした。今は、始まりと終わりが少し自然です」
それはとても嬉しかった。
形は作れる。
だが自然さは積まないと出ない。
前世でも、それは同じだった。
そして、その変化をいちばん面白がったのは、意外にも父だった。
ある日の夕食後、父が私を見て言った。
「最近、お前は座る時の音まで静かになったな」
私は顔を上げた。
「気づいておられましたの?」
「嫌でも気づく。前は“気をつけている”静かさだった。今は少し自然だ」
兄が横で吹き出した。
「父上までそんなことを見るようになったのか」
「毎日見せられていれば分かる」
父は疲れた顔で言ったが、その声色は少しだけ柔らかかった。
私はそこで、はっきり理解した。
進めば、周囲は見る。
奇行でも、継続すれば評価に変わる。
未完成でも、変化が続けば認識は変わる。
ならばこのまま行けばいい。
派手な飛躍ではなくてよい。
数か月で一段。
また数か月で一段。
そうやって積み上げれば、最後には誰も“気まぐれ”とは言えなくなる。
その夜、記録帳にはこう書かれた。
木剣は軽くなったのではない。
私の持ち方が、少しだけましになった。
そして、その下にもう一行。
修行は、急に上達したように見える日があるが、その正体はたいてい、見えない反復の積み上げである。
よろしい。
かなり良い進み方だ。
次は、基礎を超えて“見せられるもの”を一つ作る段階へ入るべきだろう。
――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、ついに修行の成果がはっきり形として現れ始め、周囲にも“本当に積み上がっている”と認識される段階へ進んでいくのだった。




