第268話
第268話
訓練場へ到着した頃には既に日が落ちかけていた。
休暇前日ということもあり、生徒たちの姿はない。教員もほとんど引き上げている。
確認するようにルシアンが周囲へ視線を向ける。人の気配はない。
広い訓練場には静寂だけが広がっていた。
ルシアンとグランヴェルは向かい合う。
少し離れた場所ではヴァルクが腕を組んで見守っていた。
「何をするつもりだ」
グランヴェルが尋ねる。
「簡単です」
ルシアンは木剣を手に取った。
「来てください」
「それだけか?」
「ええ」
グランヴェルは小さく息を吐く。
「後悔するなよ」
次の瞬間、地面を蹴った。
速い。
一年生武闘大会優勝者の踏み込み。
一気に間合いを詰める。
そして全力の斬撃。
空気が裂ける。
だが、ルシアンは木剣を僅かに動かしただけだった。
カン。
軽い音。
それだけで軌道が逸らされる。
「なっ」
グランヴェルが目を見開く。
体勢を立て直し、再び斬りかかる。
二撃、三撃、四撃。
だが全て受け流される。
いや、受け流されるというより。
誘導されている。
力をぶつける先がない。
剣が空を切る。
「どうしたのです」
ルシアンが言う。
「そんなものですか」
「……!」
グランヴェルが歯を食いしばる。
さらに踏み込む。
火属性の魔力を剣へ流す。
熱が生まれる。爆発的な推進力。
今の自分が出せる最大火力。
それでも、ルシアンは半歩動くだけだった。
攻撃が当たらない。
届かない。
まるで大人と子供だった。
数分後、グランヴェルは息を切らしていた。
ルシアンはほとんど汗すらかいていない。
「終わりですか?」
「……まだだ」
グランヴェルは剣を構える。
だが、ルシアンは首を振った。
「違います」
「何がだ」
「あなたは勘違いしています」
グランヴェルが眉をひそめる。
ルシアンは続けた。
「あなたはドラクスに届かなかった。だから自分が弱いと思った。それは違います」
「違うだと?」
「あなたはまだ成長途中です」
ルシアンは淡々と言う。
「今の一撃、まだ力が逃げています。踏み込みも甘く、魔力操作も粗い。火力はもっと伸びる」
グランヴェルは黙る。
反論できない。
図星だからだ。
「あなたは才能があります。努力もしている。だから一年首席になれた」
「ですが」
ルシアンが木剣を肩に担ぐ。
「まだ完成していません。完成していない剣で壁にぶつかったから何だというのです」
静かな声だった。
「届かなかった?当然です。四天王ですから」
さっきも聞いた言葉。
だが今回は少し違った。
「むしろ」
ルシアンは言う。
「一年生で届いてしまったら、その方がおかしい」
グランヴェルは思わず苦笑した。
「お前は本当に遠慮がないな」
「事実です」
「そういうところだぞ」
ルシアンは首を傾げる。
本当に意味がわかっていないらしい。
その様子を見て、グランヴェルは少しだけ肩の力を抜いた。
合同遠征以来、ずっと胸に引っ掛かっていたものがある。
それが完全になくなったわけではない。
だが、少しだけ軽くなった。
「……そうだな」
グランヴェルは空を見上げる。
「私はまだ途中か」
「ええ、ならやることは一つですね」
ルシアンが言う。
「強くなることです」
その答えにグランヴェルは笑った。
実に単純だった。
だが、だからこそ良い。
「そうだな」
剣を収める。
「ありがとう」
「どういたしまして」
その翌日、グランヴェルはアーカディアを発った。
同行するのは護衛であるヴァルクとディアナ。
三人で修行の旅へ出る。
より強くなるために、次こそ届くように、いつかあの背中へ追いつくために。
旅立つ馬車を見送りながら、ルシアンは静かに目を細めた。
そして、自分にもまた、やるべきことがあった。




