第273話
第273話
十七厄災の一角、地裂獣ベヒモス。
その巨大な姿を前にしても、ルシアンは冷静だった。
焦る必要はない。まずは相手を知ることが先だ。
「エイルさん」
「わかってるわ」
エイルが風を纏う。
周囲へ感知を広げながら後方へ下がる。
「私は支援と索敵、攻撃はお願いするわね」
「ええ」
ルシアンは一歩前へ出た。
ベヒモスは相変わらず二人を気にも留めていない。
巨大な瞳がこちらを見ているだけだ。
まるで小さな虫を見るように。
「まずは様子見です」
掲げた右手に風が集まる。
圧縮、収束。そして放つ。
轟音。
巨大な風刃が空を裂いた。
普通の魔物ならそれだけで消し飛ぶ威力。
だが、ベヒモスは避けない。
風刃はその巨体へ直撃した。
肉が裂け、血が舞う。
確かに傷は付いた。
しかし。
「浅いですね」
ルシアンが呟く。
傷はある。
だがそれだけだった。
人間で例えるなら擦り傷に近い。
ベヒモスはまるで気にしていない。
そこで、大地が光った。
「……なるほど」
ルシアンが目を細める。
傷口が塞がっていき、肉が再生し、血が止まる。
数秒後には何事もなかったかのように元通りになっていた。
エイルも表情を険しくする。
「今のを回復するの?」
「大地から魔力を吸収していますね」
ルシアンは冷静に分析した。
ベヒモスの足元から膨大な魔力が流れ込んでいる。
大地そのものを魔力源にしている。
「厄介ね」
「ええ」
非常に厄介だった。
だが、まだ想定の範囲内だ。
今度はもう少し出力を上げる。
風と影。二つの力を混ぜる。
先ほどより遥かに濃い魔力。
そして放つ。
爆音。
空間が震えた。
巨大な斬撃がベヒモスを横薙ぎに切り裂く。
今度は違った。
肉が大きく抉れ、骨まで見える。
確かなダメージ。
だが、やはり回復する。
先ほどより少し時間はかかった。
それでも数十秒。
傷が消える。
「はぁ……」
エイルが思わず息を吐いた。
「これ本当に倒せるの?」
「倒せるとは思います」
ルシアンは言う。
「ただし、面倒ですね」
その評価にエイルは苦笑した。
SSSランク中位の十七厄災。
それを相手に面倒という感想が出る辺り、やはり感覚が少しおかしい。
だが、ルシアンにも余裕があるわけではない。
むしろ逆だった。
今のでわかった。
相手もまた規格外だ。
ベヒモスが前脚を振り上げる。
轟音。
振り下ろされた脚で、大地が砕ける。
ルシアンは横へ跳んで回避する。
そのまま空中で姿勢を変える。
続けて尾が迫る。
これも避ける。
さらに岩石が飛ぶ。
風で逸らし、受けない。
真正面から力比べをする気はなかった。
今はまだ、相手を知る時間だ。
ベヒモスの攻撃は凄まじい。
一撃一撃が天災。
だが、当たらなければ問題ない。
ルシアンは冷静に攻撃を捌き続ける。
避け、いなし、逸らす。
必要最低限の動きだけで生き残る。
それを見ながらエイルが呟いた。
「本当に人間なのかしら」
もちろん聞こえていた。
だがルシアンは反応しなかった。
代わりに再び魔力を練る。
そして、少しだけ笑った。
「長くなりそうですね」
その言葉通りだった。
この戦いは。一時間や二時間で終わるものではない。
災厄を相手取るということは、すなわち災害そのものを相手取るということなのだから。




