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公爵令嬢に生まれたので断罪に備えていたら、なぜか王国最強になっていました  作者: 玉響すばる


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第11話 お兄様、手を取る時は引っ張ってはいけませんわ

 舞踏が正式に私の鍛錬計画へ組み込まれてから、三日ほどが過ぎた。


 結論から言うと、大変よい。


 足運び。

 重心移動。

 回転。

 相手との距離感。

 手を取られた状態での軸の維持。


 どれも予想以上に使える。

 しかも礼儀作法の延長として自然に学べるため、父も母も露骨には止めにくい。


 素晴らしいことだ。


 私はその日も午前の勉学を終えたあと、小舞踏室で母の指導を受けていた。


「急がない」


「はい」


「相手に合わせる」


「はい」


「でも、合わせるだけで自分の軸を失わない」


「はい」


 言葉にすると単純だが、やってみると難しい。


 自分だけで動くなら話は早い。

 だが舞踏は相手がいる。

 しかも相手に引きずられすぎても駄目で、自分だけ勝手に動いても駄目だ。


 この“相手に合わせながら自分を失わない”という感覚は、かなり奥が深い。


「ルクレツィア」


「はい、お母様」


「今のは少し考えすぎているわね」


 母が扇を軽く動かして言った。


「頭で合わせようとすると遅れるの。まず相手の流れを見て、身体で受けるのよ」


「身体で」


「ええ。考えるのはそのあと」


 なるほど。


 前世の競技でも似た感覚はあった。

 相手の入りを見てから頭で整理していたのでは遅い場面がある。

 まず身体が反応し、そのあと意識が追いつく。


 舞踏はもっと穏やかなものだが、本質の一部は近いのかもしれない。


 私は小さく息を吐き、再び姿勢を整えた。


 今日は母が相手役になってくれている。

 私の手を取り、ゆっくりと導くように動きを繋いでくれるため、とても分かりやすい。


 だが同時に、誤魔化しも利かない。


 少しでも軸が流れれば分かる。

 少しでも足が慌てれば伝わる。

 優雅とは、たいてい誤魔化しの効かない技術の上に成り立つ。


「では、もう一度」


「はい」


 私は母の手に合わせて一歩出た。


 前。

 横。

 半回転。

 止まる。


 そこで扉の方から、小さくノックの音がした。


「入ってよろしくてよ」


 母が言う。


 扉が開き、入ってきたのは兄だった。


 またお前か、という感想が一瞬で頭をよぎる。

 最近の兄は本当によく現れる。


「お兄様」


「邪魔しているか」


「少し」


「即答だな」


 兄は苦笑しながらも部屋へ入ってきた。

 服装はいつも通り整っているが、どこか気楽な空気がある。

 仕事や勉学の合間に顔を出したのだろう。


「何のご用件ですの」


「母上に少し書類の確認を頼まれてな」


「そこへ可愛い妹が舞踏の練習をしていたので、つい見たくなったのね」


 母がさらりと言うと、兄は一瞬だけ言葉に詰まった。


 おや。


 図星かしら。


「……まあ、半分くらいは」


「半分ではなくて?」


「全部だと認めるのは癪だ」


 素直なのか素直ではないのか、判断に迷う人だ。


 母は小さく笑い、それから私と兄を見比べた。


「ちょうど良いわね」


 嫌な予感がする。


「何がですの、お母様」


「ルクレツィア、相手が変わるとまた感覚も変わるでしょう?」


「それは、まあ」


「今日は少しだけ、お兄様に相手役を頼みましょう」


 来た。


 私は静かに兄を見た。


 兄もまた私を見ていたが、数秒後にゆっくりと片眉を上げた。


「嫌そうだな、ルクレツィア」


「嫌というより警戒ですわ」


「妹が兄に対して使う言葉ではない気がするが」


「油断は禁物ですもの」


 乙女ゲーム的にも、現実的にも。


 だが母の提案自体は理にかなっている。

 相手が変われば、合わせ方も変わる。

 母は私の癖を知りすぎていて、良くも悪くも誘導が上手い。

 兄のように少し雑味のある相手で練習するのも、たしかに有用だろう。


 ……雑味という表現は少し失礼かしら。

