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果てなき世界  作者: 影川明空人
第8章 学園2年目 修行編
377/382

第376話 side??

第376話 side??


 魔族領――。


 人の住む大陸から遥か北西。


 瘴気と魔力に満ちた大地のさらに奥深く。


 雲海を突き抜けた先に存在する、誰一人として足を踏み入れることのできない霊峰。


 その頂に、《星喰竜アジ・ダハーカ》はいた。


 翼を畳んでなお山脈と見紛うほどの漆黒の巨体。その瞳は、悠久の時を見続けてきた者だけが持つ静かな深みを湛えている。


 その存在は、ただの古竜ではない。


 ――十七厄災。


 世界に災厄をもたらす存在として記録される、規格外の怪物たち。


 その中にあって、アジ・ダハーカは“最上位”に位置づけられる存在だった。


 他の厄災が「災害」であるならば、アジ・ダハーカは「世界そのものの敵対者」と定義される。


 その格は、他の十七厄災とは一線を画していた。


 その眼前には、一人の男が立っていた。


 魔王アシュレイ。


 彼は腕を組み、遥か遠くに広がる地上を静かに見下ろしていた。


「……やはり、このままではいけない」


 長い沈黙を破り、アシュレイが呟く。


「人と魔族が争い続けなければ、世界の均衡は崩れる。だが、このまま戦いを続ければ、犠牲だけが積み重なっていく」


 大気を震わせる重厚な声が返ってきた。


『何度も言っているであろう。不可能だ』


「……分かっている」


『いいや。分かっておらぬから、こうして何度も我のもとへ来る』


 アシュレイは答えない。


 その沈黙だけで十分だった。


 アジ・ダハーカは静かに瞳を細める。


 その視線は、ただの会話相手に向けるものではない。


 かつて十七厄災の中でも頂点に立ち、幾度となく他の厄災を“格の差”で沈めてきた絶対者の視線である。


『この世界の法則そのものを書き換える』

『それは、たとえ神々であっても不可能であろう』


「神々が力を合わせてもか?」


『神々が地上に顕現していた、あの時代でさえ不可能だった』


 その言葉に迷いはない。


 神話を語る者ではない。神代を生き抜いた者だからこそ断言できる真実だった。


『ましてや、今の力を失った神々では絶対に成し得ぬ』


「……そうか」


『諦めよ、アシュレイ』


 静かな声だった。


 だが、その一言には長い年月を共に歩んできた友を案じる色があった。


「それができるのなら、とっくにしている」


 魔王は苦笑する。


『であろうな』


 アジ・ダハーカは小さく息を吐く。


 その吐息だけで雲海は裂け、巨大な空洞が生まれる。


 ――それは、無意識の一息で地形を変えるほどの圧。


 十七厄災の中でも、これほど自然に世界へ干渉できる存在は他にいない。


『お前は昔から、無駄なことを諦められぬ』


「それをお前に言われるとは思わなかった」


『我は諦めがよい。故に、今もこうして生きている』


 その時だった。


 二人はほぼ同時に視線を動かす。


 ――誰かいる。


 先ほどまで、確かに何の気配も存在しなかった。


 にもかかわらず。


 霊峰の端に、一人の人影が静かに立っていた。


『ほう』


 アジ・ダハーカの声に、わずかな興味が混じる。


 それは十七厄災の頂点に立つ者が、久方ぶりに“対等の可能性”を感じた瞬間だった。


『我らにここまで近づきながら、直前まで気取らせぬとは、何者だ?』


「凄まじいな……」


 アシュレイも人影を見据える。


 その人物が歩みを進めるたび、隠されていた気配が少しずつ解放されていく。


 空気が重い。


 だがそれでも――アジ・ダハーカの放つ圧とは“質”が違う。


 それは、“格上の存在”を思わせる圧だった。


『この気配……』


 アジ・ダハーカが目を細めた。


 その瞳に、明確な警戒が宿る。


『かつての神々に匹敵するか』


 そして、その言葉には一つの前提が含まれていた。


 ――神々と並び立つ存在であっても、なお“自分と同格かそれ以上かもしれない”という評価。


 それは、十七厄災の頂点に立つ者だからこそ成立する判断だった。


「……ああ」


 アシュレイも頷く。


「今の時代に、これほどの存在がいたとはな」


『どうする、アシュレイよ』


「何がだ?」


『信じ難いことだが――』


 巨竜は静かに続けた。


『我らでは、あれには及ばんぞ』


 その言葉は謙遜ではない。


 十七厄災の序列を知る者が、純粋な戦力差として導き出した結論だった。


 アシュレイはしばらく沈黙し、人影から目を離さなかった。


 やがて、小さく息を吐く。


「……そのようだな」


 人影はゆっくりと歩み寄る。


 黒い外套、深く被られたフード。そして二人の前で足を止めると、静かにフードを外した。


 現れたのは、一人の青年だった。


「こんばんは」


 青年は穏やかな笑みを浮かべる。


「お話ししたいことがあり、お邪魔させていただきました」


『我らに話だと?』


 アジ・ダハーカが低く唸る。


 その声には、十七厄災の頂点としての威圧が確かに宿っていた。


『それだけの気配を漂わせておいてか?』


「これは失礼しました」


 青年――ルシアンは軽く頭を下げた。


「お二人には、こちらの方が話が通じやすいかと思いまして」


「つまり」


 アシュレイが静かに問いかける。


「力を示すために気配を解放したということか」


「はい」


 ルシアンはあっさりと頷く。


「私が話すに値する者だと、まず理解していただく必要があると思いましたので」


「戦う意思はないのだな?」


「もちろんです」


 ルシアンは両手を軽く広げてみせる。


「私は、話をしに来ました」


『……ふむ』


 アジ・ダハーカは巨大な鼻先をルシアンへ近づける。


 突風が吹き荒れる。


 それでもルシアンは微動だにしない。


『よくよく感じてみれば……懐かしい気配だ』


 古竜の声から警戒が少しだけ薄れた。


『これは……ベルグラードか?』


 ルシアンの表情が、ほんのわずかに変わる。


『いや、それだけではない。他にも何柱か混じっているな』


「分かるのですか?」


 思わず漏れた問いに、アジ・ダハーカは鼻を鳴らした。


『我を舐めるなよ、人間。これでも、この地上で最も長く生きているのだからな』


 そして同時に、それは宣言でもあった。


 ――十七厄災の頂点として、世界の“古さ”すら見通す存在であるという事実。


 ルシアンは数秒だけ沈黙したあと、小さく笑う。


「失礼しました」


 そして、魔王と古竜を真っ直ぐ見据えた。


「それでは、改めてお話しさせていただきます」


 穏やかな空気が消える。


 その場に立つ全員の表情が引き締まった。


「人と魔族が争い続けなければならない、この世界の均衡について」


 アシュレイの瞳が鋭くなる。


 アジ・ダハーカもまた、静かに首を持ち上げた。


 ルシアンは続ける。


「そして――」


 一拍置いて。


 静かに告げる。


「その均衡を、終わらせる方法について」


 その言葉を聞いた瞬間。


 魔王アシュレイの瞳が、大きく見開かれた。


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