第351話
第351話
ゼルキスが空間魔法から取り出した刀。
その刀身から放たれる禍々しい気配は、空気そのものを重く歪ませ、肌にまとわりつくような圧迫感を生み出していた。呼吸すらわずかに阻害されるほどの魔力の密度。
ゼルキスは嬉しそうに刀を肩へ担ぐ。
「これはねぇ、《冥夜刀ネブラ》って言うんだぁ」
ルシアンは静かに刀を見つめる。その視線は微動だにせず、ただ冷静に観察していた。
「その気配と銘から察するに恐らく、闇の神・ノクティス由来の物ですね」
ゼルキスは満面の笑みを浮かべた。
「さすがルシアン!正解だよぉ!」
刀を軽く振る。
ヒュン、と空気が裂ける鋭い音が響き、黒い魔力が刃へ絡み付く。周囲の光が吸い込まれるように暗く沈んだ。
「前は魔王軍で管理してたんだけど、魔王様に許可をもらって、今は俺が持ってるんだぁ。無闇矢鱈に使わないように言われてるし、使ったらつまんなくなっちゃうから、いつもは使わないんだけど」
赤い瞳がルシアンを射抜く。
「ルシアンにならいいよねぇ」
次の瞬間。
――空気が爆ぜた。
ゼルキスの姿が消えると同時に、衝撃波が地面を叩き、砂塵が弾け飛ぶ。
「――っ!」
視認すら困難な速度。
《冥夜刀ネブラ》が闇を纏い、空間ごと切り裂くように振り下ろされる。
ギィィンッ!!
金属が激しくぶつかり合う甲高い衝撃音が響き、火花が散る。
ルシアンは剣でそれを受け流した。
だがそこで終わらない。
刃から溢れた闇が粘つくように絡み付き、剣へ侵食する。同時に、ゼルキスの気配が完全に消失した。
――消えた。
次の瞬間、背後から空間が裂ける音と共に、斬撃が飛来する。
ビシィッ、と空気が裂け、見えない刃が迫る。
ルシアンは振り向きもせず、わずかに身体を傾けるだけでそれを回避した。
さらに、ゼルキスが再び現れる。
いや、現れたように見えただけで、既に次の位置へ移動している。
連続する高速移動。残像すら残らない。
ただ、空気が裂ける音と、地面を踏み砕く衝撃だけが連続して響く。
ドンッ、ドンッ、ドンッ――!
ゼルキスの猛攻。漆黒の斬撃が雨のように降り注ぐ。空間が歪み、裂け、闇が奔流となって押し寄せる。
遠目には、ルシアンが押されているように見えた。
だが一撃も当たらない。
ギィン、キィン、ガンッ――!
剣戟の音が連続して響く。
髪を掠める距離でかわし、最小限の動きで受け流し、必要な瞬間だけ刃を合わせ、衝撃を逃がす。
その動きは極限まで無駄が削ぎ落とされていた。
ゼルキスが嵐のように暴れ回るのに対し、ルシアンは静止しているかのように見える。
だが実際には、ほんのわずかな重心移動、指先の角度、呼吸のタイミング。
その全てが精密に計算され、致命の一撃を回避していた。
その姿は、まるで舞。荒れ狂う暴風の中で、ただ一人静かに立つ存在。
レオンは息を呑む。
「すげぇ……」
肌を刺すような魔力の圧力。耳を打つ衝撃音。視界を埋め尽くす高速の斬撃。
これが本当の強者の戦い。
少しでも、一つでも、技術を盗もうと目を逸らさない。
だが限界だった。
視界が揺れる。
魔力の圧に押し潰されるように、意識が遠のいていく。
「もっと……見たい……のに……」
そこでレオンの意識は途切れた。
フィアナが慌てて支える。
「レオン!」
一方、ゼルキスは笑い声を上げながら刀を振るい続ける。
ヒュンッ、バシュッ、ドンッ――!
空気を裂き、地面を砕き、闇が爆ぜる。
「これはどう?」
斬撃。
「これは?」
闇魔法。
黒い奔流が押し寄せ、空間を侵食する。
「これは?」
空間魔法。
裂けた空間から不可視の刃が飛び出す。
どれも必殺、どれも触れれば終わりの一撃。
それでも、ルシアンは全てを捌く。傷一つ負わず。
ただ静かに嵐の中心で、微動だにせず。
ゼルキスは心の底から楽しそうに笑った。
「これを使ってもダメだなんてぇ、流石だよぉルシアン」
その時、ルシアンは倒れたレオンへ一瞬だけ視線を向けた。
レオンが完全に気絶したことを確認すると、小さく後ろへ跳ぶ。
トン、と軽い音。
それだけで、戦場の緊張が一瞬緩む。
距離を取る。
ゼルキスは不思議そうに首を傾げた。
「んー?どうしたの?」
ルシアンは静かに左手を前へ突き出した。
その動きは、これまでの防御とは明らかに異なる意思を帯びていた。
「もう時間切れです。終わりにしましょう」
その瞬間、フィアナはあることに気付く。
(あれ……?ルシアンは、あんな指輪をしていたでしょうか……)
左手にはめられた指輪。それが淡い光を放ち始める。
周囲の魔力が引き寄せられ、空気が震える。
やがて眩い輝きと共に、その姿をゆっくりと変え始めた。




