第221話
第221話
王都を出て数日。
ルシアンはヴェルグレイヴ伯爵領へ辿り着いていた。
広がる景色を見ながら、ルシアンは静かに目を細める。
(……随分戻りましたね)
かつて、ここは壊滅していた。
ゼルキスによって街も、人も、生活も、何もかも壊された。
焼け落ちた建物、崩れた城壁、血と煙の臭いは、今でも鮮明に覚えている。
だが今、目の前に広がっているのは違った。
人々の声、行き交う荷馬車、再建された建物。
完全ではない、それでも確かに、この領地は生き返りつつあった。
ルシアンの表情がほんの少しだけ柔らかくなる。
(兄様は、本当によくやっていますね)
⸻
しばらくして、ヴェルグレイヴ伯爵邸。
かつて半壊していた屋敷も、今ではかなり修復されている。
使用人たちも以前より増えていた。
屋敷へ入ると、すぐに一人の青年が現れる。
整った顔立ち、優しげな目。そして、どこか疲れの見える雰囲気。
アルベルト・ヴェルグレイヴ。
ルシアンの兄だった。
アルベルトが柔らかく笑う。
「久しぶりだなルシアン」
「久しぶりです。兄様も元気そうですね」
「はは。どうだろうな」
苦笑。
だが、その顔色は以前よりずっと良かった。
少なくとも、領地が壊滅していた頃のような悲壮感はない。
二人はそのまま応接室へ向かった。
⸻
「学園はどうだ?」
アルベルトが紅茶を飲みながら聞く。
「噂通り化け物ばかりですよ」
「お前がそう言うなら相当なんだろうな……」
アルベルトが苦笑する。
ルシアンは武闘大会の話を軽くした。
勇者レオン、アレス、カイン、アルト。
上位勢の強さ。
アルベルトは感心したように頷く。
「世界は広いな」
「ええ」
「だからこそ、兄様のような人が必要なんですよ」
「俺みたいなのがか?」
「領地を立て直すというのは、簡単なことではありません」
ルシアンは静かに周囲を見る。
復興した屋敷、活気を取り戻した領地。それが全て答えだった。
アルベルトは少し照れ臭そうに笑った。
「まあ、周りに助けられてばっかりだけどな」
「それも才能ですよ」
その言葉に、アルベルトは少し驚いたような顔をする。
だが、すぐに小さく笑った。
⸻
その後も二人は長く話した。
伯爵領の復興、王国の情勢、人手不足、最近増えている魔物被害。
アルベルトは領主として確実に成長していた。
ルシアンが静かに口を開く。
「あまり長居はできませんが、こちらにいる間は手伝いますよ」
「すまんな。助かるよ」
アルベルトは本当に嬉しそうだった。
⸻
それから数日、ルシアンは領地運営を手伝っていた。
書類整理や視察、時には魔物討伐。
そして、兄の仕事ぶりも近くで見ていた。
(……やはり兄様は凄いですね)
決して戦いは得意ではない。
ルシアンのような規格外でもない。
だが、人をまとめ、領地を立て直し、人々の信頼を集めている。
それは間違いなく才能だった。
⸻
ある日の夕方、執務室。
書類仕事をしていたアルベルトが、深くため息を吐いた。
「……はぁ」
ルシアンが顔を上げる。
「どうしたんですか兄様」
「いや、縁談の手紙がな」
「あぁ……」
ルシアンもなんとなく察する。
アルベルトは今年で二十一歳。
しかも伯爵家当主。
本来なら、とっくに婚約者がいてもおかしくない。
「復興で忙しかったのもあるが、二十一にもなって婚約者もいないからな。色んな貴族から縁談の話が来てるんだよ」
アルベルトが机の上の封筒を見る。
「一番いいのはリュクレール公爵の紹介のやつなんだがな。リュクレール公爵には世話になってるし、断る理由もない」
ルシアンが少し興味を示す。
「どちらの方なんですか」
「エルセリア子爵家のお嬢さんだ。たしか名前はリディア・エルセリア、歳は十五だったか」
「器量も良くて、とてもいいお嬢さんって話だ」
ルシアンは少し考え。
静かに言った。
「ではいい話なのではないですか?」
「そうなんだけどなぁ」
アルベルトが頭を掻く。
「俺にそこまで余裕あるかな」
その言葉に、ルシアンは少しだけ目を細めた。
兄は真面目すぎる。
領地、民、復興。
全部を一人で背負おうとしている。
だからこそ、余計にそう思うのだろう。
「兄様なら大丈夫ですよ。当主としての仕事も立派にこなしているじゃないですか」
「それに公爵からの紹介ですから、信用してもいいと思いますよ」
アルベルトは少し黙り。
やがて苦笑した。
「そうだよな」
「返事してみるよ。ありがとうなルシアン。また進展があったら伝えるな」
ルシアンも微笑む。
「いい知らせを待っていますよ」
⸻
さらに数日後、ルシアンは出発準備を終えていた。
屋敷の前でアルベルトが少し寂しそうに笑う。
「もう戻るのか」
「休みが明ける前に、もう少しやりたいことがあるので」
本当は、裏で動かなければならない。
欠片、邪神教、魔族。
やることは山ほどある。
だが、それを口にはしない。
アルベルトも深くは聞かなかった。
「そうか……」
一拍。
「またいつでも帰ってこいよ」
「元気でな」
ルシアンが静かに頷く。
「ええ。兄様もお元気で」
そして、ルシアンはヴェルグレイヴ伯爵領を後にした。
再び静かに、世界の裏側へ戻るために。




