第60話 sideバルグラム
第60話
山岳地帯の奥深く、巨大な岩山を削り抜いて造られた都市――ドワーフの集落。岩壁には無数の鍛冶炉が並び、赤い炎が揺れ、鉄を打つ音が絶え間なく響いている。火と鉄の音こそが、この場所の鼓動だった。
だがその日、鍛冶場の入口に立つ一人のドワーフは、その音に耳を傾けていなかった。
白く長い髭を胸元まで垂らした老ドワーフ。重厚な体格、刻まれた皺、鋭い眼光。
ボルグラム・ドゥルガン。
かつてこの集落の長を務めていた男であり、そして――バルグラムの父だった。
彼は集落の外へ続く通路をじっと見つめている。
「……遅い」
低く呟く。
数日前、バルグラムは一人で集落を出て行った。
止める者はいた。だがあの男は聞かなかった。
「山の奥へ行く」
それだけ言い残して。
山岳地帯の奥など、まともなドワーフなら近づかない。Sランクの魔物すら縄張りにする危険地帯だ。
「……あの馬鹿者め」
そう言いながらも、声には怒りより別の感情が混じっていた。
心配。
息子が戻ってくるのかどうか、それが気になって仕方がない。
その時だった。
通路の奥から、重い足音が響いた。
迷いのない歩き方。
やがて一人のドワーフが姿を現す。
肩に巨大な大斧を担ぎ、岩のように頑丈な鎧を纏った男。
バルグラム・ドゥルガン。
その姿を見た瞬間、ボルグラムの眉がわずかに動いた。
「……どこへ行っていた」
低い声。
怒鳴るわけでもない。ただ問いかけるだけの声だった。
バルグラムは立ち止まる。
「素材を取りに行ってた」
短く答える。
「山の奥か」
「ああ」
ボルグラムの目が細くなる。
「死ぬぞ」
「死ななかった」
それだけだった。
周囲で鍛冶をしていたドワーフたちが、いつの間にか作業の手を止めてこちらを見ている。バルグラムが数日いなくなっていたことは、集落中が知っていた。
「……本当に行きやがったのか」
「山の奥だぞ」
ざわめきが広がる。
ボルグラムは小さく息を吐いた。
「で、素材とはなんだ」
バルグラムは答えない。
代わりに腰に下げていた袋を叩く。
「見れば分かる」
そう言って取り出したのは、マジックバックだった。
ドワーフでも滅多に持たない貴重な魔道具。
バルグラムは無造作に手を突っ込み、何かを掴む。
そして――地面へ放り出した。
鈍い音。
転がったのは拳大の黒い鉱石だった。
ただの石ではない。表面には濃密な魔力が流れ、淡い光を放っている。
一瞬、誰も声を出さなかった。
次の瞬間。
「……おい」
「嘘だろ」
「その魔力……」
ざわめきが一気に広がる。
鍛冶をしていたドワーフたちが、次々と近寄ってくる。
誰かが呟いた。
「高純度の……魔鉱石」
それも――異常な純度。
ここまで濃い魔鉱石は滅多に採れない。普通は山岳地帯の奥深く、強力な魔物の縄張りでしか見つからない。
ボルグラムがゆっくりしゃがみ込み、その鉱石を手に取る。
そして目を見開いた。
「……本物だ」
周囲が一斉にざわつく。
「どこで取ってきた!」
「本当に山の奥か!?」
バルグラムは肩をすくめる。
「奥だ」
それ以上は説明しない。
ただ一言だけ言う。
「これで武器を打つ」
ボルグラムはゆっくり立ち上がった。
理解した。
なぜバルグラムが山の奥へ行ったのか。
今、集落では次の長を決めようとしている。候補は何人もいる。
だが長になるための条件は一つ。
ドワーフ全員を納得させる――最上の武器を。
バルグラムは鉱石を拾い上げ、マジックバックへ戻す。
そして振り返る。
「鍛冶場、借りるぞ」
それだけ言って歩き出す。
誰も止めない。
いや、止められない。
さっきまで向けられていた疑いの視線が、今は別のものに変わっている。
驚き。
期待。
そして――わずかな敬意。
バルグラムは何も言わず、鍛冶場へ向かって歩いていった。
これから打つ。
長になるための――
最上の武器を。




