第381話
第381話
バルセリオン王国――。
豊かな自然と穏やかな国民性で知られる王国。
武力ではレグナス帝国に及ばずとも、外交と内政に優れ、多くの国から厚い信頼を寄せられている。
その国を治めるのが、現国王シリウス・バルセリオン。
三十代半ばという若さでありながら、名君と称される優秀な王だった。
深夜、王城は静寂に包まれていた。
巡回する騎士たち、魔法による警戒網、侵入者を探知する結界。
幾重にも張り巡らされた警備を、一つの影が何事もなかったかのように通り抜ける。
音もなく、気配もなく、誰一人として、その存在に気付くことはない。
影は国王の私室へ辿り着き、窓際へ静かに腰を下ろす。
黒い外套、深く被ったフード、そして顔を覆う仮面。
正体は一切分からない。
しばらく沈黙が流れる。
やがて、その人物はゆっくりと自身の気配を解放した。
先日のレグナス帝国よりも、僅かに強く。
しかし、その気配を感じられるのは、この部屋で眠る一人だけ。
「……ん?」
寝台の上で、シリウスがゆっくりと目を開いた。
眠気を残したまま天井を見上げる。
そして、部屋の奥へ視線を向けた。
「おっと」
苦笑が漏れる。
「これは普通のお客さんじゃなさそうだ」
身体を起こし、そのまま自然な動作で寝台を降りる。
慌てる様子もなく、恐怖もない。
ただ興味深そうに、窓際へ腰掛ける人物を見つめた。
「こんばんは」
仮面の人物が静かに口を開く。
「シリウス国王」
シリウスは肩をすくめた。
「こんばんは。随分と大胆なお客さんだね。正門って知ってる?」
「知っています。ですが、その方法では都合が悪いもので」
「なるほど」
シリウスは納得したように頷いた。
「まあ、そんな気はしてた」
そのまま部屋に置かれた椅子へ歩み寄り、ゆっくりと腰を下ろす。
向かい合う形になる。
「それで?こんな夜更けに国王へ会いに来るなんて、よほど大事な用件なんだろうね」
仮面の人物は答えない。
その代わりに、静かな沈黙が流れる。
シリウスは目を細めた。
「君、かなり強いね」
柔らかな笑みは崩さない。
「わざわざ僕だけに気配を向けてるでしょ?」
「お気付きでしたか」
仮面の人物は静かに頷いた。
「全部じゃないけどね」
シリウスは笑う。
「これだけ隠してても分かるくらいなんだから、相当だよ。暗殺者だったら、僕はもう死んでる」
あっけらかんと言い放つ。
ルシアンは少しだけ感心したように口を開いた。
「冷静ですね」
「慌てても仕方ないし」
シリウスは笑顔のまま続ける。
「君は殺すつもりなら、とっくに殺してる。違うってことは、話をしに来たんでしょ?」
「その通りです」
ルシアンは右手を軽く鳴らした。
――パチン。
澄んだ音と共に、透明な結界が部屋全体を包み込む。
音も気配も外へ漏れない。
完全な遮断結界。
シリウスは周囲を見回し、小さく口笛を吹いた。
「これは便利だ。聞かれたくない話なんだね」
「はい」
ルシアンは静かに頷く。
「誰にも知られてはならない話です」
「ふーん」
シリウスは背もたれへ身体を預ける。
先ほどまでの柔らかな笑みはそのまま。
だが、その瞳だけが静かに鋭さを帯びていた。
「じゃあ聞こうか。君がここまでして僕に会いに来た理由を」
静寂が二人を包む。
世界の未来を左右する、もう一つの密談が始まろうとしていた。




