幕間 エリザベート、推し仲間と一緒にルクレツィアを訪問する
エリザベート・フォン・レインベルクは、基本的に慎重な性格である。
好きだからすぐ動く、というタイプではない。
良いと思ったものほど、雑に扱いたくない。
だから人間関係でも、距離の詰め方はわりと丁寧だ。
まして相手が、婚約者の妹であり、公爵令嬢であり、しかも本気で騎士を目指しているルクレツィア・フォン・ヴァルツェンともなれば、なおさらである。
……本来なら、なおさらである。
だが、推しというものは時として人を少しだけ前のめりにする。
そして今回のエリザベートは、まさにそれだった。
発端は、いつもの友人とのお茶会である。
親しい伯爵令嬢と侯爵令嬢に、ルクレツィアの話をした。
準王国騎士団服を自然に着こなし、本気で騎士を目指し、筋が通っていて、しかも真っ直ぐな好意には少し不器用で困ってしまう。
そこまで聞かされた二人がどうなったか。
当然、かなり興味を持った。
「会ってみたいわ」
「ええ。とても」
そうなるに決まっている。
エリザベートは最初、かなり理性的に制止しようとした。
「ですが、急に大勢で推してはいけません」
「どうして?」
「ルクレツィア様、好意に少し不慣れでいらっしゃるので」
「ああ、一度に来ると固まるタイプなのね」
「かなり」
ここまでは良かった。
かなり理性的で、かなり丁寧だった。
だが、その後の流れが少々良くなかった。
「では、もし次に公爵家へ伺う機会があれば、さりげなくご一緒しても?」
「さりげなく?」
「ええ、あくまで自然に」
「自然に、ですか……」
ここで断るのが本来の慎重なエリザベートである。
だが、その時の彼女は少しだけ気持ちが勝っていた。
もし“分かる人”が実際にルクレツィアを見たら、やはり“かなり推せる”と理解してくれるだろう。
その瞬間を少し見てみたい。
しかも、ルクレツィアが他人からの好意に少し困りながらも受け取ってしまう、あの可愛らしい反応も見られるかもしれない。
……かなり見たい。
その欲が、ほんの少しだけ慎重さを押した。
「人数は少なく」
「ええ」
「一度に強く押しすぎず」
「もちろん」
「丁寧に、であれば」
そうしてしまった時点で、半分決まっていた。
後日、エリザベートは母へ事情を話し、公爵家側にも自然な形で打診をした。
名目は、結婚前に親しい友人たちへヴァルツェン公爵家の雰囲気を知ってもらいたい、という穏当なものだった。
母は手紙を読んで、少しだけ笑った。
「エリザベート様、やはりやるわね」
兄はその打診を聞いた瞬間に嫌な顔をした。
「待て」
「何かしら」
「その友人たち、絶対ルクレツィア目当てだろ」
母は扇を口元へ当てる。
「半分くらいはそうでしょうね」
「半分どころじゃない気がする」
父は深く息を吐いた。
「娘は見世物ではない」
それはまったくその通りである。
だが同時に、ルクレツィア本人が“見せるな”と言うタイプでもないことを、この家族は知っていた。
しかも今回の来訪は、少なくとも表向きはきちんとした訪問だ。
止めるほどではない。
問題はただ一つ。
ルクレツィアが、どこで固まるか、である。
そして当日。
ヴァルツェン公爵家の応接の間へ入る前から、エリザベートは少しだけ緊張していた。
自分一人で来る時とは違う。
今日はこちらに、伯爵令嬢と侯爵令嬢がいる。
どちらも気心は知れている。
だがそれでも、ルクレツィアを見た瞬間にどの程度の反応をするかは読めない。
いや、ある程度は読める。
たぶんかなり“分かる”側へ回る。
問題は、その熱量だ。
「お願いだから、一度にあまり強くいかないで」
エリザベートが念を押すと、伯爵令嬢が笑う。
「分かっているわ」
「ええ。ちゃんと丁寧にするわ」
その“丁寧に”が少し不安だった。
応接の間の扉が開く。
父。
母。
兄。
そして、ルクレツィア。