 でも本質的にはそうだ。


「できますか、お兄様」


 私が問うと、兄は肩をすくめた。


「基礎くらいならな。子供の頃から叩き込まれている」


 それはそうか。

 公爵家の嫡男に近い立場なら、舞踏も当然習っているはずだ。


「乱暴にしませんわよね?」


「お前、俺を何だと思っている」


「油断ならない観察者ですわ」


「そこまで言われると逆にやりにくいな」


 母が扇で口元を隠した。

 笑っている。

 完全に面白がっている。


「では二人とも、位置について」


 私は兄と向かい合った。


 兄は母より背が高く、当然ながら手も大きい。

 視線の高さも違う。

 この時点で、感じる圧がもう違っていた。


 なるほど。


 これは勉強になる。


「ルゥ」


 母が柔らかい声で言う。


「変に力まないこと」


「はい」


「あなたもよ、アルフレート」


 兄――アルフレートは軽く頷いた。


「分かっている」


 そして兄が右手を差し出した。


 私はそこへ自分の手を乗せる。


 その瞬間、思った。


 大きい。


 前世でも男性とこうして手を取る経験などなかったから、単純に比較できるわけではない。

 だが、母の手とは明らかに違う。

 力の入り方も、指の節の感触も、支える圧も違う。


 少しだけ気が散りかけた。


「ルクレツィア」


 母の声で意識を戻す。


「考えすぎない」


「はい」


 私は呼吸を整えた。


 前。

 横。

 回る。

 止まる。


 最初の一歩は悪くなかった。

 だが二歩目で、兄の重心移動に対して私の反応が少し遅れた。


「止めて」


 母の声。


 私たちは動きを止める。


「今のは、ルクレツィアが遅れたわね」


「はい」


「兄上は、少しだけ先を急ぎました」


 私がそう言うと、兄が目を細めた。


「分かるのか」


「ええ。わずかに」


「……へえ」


 母が扇を軽く下ろす。


「二人とも正しいわ。アルフレート、あなたはルクレツィアの歩幅を少し見誤った。ルクレツィアは、それを感じたのに合わせるのが半歩遅れた」


 なるほど。


 つまり私だけの問題ではなかったということだ。

 それは少しほっとする。

 いや、ほっとしてはいけないのだが。


「もう一度」


「はい」


 私は再び兄の手を取った。


 今度は、さっきよりも兄の肩と胸の動きを意識する。

 足だけでは追いづらい。

 上体の流れを先に見れば、次が少し読みやすい。


 前。

 横。

 回る。


 今度は先ほどよりましだった。


「良いわ」


 母が言う。


「さっきよりずっと良い」


「お兄様の肩が少し先に動きますもの」


 私がそう言うと、兄が吹き出しかけた。


「見ている場所が変だろう」


「変ではありませんわ。足より先に分かりやすいですもの」


「お前、本当に何を見て舞踏してるんだ」


「流れですわ」


 心外だが、間違ったことは言っていない。


 母はむしろ感心したように言った。


「良い着眼点よ、ルゥ。相手の視線や肩の流れで次を読むのは大事だわ」


 よろしい。

 公認を得た。


 兄が少しだけ遠い目をした。


「母上、この子の舞踏、何か別のものになっていませんか」


「今さらでしょう」


 まったくその通りだと思う。


 そのあとも数度繰り返すうちに、私は一つ、はっきり分かったことがあった。


 兄は母より少しだけ手の導きが強い。


 乱暴ではない。

 だが、相手を引く力が無意識に勝っている。

 たぶん普段は問題ない程度だろう。

 だが私のように身体の小さい相手だと、わずかに軸を持っていかれやすい。


 私は三度目の途中でそれを感じ取り、動きが止まった。


「どうした」


 兄が問う。


 母もこちらを見る。


 私は少しだけ迷ったが、言った方がよいと判断した。


「お兄様」


「何だ」


「手を取る時は、引っ張ってはいけませんわ」


 沈黙。


 兄が止まる。

 母の扇も止まる。

 室内の空気まで一瞬だけ止まった気がした。


「……引っ張っているか、俺は」


 兄が静かに問う。


「少しだけ」


 私は真顔で頷いた。


「乱暴ではありませんの。ですが、わたくしの重心が軽いので、少し先を急がれると軸が持っていかれますわ」


