第193話
第193話
バルセリオン王国の屋敷を出ると、外はすでに夕暮れに染まり始めていた。
王族区画の道は静かだった。大会期間中で学園都市全体は賑わっているはずなのに、この場所だけは別の世界のように落ち着いている。
整えられた庭園。白石の道。遠くに見える学園の尖塔。
レオンはしばらく無言で歩いていた。
隣にはルシアン。その少し後ろに、テオドール、ガイウス、ノエル。レティシアとシャロンは屋敷に残っていた。
「……いい人だよな、陛下」
ぽつりと、レオンが言った。
ルシアンは前を向いたまま答える。
「ええ。気さくですが、非常に聡い方です」
「だよな」
レオンは小さく笑う。
「昔から、あんな感じだった。偉い人なのに、妙に話しやすいんだ。それでいて、見るところは見ている」
テオドールが静かに言う。
「ただの親しみやすい王ではないな」
「……あの人、レオンのこと結構見てたね」
ノエルが短く呟く。
「ああ」
レオンは頷いた。
「期待されてるんだと思う」
その言葉は、どこか重かった。
勇者。
まだ周囲の誰もが強く意識しているわけではない。だが、確実にその名は人の間に広がり始めている。
そして、シリウス・バルセリオンはそれを理解していた。
「……明日」
レオンが足を止めた。
「アレス先輩と戦うんだよな」
全員の空気が変わった。
ガイウスが頭をかく。
「いやー……正直、あれはやべぇよな」
軽く言おうとしているが、声にいつもの勢いはない。
「ロイド先輩、一撃だったもんな」
テオドールも表情を変えずに言う。
「防御特化のロイド先輩を一撃で崩した。あの時点で、まともな勝負にならない可能性が高い」
「言い方」
ノエルがぼそりと突っ込む。
「事実だ」
「……まあ、そうだけど」
レオンは苦笑した。
「はっきり言うなぁ」
ルシアンは、そこで足を止めた。
夕暮れの光が、その横顔を照らす。
「レオン」
静かな声。
「正直に言います」
レオンは息を呑む。
「明日の戦いは、これまでで最も勝ち目が薄いでしょう」
言葉は鋭い。だが、嘘はない。
「遠征学習の時のオーガ。個人任務で戦った魔族。そして一年生大会でのグランヴェル」
一つずつ、これまでの壁を挙げる。
「それらと比べても、アレス・グランツヴァルトは別格です」
レオンの拳がわずかに握られる。
「文句なしに、学園最強でしょう」
沈黙。
ガイウスも、テオドールも、ノエルも否定しない。
アレスを見た者なら分かる。あれは強い。ただ強いのではない。学生でありながら逸脱した強さ。
レオンが小さく息を吐く。
「……だよな」
声は弱くない。だが、重い。
「勝てるって言われる方が、たぶん嘘っぽい」
「ええ」
ルシアンは頷く。
「ですから、勝つための策を練るよりも、まずはあなたの全力を出し切ることを考えるべきです」
「全力を……」
「はい」
ルシアンはレオンを真っ直ぐに見る。
「逆に言えば、相手はアレスです。あなたが全力全開で向かっていっても、彼を殺してしまう可能性は限りなく低い」
ガイウスが苦笑する。
「言い方はすげぇけど、確かにそうだな」
「遠慮する必要はないということだ」
テオドールが続ける。
ノエルも頷く。
「……全部ぶつければいい」
レオンはしばらく黙っていた。そして、空を見上げる。
淡い光の下位精霊が、レオンの肩口でふわりと揺れた。言葉はない。ただ、心配そうに寄り添っている。
「全部か……」
レオンは呟いた。
「勇者の力も、精霊の力も、アストレイア様の加護も」
「ええ」
ルシアンは静かに言う。
「出し惜しみは不要です」
一拍。
「当たって砕けろ、です」
その言葉に、レオンが少し目を丸くする。
「ルシアンがそういうこと言うの、珍しいな」
「他に適切な言葉がありません」
ルシアンは淡々と返す。
「明日は、あなたの限界をぶつけるしかありません」
レオンはしばらくルシアンを見ていた。
そして、ゆっくり笑った。
「……そっか」
短く息を吐く。
「なら、そうする」
迷いが消えたわけではない。恐怖がなくなったわけでもない。だが、それでも足は前を向いている。
「勝てるかどうかは分からない。でも、逃げるつもりはない」
ルシアンは頷いた。
「それで十分です」
ガイウスが拳を握る。
「ぶつかってこいよ、レオン。あのアレス相手にどこまでやれるか、俺も見たい」
テオドールも言う。
「勝敗はともかく、明日の戦いはお前にとって大きな意味を持つはずだ」
ノエルは少しだけ視線を逸らす。
「……無茶して倒れても、まあ、いつものことだし」
「心配してくれてるのか?」
「してない」
即答。
レオンは笑った。
「ありがとな、みんな」
夕暮れの道を、再び歩き出す。
明日の相手は、学園最強。絶対王者アレス・グランツヴァルト。
勝ち目は薄い。それでも、挑む。なぜなら、ここまで来たから。
何度も壁にぶつかり、何度も倒れかけ、それでも立ち上がってきたから。
ルシアンは、その横顔を見ていた。
(……これでいい)
勝利だけが成長ではない。
届かないものに手を伸ばした時、人は初めて自分の限界を知る。
そして限界を知った者だけが、その先へ進める。
夜が訪れる。
学園都市の灯りが一つ、また一つと点っていく。
明日、準々決勝。
レオン対アレス。
その戦いが、始まる。
翌朝。
闘技場には、初日以上の人が集まっていた。
休養日を挟み、大会は準々決勝へ進む。
観客席はざわめき、空気は熱を帯びている。
だが、その熱の中心にあるのは、ただ一つ。
勇者レオンが、絶対王者アレスに挑む。
その事実だった。
レオンは控え室の奥で、静かに剣を握っていた。
肩口には、小さな光。精霊が、そっと微笑んでいる。
「……行くか」
レオンは前を向く。
その目に、もう迷いはなかった。




