第370話
第370話
教皇の執務室へ向かう廊下を歩きながら、ルシアンは小さく息を吐いた。
(やはり、完全には隠し切れませんでしたか)
ルミナリアとの対話を終えた直後。
神々の領域と人の世界の狭間へ足を踏み入れた影響は、予想以上に大きかった。
今もなお、自身の身体には神気が僅かに残っている。
普段の神官や聖騎士では気付くこともない程度。
しかし、教皇アウグストと聖騎士団長ラグナルであれば話は別だ。
教皇は光の神ルミナリアに最も近い人間。事前情報が正しければラグナルは、審判の神カエルディスの加護を授かった男。
二人ならば違和感を覚えるだろうとは思っていた。
(隠し通すことはできませんね)
もっとも、いずれ話す予定だった。
順番が少し早まっただけのことだ。
ルシアンは執務室の前で足を止める。
軽く身だしなみを整え、静かに扉を叩いた。
コンコン。
「入りなさい」
教皇の声が返ってくる。
「失礼します」
扉を開け、部屋へ足を踏み入れる。
その瞬間、二人の視線が真っ直ぐ自分へ向けられた。
(……やはり)
普段とは違う探るような視線。
先ほど感じた神気の正体を確かめようとしているのが分かった。
「お待たせしました」
ルシアンは普段通り穏やかに微笑む。
だが、部屋を満たす空気は重い。
沈黙が流れる。
やがて教皇が静かに口を開いた。
「本来であれば、もっと落ち着いて話をするつもりだった」
その声音は穏やかだった。
しかし、その瞳だけは鋭い。
「ルシアン。君は、何者だ」
真正面からの問い。
そして続く。
「……その神気は、一体何だ」
ルシアンは少しだけ目を伏せた。
誤魔化すことはできる。
しかし、それでは意味がない。
ここから先、自分の計画を実現するには、この二人の協力が必要不可欠だった。
ならば話すべき時だ。
「その質問にお答えする前に」
ルシアンは静かに口を開いた。
「お願いがあります」
アウグストとラグナルは黙って耳を傾ける。
「これからお話しする内容は、この世界の根幹に関わるものです。一人でも多くの命を救うために必要な話ですが、同時に、決して他者へ漏らしてはならない内容でもあります」
二人の表情が僅かに引き締まる。
「そのため」
ルシアンは右手をゆっくりと掲げた。
「まず、この部屋を外界から完全に隔離させていただきます」
その言葉と同時に、足元へ淡い魔法陣が広がる。
白銀の光が床を走り、部屋全体を包み込んでいく。
幾重もの魔法陣が壁や天井へ刻まれ、瞬く間に透明な膜のような結界が完成した。
空気が変わる。
世界から切り離されたような静寂が部屋を支配した。
ラグナルが目を細める。
「……これほどの結界を、一瞬で」
「盗聴、探知、転移、外部からの干渉」
ルシアンは静かに説明する。
「全て遮断しています。ここでの会話が外へ漏れることはありません」
アウグストは結界を見回し、小さく息を吐いた。
「用意周到だな。それほど重要な話ということか」
「はい」
ルシアンは真っ直ぐ二人を見つめた。
「ですが、その前にお二人へ確認したいことがあります」
穏やかな口調。
それでも、その声には僅かな重みが宿っていた。
「これから先を聞けば、途中で引き返すことはできません。もし協力していただけない場合は、この場での記憶を消去させていただきます」
部屋の空気が一段と重くなる。
「逆に、協力していただけるのであれば、この話を他者へ漏らさない契約を結んでいただきます」
契約。
それは魔法による誓約。
一度結べば、自ら破ることはできない。
「お二人に、選択していただきます。ここで話を終えるかどうか」
静寂が訪れる。
誰一人として口を開かない。
だが、その沈黙こそが、この先の運命を大きく変える分岐点となろうとしていた。




