第64話 sideバルグラム
第64話
山岳地帯の風は相変わらず冷たかった。
ドワーフの集落を出てから数日。岩肌の続く険しい道を、バルグラムは迷いなく進んでいた。肩には大斧。腰にはマジックバック。足取りは重いが、迷いはない。
出発する前のことを思い出す。
鍛冶場で武器を打ち終えたあと、父――ボルグラムに呼び止められた。
「……山の奥へ行ったと言っていたな」
「ああ」
「どうやって戻った」
短い問いだった。
バルグラムは少しだけ考え、答えた。
「手を貸してくれたガキがいた」
それだけだった。
だがボルグラムの眉がわずかに動く。
「人間か」
「ああ」
「山の奥で出会った」
しばらくの沈黙。
そして父は小さく息を吐いた。
「……ならば礼を言わねばならんな」
低い声だった。
「迎えに行け」
それだけ言う。
「人間が一人で来れば余計な騒ぎになる」
バルグラムは頷いた。
それで話は終わった。
そして今――その少年を迎えに向かっている。
(……あのガキ)
山岳地帯の奥で出会った少年。普通ではない。あの場所で平然と動き回る人間など、本来いるはずがない。
岩場を越え、尾根を下りる。空気が変わる。ここから先は魔物の気配が濃い。
その時――
気配が動いた。
「……来たか」
岩陰から二つの影が現れる。
マウンテンオーガ。それも通常の個体より明らかに大きい。山岳地帯でも上位に入る魔物だ。
Sランク。
それが二体。
低い唸り声を上げながら、ゆっくりと距離を詰めてくる。
バルグラムは立ち止まった。肩から大斧を降ろし、地面に柄を突く。
「……ちょうどいい」
息を吐く。
ここ最近は鍛冶ばかりだった。体も少し鈍っている。
オーガの一体が咆哮する。
次の瞬間、突進。
地面を砕きながら迫る巨体。振り上げられる腕は岩を砕く力を持つ。
バルグラムは踏み込もうとした。
その瞬間だった。
影が揺れた。
オーガの背後。
地面の影が、ほんの一瞬だけ歪む。
そして――
黒い刃が走った。
音は小さい。
だが次の瞬間、オーガの首がずれた。巨体がそのまま崩れ落ちる。
もう一体が反応するより早く、影が動く。空気が裂ける。
首元に一閃。
巨体が沈む。
戦闘は――一瞬で終わっていた。
バルグラムは動かなかった。ただ前を見ている。
岩場の影から、一人の少年が歩いて出てきた。
フードを被った人間の少年。
ルシアンだった。
足取りは静か。呼吸も乱れていない。まるで今の戦闘など何もなかったかのようだった。
バルグラムは数秒、黙って見ていた。
そして言う。
「……強くなりやがったな」
ルシアンは軽く首を傾ける。
「少しだけです」
淡々と答える。
バルグラムは鼻を鳴らす。
「少し、でSランクを二体か」
ルシアンは特に否定しない。
少しの沈黙。
山岳の風が吹き抜ける。
やがてバルグラムが言った。
「迎えに来た」
短い言葉。
「父が礼を言いたいらしい」
ルシアンは一瞬だけ目を細める。
「……礼ですか」
「ああ」
バルグラムは斧を肩に担ぎ直す。
「集落に来い」
それだけ言って歩き出す。
ルシアンはその背を見て、わずかに口元を緩めた。
そして静かに歩き出す。
ドワーフの集落へ向かって。