 兄の顔から軽い笑いが消えた。

 代わりに、観察する側の真面目な目になる。


「どのあたりで?」


「横へ流れる時と、回る前ですわね。手の力というより、先に導く意識が強いのだと思いますの」


 母がゆっくりと息を吐いた。


「……その通りよ、アルフレート」


 兄が母を見る。


「あなた、普段は相手も慣れているから成立しているの。でも、身体の小さい相手だと今みたいに少し強いわ」


 兄は数秒黙ったあと、私を見た。


「よく分かったな」


「感じましたもの」


「それを言葉にまでできるのか」


「たぶん」


「たぶん、でそれだけ言えれば十分だ」


 私は少しだけ顎を引いた。

 褒められたのかしら。

 たぶんそうだろう。


「もう一度、やってみましょう」


 母が言う。


「アルフレートは今の指摘を意識して。ルクレツィアは感じたままに動きなさい」


「はい」

「分かった」


 私たちは再び向き合う。


 兄の手が来る。

 私は乗せる。


 さっきより、力が柔らかい。


 なるほど。

 修正は早いらしい。


 前。

 横。

 回る。

 止まる。


 今度は、かなり良かった。

 引かれる感覚が薄く、代わりに流れへ自然に乗れる。

 自分の軸も保ちやすい。


「今のですわね」


 私は思わず言った。


 兄が苦笑する。


「分かりやすいな、お前」


「違いは大きいですもの」


「それは俺にも分かった」


 母も頷いた。


「ええ。今の方がずっと良いわ。アルフレート、あなたは相手を導けるけれど、少し“連れていこう”とする癖があるのね」


「……言われたことはなかったな」


「相手が大人なら問題になりにくいもの。でも、気づけたのは良かったわ」


 兄は一度だけ自分の手を見た。


 その顔が少し真面目なのを見て、私は内心で納得する。


 なるほど。

 兄にとっても学びになったのだ。


 悪くない。


「ルクレツィア」


「何かしら、お兄様」


「お前、妙なところで役に立つな」


「妙とは何ですの」


「褒めている」


 それならよい。


 母がくすくすと笑う。


「二人とも、思った以上に相性は悪くないみたいね」


「それはどうかしら」


「それはどうだろう」


 兄と私の声が綺麗に重なった。


 母はとうとう声を立てて笑った。

 不本意である。


 だが、そのあとも少しだけ続けた練習は、たしかに有意義だった。


 相手が変わると見えるものが変わる。

 手の圧。

 歩幅。

 導き方の癖。

 視線の置き方。


 舞踏はやはり足運びの宝庫だ。

 それだけではなく、相手の癖がそのまま出る。

 そして、自分の感覚を言葉にする訓練にもなる。


 素晴らしい。


 練習が終わって兄が部屋を出て行く時、彼は扉のところでふと振り返った。


「ルクレツィア」


「何かしら」


「さっきの指摘、助かった」


 私は少しだけ目を丸くした。


 兄は普段、軽口は多いが、こういうことを真正面から言うタイプではないと思っていた。

 意外である。


「お役に立てたなら何よりですわ」


「……本当に、その言い方は可愛げがないな」


「事実ですもの」


 兄は苦笑し、そのまま去っていった。


 私はその背を見送り、それから母の方へ向き直った。


「お母様」


「何かしら」


「舞踏、思っていた以上に情報量が多いですわね」


「でしょう?」


 母が優雅に微笑む。


「だから申し上げたでしょう。人柄も癖も、案外全部出るのよ」


 私は静かに頷いた。


 そしてその日の夜、記録帳には新しい一文が加わった。


 舞踏では、相手の癖が手と肩に出る。

 導く者は、引っ張ってはいけない。

 感じた違和感は、言葉にできると強い。


 良い日だった。


 派手ではない。

 だが、確実に前へ進んでいる。


 ――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、舞踏を通じて“相手の癖を感じ取り、それを言葉にする”という新たな武器まで手に入れ、公爵令嬢としての学びをますます断罪対策へ変えていくのだった。

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