第380話
第380話
ルシアンは静かに口を開いた。
「まず、お話ししたいのは、この世界の均衡についてです」
世界の成り立ち、人と魔族が争い続ける理由、善神と悪神によって保たれてきた均衡。
そして、その均衡が今まさに崩れようとしていること。
アレクサンダーは一言も口を挟まず、最後まで聞いていた。
その間、彼の内心は静かに研ぎ澄まされていた。
(嘘か真か……それを見極めるのは、今さら難しいことではない)
長年、戦場で敵将の虚勢を見抜き、宮廷で貴族の笑顔の裏を読み、裏切りと忠誠の境界線を踏み越えてきた男だ。
人の言葉は、内容よりも“揺らぎ”に本質が出る。
声の僅かな震え、視線の逃げ方、呼吸の間。
それらはすべて、嘘を語る者ほど無意識に漏らす癖だった。
だが今、目の前の男にはそれがない。
(……一度も揺れていないな。誇張でも虚勢でもない。信じている者の目だ)
やがて、小さく息を吐く。
「……なるほどな。古い文献で読んだことはある。人と魔族が争うことで世界の均衡が保たれている、と書かれていた」
皇帝は苦笑した。
「もっとも、眉唾物の神話だと思っていたがな。まさか真実だったとは」
ルシアンは静かに頷く。
「そして、もう一つ。邪神が復活します」
寝室の空気が一変した。
ルシアンは邪神の封印が近いうちに破られること、そのままでは世界が滅ぶこと。
最後に静かに言う。
「そのために、あなたの協力が必要です」
アレクサンダーは腕を組み、しばらく考え込む。
「……なるほど。面白い話だ」
その表情に焦りはない。
あるのは純粋な興味だけだった。
「お前は、人と魔族が共存する世界を目指しているのだな」
「はい」
ルシアンは迷いなく答える。
「これからの時代は、種族という垣根を越えた世界であるべきですり争う理由がなくなれば、人も魔族も、共に歩めるはずです」
アレクサンダーはゆっくりと笑った。
「奇遇だなり俺も、そのような時代を望んでいる」
ルシアンは少し驚いたように目を細める。
「意外か?」
皇帝は肩をすくめる。
「戦乱の世は、もう古い。俺は武で帝国を築いた」
「だからこそ分かる。戦争は勝者にも傷を残す」
静かな声だった。
「戦う必要がない世界があるのなら、その方がよほど価値がある」
しばらく沈黙が流れる。
そして、アレクサンダーはルシアンを真っ直ぐ見据えた。
「いいだろう。協力してやる」
「ありがとうございます」
ルシアンは静かに頭を下げる。
「ですが」
右手をゆっくりと掲げた。
「この話は、現時点では誰にも知られてはなりません。契約魔法を施させていただきます」
「構わん」
ルシアンは魔法陣を展開する。
淡い光がアレクサンダーを包み込み、契約は静かに成立した。
「これで、この件をあなたの意思で他者へ話すことはできません」
「問題ない」
皇帝はあっさりと頷く。
「元より軽々しく口外するつもりもない」
話は終わった。
ルシアンは静かに立ち上がる。
「それでは、私はこれで——」
部屋を出ようとしたその時。
「ああ、そういえば」
ルシアンは足を止めた。
「一つ、お聞きしたいことがあるのですが」
「何だ?」
アレクサンダーは気軽に答える。
ルシアンは振り返った。
「第一皇子のことなのですが、彼はこれからの時代にはそぐわない人物だと思っています。排除しても構いませんか?」
一瞬の沈黙。
普通なら激怒してもおかしくない問いだった。
だが、アレクサンダーは表情一つ変えなかった。
「構わん」
即答だった。
「奴自身には能力がない。それにもかかわらず、周囲の連中は何故か奴のために動く」
「しかも本人は未だに戦を望んでいる」
皇帝は鼻で笑う。
「あのような愚息はいらん。俺の次の皇帝は、グランヴェルだろう。第二は根性が足りん。娘たちも皇帝の座には興味がないらしい」
自然と表情が和らぐ。
「グランヴェルが最も皇帝の器に相応しい。アーカディアへ行ってから、さらに良くなった」
「敗北を知り、己の弱さを知った。それが奴を成長させた」
皇帝は軽く笑う。
「……まあ、長々と語ったが、第一については消して構わん」
「ついでに、奴の周りにいる腐った貴族どもも片付けてくれて構わんぞ」
ルシアンは静かに頷いた。
「なら、そのようにさせていただきます」
一礼する。
「それでは、失礼します」
次の瞬間、その姿は音もなく消えた。
誰も気付くことなく、まるで最初から誰もいなかったかのように。
静まり返った寝室で、アレクサンダーは一人、小さく笑みを浮かべる。
「クックック……面白いやつだ」




