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公爵令嬢に生まれたので断罪に備えていたら、なぜか王国最強になっていました  作者: 玉響すばる


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第87話 ルクレツィア、推しの連続だけで夏季休暇が終わってしまいましたけれど、どうやら休んだのかどうか少々怪しいですわね

 三年前期課程修了後の夏季休暇は、もう少し静かなものになるかと思っていた。


 仮出向も終えた。

 前期課程も修了した。

 屋敷へ戻り、少し外を知った自分を家の中へ馴染ませる。

 そのつもりだった。


 つまり、整える休暇。

 少し呼吸を置く時間。

 そういうものを、わたくしは想定していたのである。


 だが、現実は少し違った。


 いや、かなり違った。


 兄の婚約者エリザベート様が、どうやら本気でわたくしを気に入ってしまわれた。

 そこへ彼女の友人たちまで加わった。

 さらに、気がつけばエリザベート様のご家族まで、婚約の挨拶という名目のもと、かなり真面目にこちらを見にいらした。


 そして全員が、少しずつ、しかし確実に同じ方向へ寄っていった。


 つまり。


 推しである。


 いや、わたくしが、である。


 かなり意味が分かりませんわね。


 意味は分からないのだが、現象としては確かにそうだった。


 最初はエリザベート様だけだった。

 次に友人たち。

 その次にご家族。


 そして彼女たちは、いずれも礼儀正しく、好意的で、しかもやや強かった。


 だから困る。

 だが、嫌ではない。

 そのせいでさらに困る。


 そんな日々を過ごしているうちに、夏季休暇は静かに削られていったのである。


 最初に“これは少々まずいかもしれませんわね”と思ったのは、休暇の中盤だった。


 朝、ミアが私の髪を整えながら、妙に穏やかな顔で言ったのだ。


「本日も、エリザベート様からお手紙が」


 私は鏡越しにミアを見た。


「……本日“も”」


「はい」


 ミアは落ち着いている。

 だが、その落ち着きの奥で少し楽しんでいるのが分かる。


「今回は何と」


「次にお会いできるのが楽しみです、と」

「ええ」

「前回のルクレツィア様の“ありがとうございます”が自然で、とても嬉しかった、と」

「ええ」

「それから」

「まだありまして?」

「はい。“夏の陽射しの中のルクレツィア様は、きっとさらにお綺麗でしょうね”と」


 私はそこで、ほんの少しだけ目を閉じた。


 ええ。

 朝から少々強いですわね。


 ミアは丁寧に髪を整えながら、小さく続ける。


「お返事、どうなさいますか」


 どうするも何も、返さないわけにはいかない。

 家としても、個人としても、それは不自然だ。


「……ありがとうございます、と」


「はい」


「楽しみにしております、と」


「はい」


「あと、そのように仰っていただけるのは光栄です、と」


 ミアは鏡越しに私を見て、少しだけ微笑んだ。


「かなり自然になってまいりましたね」


「何がかしら」


「好意への一次応答が、です」


 私は少しだけ黙った。

 そして、低く言う。


「なぜミアまでそんなことを」


「屋敷全体で見守っておりますので」


 ええ。

 知っておりましたわ。


 この屋敷、わたくしのそういうところを、かなり面白がっておりますのよね。


 それから数日後、エリザベート様がまた来た。

 今度は単独ではない。

 母君と姉君もご一緒である。


 もはやレインベルク家全体が、何やらこちらへ好意的であることを、わたくしは薄々理解していた。

 理解していたが、実際に三人そろって来られると少々圧がある。


 しかも、その圧は敵意や悪意の圧ではない。

 “かなり好ましく思っております”の圧である。


 これが一番対処に困る。


 応接の間での挨拶は穏当に進んだ。

 家同士の礼。

 婚約の段取り。

 父と母の言葉。

 兄の少しだけ落ち着かない顔。


 その流れの中で、レインベルク家の母君が私へ微笑んで言う。


「ルクレツィア様は、本当に静かな方ですのね」


「……そうかしら」


「ええ。ですが、ただ静かなだけではなくて、芯のある静けさですわ」


 私は一拍だけ止まりかけたが、今回は持ち直せた。


「ありがとうございます」


 よろしい。

 今のはかなり良いですわね。


 そう思った瞬間、今度は姉君が言う。


「しかも、とてもお可愛らしいですわ」


 持ち直した直後に重ねるのは、少々反則ではなくて?


