第219話
第219話
長期休暇初日。
アーカディア学園は、朝から慌ただしかった。大きな荷物を抱える者、馬車を待つ者、普段は静かな学園都市も、今日はどこか賑やかだ。
「じゃあなレオン!」
ガイウスが大きく手を振る。
「次会う頃にはもっと強くなってるから覚悟しとけよ!」
レオンが笑う。
「それはこっちの台詞だ」
「無理しすぎないでくださいね」
フィアナが静かに言う。
「わかってるって」
とは言いつつ、たぶん無理をする。
全員がそう思っていた。
テオドールも軽く眼鏡を押し上げる。
「休暇明けに鈍っていたら笑えんな」
「そっちこそ」
「あり得ん」
短いやり取り。
だが、以前より空気が柔らかい。
ノエルはいつも通り少し離れた場所にいた。
「ノエルも元気でね」
フィアナが声をかける。
「……ん」
小さく頷くだけ。
だが、それが彼女なりの返事だった。
そして、レティシアがルシアンを見る。
「じゃあ、休み明けにまた会いましょう」
「ええ」
「レオンのこと、休み明けもよろしくね」
ルシアンが微笑む。
「もちろんです」
レオンが苦笑した。
「なんか保護者みたいな会話やめろよ……」
「実際そんなものじゃない?」
「レティシアまで!?」
小さな笑いが起こる。
こうしてそれぞれが、それぞれの帰る場所へ向かっていった。
⸻
しばらくして、学園都市の外縁部。ルシアンは一人、歩いていた。
空は晴天、風も穏やか、絶好の旅日和だ。
(さて)
ルシアンは静かに目を細める。
(どうせなら少し寄り道しながら帰りますか)
長期休暇、表向きは帰省。
だが、ルシアンにはやることが山ほどある。
邪神教、欠片、魔族、世界の均衡。
裏で動かなければならない。
そんなことを考えていた時だった。
「――あら」
聞き慣れた声にルシアンが振り返る。
そこにいたのは、長い金髪を揺らす少女。
クラリス・リュクレール。
「偶然ね」
柔らかな笑み。
だが。
(……絶対偶然じゃないですね)
ルシアンは内心だけでそう呟いた。
クラリスが自然な動作で隣へ並ぶ。
「ルシアンも帰るんでしょ?」
「ええ」
「一緒に帰らない?」
あまりにも自然。
だが、タイミングが良すぎる。
おそらくかなり前から狙っていた。
もっとも、幼い頃からの付き合いだ。
ルシアンも、そのくらいは分かっている。
そしてクラリスも、ルシアンが気付いていることを理解していた。
それでも互いに何も言わない。
そういう距離感だった。
ルシアンは少しだけ考え。
すぐに頷く。
「ええ。いいですよ」
クラリスの表情が、ほんの少し柔らかくなる。
「よかった」
「断られたらどうしようかと思ったわ」
「そんなことはしませんよ」
「そう?」
「ええ」
並んで歩き出す二人。
アルケシア王国までは、それなりに距離がある。
だが、強者である彼らにとって、その程度は問題にならない。
⸻
街道を進む馬車、行き交う旅人。
休暇シーズンということもあり、道は普段より賑わっていた。
「武闘大会、すごかったわね」
クラリスがふと呟く。
「特に決勝」
「そうですね」
「アレス先輩、本当に別格だった」
ルシアンが静かに頷く。
「現時点では、学園最強でしょう」
クラリスが小さく笑う。
「“現時点では”なのね」
「事実ですから」
その返答に、クラリスは少しだけ目を細めた。
「……ルシアンって相変わらず、遠くを見てる感じがするわ」
ルシアンは少しだけ苦笑する。
「昔からでしょう」
「そうね」
クラリスも笑った。
幼い頃から、ルシアンはどこか違った。
同じ景色を見ているようで、もっと先を見ている。
そんな感覚がずっとあった。
だが、不思議と嫌ではない。
むしろ、だからこそ目を離せなかった。
⸻
休憩のため立ち寄った小さな町。
二人は店先のテラス席へ座っていた。
クラリスがメニューを見ながら言う。
「ルシアンって実は甘いもの好きよね」
「……否定はしません」
「ふふ」
クラリスが少し楽しそうに笑う。
「昔、お茶会のお菓子すごい勢いで食べてたものね」
「クラリスが薦めてきたんでしょう」
「だって可愛かったんだもの」
「やめてください」
ルシアンが少し嫌そうな顔をする。
クラリスはくすくす笑った。
しばらくして運ばれてくる焼き菓子。
クラリスが一口食べる。
「……美味しい」
少し嬉しそうだった。
そんな様子を見ながら、ルシアンは思う。
(案外、こういう時間も悪くありませんね)
争いも、陰謀も、世界の均衡もないただ穏やかな時間。
それはルシアンにとって、あまりにも遠いものだった。
⸻
夕日が沈み始める。
並んで歩く二人の影が長く伸びる。
アルケシア王国は、もう近い。
その先には、それぞれの帰る場所が待っていた。




