第74話
第74話
山岳地帯の岩山を、ルシアンは一人で歩いていた。
冷たい風が岩肌を撫でていく。背後にはドワーフの集落がある。もうかなり離れていた。
しばらく歩いたところで、ルシアンは足を止める。
静かな場所だった。周囲に人の気配も、魔物の気配もない。
ルシアンは小さく息を吐いた。
(……さて)
腰の剣に手を触れる。
バルグラムが打った剣。
魔鉱石と地竜の素材から作られた刃。魔力の流れは安定しており、すでにかなり馴染んでいる。
「……いい武器だ」
小さく呟く。
それだけ言うと、影がゆっくりと揺れた。
ルシアンの足元の影が広がる。黒い影が液体のように動き、剣を包み込む。
刃が静かに沈んでいく。
そして消えた。
影の中。
ルシアンの影はただの影ではない。収納でもあり、移動でもあり、そしてノクシェルの核でもある。
影は共有されている。
どの分体であっても、影の中身は同じだ。
ルシアンはもう一度周囲を見渡す。
山岳地帯の景色。
険しい岩山。
遠くに吹く風。
ここでやるべきことはすべて終わった。
神の力も手に入れた。
武器もある。
情報も十分だ。
ルシアンは静かに呟く。
「……統合するか」
ノクシェルは分体を生む力だ。
だが同時に――
戻ることも出来る。
どの分体でも、自ら消える意思を持てば統合は可能だ。
ルシアンは目を閉じた。
意識を影へ落とす。
影がゆっくりと揺れる。
黒い波紋が足元から広がっていく。
そして――
身体が少しずつ影へ沈み始めた。
抵抗はない。
恐怖もない。
ただ静かに、影へ溶けていく。
肩が沈む。
胸が沈む。
やがて顔も影に触れる。
その瞬間、ルシアンの姿は完全に影へ溶けた。
そこにはもう誰もいない。
ただ岩山の上に、風が吹いているだけだった。
影がゆっくりと元の形へ戻る。
そして――
完全に静止した。
山岳地帯のルシアンは消えた。
その存在は今、別の場所へと還っていく。
王都にいるもう一人のルシアンへ。