準王国騎士団服ではなく、この日は屋敷らしい整った装いだった。
だが、それでも分かる。
立ち方の芯が違う。
伯爵令嬢が、一瞬だけ息を呑んだ。
侯爵令嬢も目を見開く。
エリザベートはそこで、ああやはり、と思った。
分かってしまうのだ。
見る人が見れば、すぐに。
「お初にお目にかかります」
「ルクレツィア・フォン・ヴァルツェンですわ」
礼が美しい。
しかも、それが“令嬢らしいから美しい”だけではない。
必要なところへ重心が落ちている美しさなのだ。
伯爵令嬢がほとんど無意識に言った。
「……まあ」
かなり分かりやすい反応である。
ルクレツィアはその“まあ”を聞いて、ほんの少しだけ目を瞬かせた。
まだ大丈夫だ。
固まってはいない。
だが、エリザベートには分かった。
そろそろ危ない。
父と母が応接を進める。
兄は横で少しだけ警戒している。
エリザベートの友人たちは、礼儀は守りながらも、明らかにルクレツィアを見ていた。
伯爵令嬢が言う。
「エリザベート様から、少しお話は伺っておりましたけれど」
「ええ」
「本当に、思っていた以上に素敵な方ですのね」
来ましたわね。
エリザベートは内心でそっと息を吸う。
ルクレツィアは一拍だけ止まりかけ――そして、思ったより自然に言った。
「……ありがとうございます」
よろしい。
かなりよろしいですわね。
エリザベートは、ほんの少しだけ嬉しくなった。
前より進歩している。
ちゃんと受け取って、ちゃんと返している。
だが侯爵令嬢が続けた。
「しかも、ただ綺麗なだけではなくて、少し静かな強さがございますわね」
ルクレツィアの視線が少しだけ泳ぐ。
ええ。
ここからですわね。
「そうかしら」
「ええ。エリザベート様が“本気で騎士を目指していらっしゃる方”と仰っていた意味が、少し分かる気がいたします」
そこでルクレツィアは、少しだけ固まった。
完全停止ではない。
だが、反応の順番が丁寧すぎて一拍遅れる、あの現象である。
兄が横で目を閉じた。
母は扇の向こうで笑いを堪えている。
父は本気で少しだけ天井を見た。
エリザベートは、そこで一つだけ反省した。
ああ。
やはり二人同時は少々強かったですわね。
だが、ルクレツィアは崩れなかった。
一度だけ呼吸を置いてから、静かに答える。
「……本気ですもの」
その返答に、伯爵令嬢も侯爵令嬢も、ほとんど同時に目を細めた。
ええ。
駄目ですわね。
これはさらに好きになる反応ですわね。
案の定、食事の席へ移ってから、二人の友人は丁寧に、しかし着実にルクレツィアを褒め始めた。
「そのお言葉の選び方、とても素敵ですわ」
「ルクレツィア様は、きちんと見てから話されるのですね」
「騎士学校でのお話も、もし差し支えなければ伺ってみたいです」
「本当にお可愛らしいところもおありなのですね」
最後の一言で、ルクレツィアの手元が一瞬だけ止まった。
よろしい。
かなり危ないですわね。
エリザベートは、さすがに少しだけ助け船を出した。
「お二人とも、そのくらいで」
伯爵令嬢がすぐに言う。
「あら、ごめんなさい」
「ですが、本当に」
「ええ」
「かなり推せますわ」
侯爵令嬢も頷く。
「分かります。これはたしかに、エリザベート様が熱心にお話しなさるはずですわ」
兄がとうとう口を挟んだ。
「だから言っただろ」
「何をですの?」
伯爵令嬢が小首を傾げる。
兄はかなり真顔だった。
「ルクレツィアは、そうやって一度に来られると処理が詰まるんだよ」
伯爵令嬢と侯爵令嬢は一瞬だけ止まり、それからかなり納得した顔になった。
「……なるほど」
「たしかに」
ルクレツィアは、少しだけ兄を見た。
感謝しているのか、余計なことをと思っているのか、半々くらいの顔だった。
食後、母が当然のように提案した。
「せっかくだから、ルゥにお庭をご案内してもらったら?」
父が低く言う。
「人数が多い」
「でも、今日来ていただいた意味があるでしょう?」
