第366話
第366話
光の神――ルミナリア。
フィアナがその姿を目にするのは、これが二度目だった。
初めて声を掛けられ、聖女として選ばれたあの日。
幼かったフィアナの前に現れた、慈愛に満ちた光の神。
あれから幾年もの時が流れた。
毎日のように祈りを捧げ、その存在を身近に感じることはあった。
加護を通じて、温かな意思が伝わってくることもあった。
それでも、こうして直接その姿を目にすることはなかった。
フィアナは胸の前で両手を組み、緊張した面持ちでルミナリアを見つめる。
ルミナリアは、記憶の中と変わらない穏やかな笑みを浮かべた。
「久しぶりですね、フィアナ。元気そうでよかったです」
その声は柔らかく、白い空間全体を優しく包み込む。
フィアナは慌てて頭を下げた。
「お久しぶりです、ルミナリア様」
声が僅かに震えている。
敬い続けてきた神が目の前にいるのだ。
聖女であるフィアナであっても、平静ではいられなかった。
「それほど緊張しなくても大丈夫ですよ」
ルミナリアが優しく微笑む。
「以前と同じように話してください」
「は、はい」
返事をしながらも、フィアナの身体から力は抜けない。
そんなフィアナを微笑ましそうに見つめた後、ルミナリアは隣に立つルシアンへ視線を向けた。
「ルシアンも久しぶりですね」
「ええ。お久しぶりです」
ルシアンは普段と変わらない穏やかな調子で答えた。
神を前にしているにもかかわらず、緊張した様子はない。
深く頭を下げることもなく、旧知の相手へ挨拶をするかのような自然な態度だった。
フィアナは目を見開く。
ルミナリアがルシアンの名を知っている。
それだけではない。
二人の言葉からは、これが初対面ではないことが明らかだった。
「ルシアン……?」
思わず、その名を呼ぶ。
ルシアンはフィアナへ視線を向けた。
「驚かせてしまいましたね。ですが、あなたに私のことを説明するのであれば、ルミナリア様ほど適した方はいません」
「私が何を話したとしても、すぐには信じられないでしょうから」
フィアナは否定できなかった。
ルシアンが常人ではないことは、既に分かっている。
襲撃の時に見せた力、空を覆った巨大な魔法陣。そして、彼の身体から感じた複数の神性。
だが、その理由をルシアン本人から告げられたとして、すぐに受け入れられたかは分からない。
だからこそ、ルシアンはルミナリアを呼んだ。
フィアナが最も信仰し、決してその言葉を疑うことのできない存在を。
ルシアンはルミナリアへ向き直る。
「お願いいたします」
「分かりました」
ルミナリアは小さく頷いた。
そして、改めてフィアナを見つめる。
「フィアナ。これから話すことは、限られた者しか知ることを許されていない秘密です」
穏やかな声。
しかし、その言葉には神としての重みがあった。
「他の者へ話すことは許されません。たとえ、それが勇者レオンや大切な仲間であったとしてもです」
フィアナは息を呑む。
それほど重大な秘密なのだ。
フィアナは一度ルシアンを見た。
彼は何も言わず、静かにこちらを見つめている。
フィアナは覚悟を決めるように頷いた。
「承知いたしました。ここで伺ったことは、決して誰にも話しません」
「ありがとうございます」
ルミナリアは柔らかく微笑む。
だが、次に告げられた言葉は、フィアナの想像を遥かに超えるものだった。
「ルシアンの身体には、神々の力が宿っています」
「……神々の、力」
「はい」
ルミナリアは頷く。
「正確には、三柱の神が有していた神性と力です」
「風を司る神、闘いを司る神。そして、影を司る神」
フィアナの脳裏に、礼拝室で感じた三つの気配が蘇る。
穏やかな風、圧倒的な闘気、全てを包み込む影。あれは魔力ではなかった。
神の力そのものだったのだ。
「どうして……」
フィアナの口から、掠れた声が漏れる。
「どうして、人であるルシアンの中に神の力が……?」
「それについては、今は詳しく話すことができません」
ルミナリアは申し訳なさそうに目を伏せる。
「ただ、ルシアンが神々の力を宿しながらも、今なお人であることに偽りはありません」
「ルシアンは……神ではないのですか?」
「ええ」
その問いに答えたのはルシアンだった。
「私は今も人間です。神性を宿してはいますが、それだけで神になったわけではありません」
神の力を宿していながら、神ではない。
フィアナには、その違いを完全に理解することはできなかった。
だが、ルシアンが自らを人間だと断言したことに、僅かな安堵を覚える。
ルミナリアは話を続けた。
「そして私たち神々は、ルシアンに一つの願いを託しました。邪神にまつわる問題を、終わらせてほしいと」
「……邪神を?」
フィアナの表情が険しくなる。
邪神。
遥か昔、世界を滅ぼしかけた存在。
その身体は十三の欠片に分けられ、各地へ封印されている。
そして今、邪神教はその欠片を集めようとしていた。
「いまの私たちは地上へ直接干渉することができません。かつてのように地上へ降り、邪神と戦うこともできないのです」
「だからこそ、地上に生きるルシアンへ託しました」
「邪神の復活を阻止するために、ですか?」
フィアナの問いに、ルミナリアはすぐには答えなかった。
慈愛に満ちていた表情へ、僅かな影が差す。
その沈黙に、フィアナは嫌な予感を覚えた。
「ルシアン……?」
ルシアンは静かに口を開いた。
「少し違います」
「違う……?」
「邪神の復活を阻止するだけでは、根本的な解決にはなりません。欠片がこの世界に存在し続ける限り、いつか再び邪神を復活させようとする者が現れます」
「今回、邪神教を滅ぼしたとしても同じです。十年後か、百年後か、あるいは千年後か。いずれ誰かが欠片を見つけ、利用しようとするでしょう」
フィアナにも、その理屈は理解できた。
封印とは、問題を先送りにしているだけ。
どれほど強固な封印を施しても、永遠に守られる保証はない。
「では……どうするのですか?」
ルシアンは何の迷いも見せずに答えた。
「散らばった邪神の欠片を、全て集めます」
フィアナの瞳が揺れる。
「集める……?」
「ええ。十三の欠片を一つに戻し、邪神を完全な形で復活させます」
「何を……言っているのですか?」
理解が追いつかない。
邪神の復活を防ぐために戦っているのではないのか。
邪神教から欠片を守るために、これまで多くの者が命を懸けてきたのではないのか。
それを自ら集め、復活させる。
フィアナの顔から血の気が引いていく。
「安心してください。復活させて終わりではありません」
ルシアンの声は、どこまでも穏やかだった。
まるで、既に何度も繰り返し考え、決断を終えているかのように。
「完全に復活した邪神を、私が吸収します」
フィアナは息をすることすら忘れた。
「邪神を……吸収する?」
「はい。私の持つ力であれば、それが可能です」
ルシアンの持つ喰収。
これまで魔物や神性すら取り込み、自らの力へ変えてきた異質な能力。
それをフィアナは知らない。
だが、ルシアンが虚偽を口にしていないことだけは分かった。
「邪神の力も、意思も、存在そのものも。全てを私の中へ取り込みます」
ルシアンは淡々と告げる。
「そして――」
僅かな間。
白い空間に、重い沈黙が落ちる。
「私自身が、新たな邪神となります」
その言葉を聞いた瞬間。
フィアナの思考は、完全に止まった。




