第92話
第92話
グランヴェルの問いのあと、テーブルの上にはしばし静かな時間が流れた。
店内では静かな音楽が流れている。遠くの席から聞こえる笑い声や、食器の触れ合う音だけが小さく響いていた。
ルシアンはスープを一口飲み、グラスの果実水に手を伸ばす。葡萄の香りがほんのりと広がった。
(誤魔化すより、正直に答えた方が印象が悪くならないか…)
そして、静かに言った。
「……さすが帝国の諜報機関ですね」
グランヴェルの口元がわずかに歪む。
「否定はしないか」
「否定しても意味がないでしょう」
ルシアンは肩をすくめた。
「ほとんど正解です」
護衛の青年が目を丸くする。
「おいおい……」
女性の護衛も小さく息を吐いた。
グランヴェルは楽しそうだった。
「やはりか」
果実水のグラスを軽く回す。
「では次だ。なぜ手を抜いた」
ルシアンは少しだけ考え、素直に答えた。
「目立つつもりがないからです」
あっさりした答えだった。
グランヴェルは一瞬黙り、そして小さく笑った。
「なるほどな」
少し体を前へ乗り出す。
「だがそれは、俺には関係ない」
赤い瞳がまっすぐルシアンを見る。
「本気のお前と一度戦いたい」
ルシアンはグラスを置く。
「……入学試験で戦いましたが」
「あれは試験だ」
グランヴェルは即答した。
「しかも貴様は手を抜いた」
少しだけ声が低くなる。
「俺と戦う連中は皆そうだ。どこか遠慮がある。皇子だからな」
肩をすくめる。
「教師でさえ同じだ。指導と言いながら、どこか加減している」
ナイフで軽く皿を叩く。
「つまらん」
短い言葉だった。
「だから貴様だ」
赤い瞳がわずかに細くなる。
「遠慮のない相手が欲しい」
そして、はっきりと言った。
「入学前に俺と戦え」
テーブルの空気が一瞬静まり返る。
護衛の青年が苦笑する。
「皇子、それはさすがに急すぎるのでは」
女性の護衛も静かに言う。
「まだ初対面に近い相手ですよ」
だがグランヴェルは気にしない。
「構わん」
視線はルシアンから動かない。
「どうだ」
口元がわずかに歪む。
「暇か?」
あまりにも軽い言い方だった。
ルシアンは数秒だけ黙っていた。
そして小さく息を吐く。
「……まあ」
少しだけ笑う。
「試験が終わって、やることもありませんし」
護衛の青年が呆れた顔をする。
「受けるのか……」
女性の護衛も苦笑した。
グランヴェルは満足そうに頷いた。
「いい」
果実水のグラスを手に取る。
「決まりだ」
軽く一口飲み、赤い瞳が静かに光った。
「本気で来い」
その言葉には、はっきりとした期待が込められていた。
ルシアンはその視線を受け止める。
そして静かに答えた。
「……分かりました」
テーブルの上の空気が、ほんのわずかに変わった。
護衛の二人は顔を見合わせる。
「皇子、本当にやる気ですね」
「ええ、止めても無駄でしょう」
グランヴェルは楽しそうに笑っていた。
まるで祭りの日が近いかのように。