意味、である。
その意味が少々妙なのは、誰も口にしなかった。
結局、庭へ出ることになった。
エリザベート。
伯爵令嬢。
侯爵令嬢。
そしてルクレツィア。
兄は「頑張れ」という顔をしていたが、何の役にも立たない。
父は本気で少しだけ疲れていた。
母だけが完全に楽しそうだった。
庭へ出ると、最初の数歩は少し静かだった。
友人二人も、さすがに反省したらしい。
いきなり押しすぎない。
ちゃんと丁寧に。
その方針へ切り替えたのだろう。
そしてそれは、正しかった。
伯爵令嬢がまず、かなり静かに言った。
「ルクレツィア様」
「何かしら」
「先ほどは少し驚かせてしまったかもしれません」
「……少々」
「ごめんなさい」
「いいえ」
ルクレツィアはそこで少しだけ目を細めた。
このくらいの温度なら、ちゃんと受け取れるのだ。
侯爵令嬢が続ける。
「でも、本当に素敵だと思ったのは本当ですの」
「そう」
「ええ。ですから、少しずつ仲良くしていただけたら嬉しいですわ」
その言い方は、かなり良かった。
強すぎない。
だが、好意はちゃんとある。
ルクレツィアは少しだけ考え、それから静かに答える。
「……ええ。わたくしもですわ」
その瞬間、エリザベートは内心でかなり喜んでいた。
通りましたわね。
しかも、かなり自然に。
そこからの庭歩きは、思っていたよりずっと穏やかだった。
友人二人は、ルクレツィアの話を聞きながら、少しずつ“褒める”より“知る”方へ寄せていく。
ルクレツィアも、最初よりずっと話しやすそうだ。
騎士学校のこと。
仮出向のこと。
家のこと。
兄のこと。
そして時々、友人たちがやはり少しだけ言う。
「やっぱり、その真っ直ぐさが素敵ですわ」
「本当に可愛らしい反応をなさるのですね」
ルクレツィアは、そのたびに少しだけ困る。
だが、前ほど固まらない。
受け取って、“ありがとうございます”を返せるようになっている。
かなりよろしいですわね。
エリザベートは、その様子を見ながら少し誇らしかった。
推し仲間を連れてきた。
だが、ただ大勢で押しかけたのではない。
ちゃんとルクレツィアが壊れない温度へ調整した。
そのうえで、やはり二人とも“かなり推せる”へ着地している。
完璧だった。
帰り際、伯爵令嬢がエリザベートへ小声で言った。
「分かったわ」
「ええ」
「これはかなり推せる」
「でしょう?」
侯爵令嬢も頷く。
「でも、たしかに一度に強く行ってはいけないわね」
「ええ」
「丁寧に、少しずつ」
「そうなのです」
その理解があるのなら十分だった。
屋敷へ戻ると、兄がすぐに聞いてきた。
「どうだった」
エリザベートは静かに答える。
「かなり成功です」
「何が成功なんだよ」
「推し仲間の育成です」
兄が完全に黙った。
父は遠くで本気で少しだけ頭を抱えていた。
母だけが「でしょうね」と頷いていた。
その夜、エリザベートは帰りの馬車の中で静かに満足していた。
ルクレツィアはやはり素敵だった。
そして、その素敵さはちゃんと他人にも伝わる。
ただし、温度と量を間違えなければ、である。
今日の二人も、最初は少し強かった。
だが途中からちゃんと合わせた。
その結果、ルクレツィアも壊れず、しかも好意を受け取っていた。
かなり良い。
そして何より、自分以外にも“分かる人”が増えたことが嬉しかった。
ルクレツィア・フォン・ヴァルツェンは、やはりかなり推せる。
格好良くて、真っ直ぐで、少し不器用で、かなり可愛らしい。
それを共有できる相手がいるのは、思っていた以上に楽しかった。
――こうしてエリザベートは、ついに推し仲間である友人たちを伴ってルクレツィアを訪問し、最初こそ少々好意の熱量が強すぎて危うい場面もありながら、最終的には“丁寧に推せばちゃんと通る”という重要な知見を共有しつつ、また一歩、静かにしかし確実にルクレツィア推しの輪を広げていくのだった。