 私はさすがに少しだけ固まり、兄が横で目を閉じた。

 父は天井を見た。

 母は扇の向こうで笑いを堪えている。


 そしてエリザベート様は、どこか誇らしそうだった。


 なぜ誇らしそうなのですの。


 だが、責める気にもなれない。

 彼女はちゃんと加減している。

 加減したうえで、それでもなお向こうのご家族がかなりこちら側へ来てしまっているだけだ。


 つまりこれは、わたくし一人の問題ではなく、少々構造的な問題に近い。


 困りますわね。


 そして夏季休暇の後半になる頃には、もはや“次は誰が来るのかしら”という空気すら生まれていた。


 エリザベート様の友人から、母経由でさりげない贈り物が届く。

 レインベルク家の姉君から、“この前の立ち姿が忘れられませんわ”という、やや強い文面が届く。

 母君からは、“どうかご無理をなさらず”と、妙に優しい気遣いが届く。


 わたくしはそのたびに、手紙を読み、止まり、呼吸を置き、“ありがとうございます”を考え、返す。


 その繰り返しである。


 ある日の午後、私はついに兄へ言った。


「お兄様」


「何だ」


「少々、周囲が強すぎませんこと?」


 兄は書類から顔を上げ、少しだけ考えるように私を見た。


「誰の周囲だ」


「わたくしの、ですわ」


「……ああ」


 理解したらしい。

 だが、理解したからといって助けてくれるわけではない。

 それが兄である。


「まあ、強いな」


「そう思うなら」


「でも、お前も嫌じゃないんだろ」


 私はそこで一瞬だけ言葉に詰まった。

 そして、その沈黙がすでに答えだった。


 兄が少しだけ笑う。


「図星か」


「……嫌ではありません」


「だろうな」


「ですが、少々処理が追いつかないのですの」


「それも分かる」


「ならば」


「それでも、止めるほどではないんだろ」


 そこが厄介なのだ。


 止めるほどではない。

 むしろ、好意はありがたい。

 だが、連続すると少し困る。

 しかも向こうは誰も悪くない。


 兄は苦笑しながら言った。


「諦めろ」


「理不尽ではなくて?」


「そういう夏だと思え」


 私はその言葉に、少しだけ本気で不服だった。


 だが、言われてみればたしかにそうかもしれない。


 そういう夏、である。


 そしてついに、夏季休暇の終わりが見えた頃、母がぽつりと言った。


「ルゥ」


「何かしら」


「この夏、どうだった?」


 私は少し考えた。

 かなり考えた。


 剣の調整。

 屋敷の速度への再接続。

 外を知った順番の整理。

 兄の結婚話。

 婚約者との関係。

 そしてその婚約者による、かなり本格的な推し活。


 さらに友人たち。

 ご家族。

 手紙。

 訪問。

 好意。

 可愛らしいと言われて困るわたくし。

 それを見て喜ぶ周囲。


 かなり情報量の多い夏だった。


「……少々、休暇という感じではありませんでしたわね」


 母は、扇の向こうで笑った。


「でしょうね」


「お母様は分かっていて聞きましたわね?」


「ええ。かなり」


 そこへ父が低く言う。


「だが、お前にとっては必要な休暇でもあっただろう」


 私はそちらを見た。


「どういう意味かしら」


「仮出向から戻り、外で知った順番を家の中へ再接続する」

「ええ」

「その過程で、家の中の人間関係もまた変わる」

「ええ」

「兄は結婚へ進み、婚約者はお前を気に入り、その周囲までお前へ好意を向ける」

「ええ」

「つまり、お前は“外の順番”だけでなく、“他人から好かれる自分”とも少しずつ折り合いをつける必要があった」


 その言葉は、思っていた以上に深く入った。


 そうですわね。


 剣や訓練だけではない。

 この夏、わたくしは“他人からかなり真っ直ぐに好意を向けられる自分”とも向き合っていたのだ。


 しかも、それは家の外からやってきた。

 兄の婚約者という新しい関係から。

 だから、今までの家の中だけでは育たなかった何かを、また一つ学ばされていたのかもしれない。


 母がやわらかく言う。


「どうせなら、少しは慣れたと思いなさい」


「……少しは、ですわね」


「ええ。少しで十分よ」


 その夜、夏季休暇の終わりに、私は久しぶりに長めに記録帳を開いた。


 夏季休暇が終わる。

 本来なら、前期課程修了と仮出向を経た自分を、もう少し静かに屋敷へ馴染ませる時間だったのだと思う。

 けれど実際には、エリザベート様と、その友人方と、ご家族まで含めた“かなり真っ直ぐな好意”の連続で、思っていた以上に処理の多い休暇になりましたわね。

 剣の調整や順番の整理だけではなく、どうやら“他人から好かれる自分”の扱いも、少しずつ覚えなければならないようですわ。


 そこまで書いて、私は少し手を止めた。


 それから最後に、一行だけ静かに足した。


 どうやらこの夏は、鍛えたり整えたりする休暇というより、“推されることに少しずつ慣れながら、それでもまだかなり困る自分”を知る休暇だったようですわね。


 ……かなり面倒でしたけれど、かなり悪くありませんでしたわ。


 私は羽根ペンを置き、窓の外の夏の終わりを少しだけ見た。


 休暇は終わる。

 また騎士学校へ戻る。

 後期課程が始まる。


 そしてたぶん、エリザベート様たちの好意も終わらない。


 そう思うと少しだけ困る。

 だが、それ以上に少しだけ笑ってしまう自分もいた。


 ――こうしてルクレツィア・フォン・ヴァルツェンの夏季休暇は、前期課程修了と仮出向後の調整期間であると同時に、エリザベートとその周囲から向けられる真っ直ぐすぎる好意と称賛と推しの連続に、少しずつ慣れ、少しずつ困り、しかし少しずつ受け取れるようになるという、思っていた以上に情報量の多い時間のまま終わっていくのだった。

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