第145話
いつもよりちょっと長いです
第145話
魔族が踏み込んだ。
速い。
人型でありながら、動きは魔物よりも遥かに洗練されている。重心移動に無駄がない。剣を握る手にも迷いがなく、一歩目から明確な殺意が乗っていた。
レオンが前に出る。
剣を構え、真正面から迎え撃つ。
金属音。
剣と剣がぶつかり、重い衝撃が腕へ伝わる。
「っ……!」
重い。
遠征で戦った黒皮のオーガとは違う圧だった。あちらは圧倒的な膂力で押してきた。だが、目の前の魔族は違う。技術がある。力だけではない。踏み込み、間合い、剣筋、そのどれもが洗練されていた。
魔族が口の端を上げる。
「人間にしては、悪くない」
次の一撃。
横薙ぎ。
レオンが受ける。だが、その直後に下からすくい上げるような斬撃が来る。レオンはとっさに後ろへ飛ぶ。頬を浅く裂かれる。
血が滲む。
魔族は止まらない。
距離を潰す。
速い。
レオンが迎え撃とうとしたその瞬間、足元に小さな風が走った。ほんのわずかに身体が前へ押し出される。半歩早く踏み込めた。
その半歩で、剣が間に合う。
再び衝突。
ルシアンの補助だった。
ルシアンは前へ出ない。あくまで一歩後ろ。レオンの死角に入り込まず、だが戦場全体を見ている位置。
「レオン」
静かな声。
「受けすぎです」
レオンが奥歯を噛む。
「分かってる!」
「なら、もっと横を使ってください」
魔族が再び踏み込む。
今度は真上からの振り下ろし。
レオンは真正面で受けず、半歩ずれて軌道を流す。重い一撃が地面を叩く。土が跳ねる。その隙を狙ってレオンが斬り返す。
浅い。
だが入った。
魔族の眉がわずかに動く。
「ほう」
レオンが息を吐く。
(通る)
黒皮のオーガほど硬くはない。ならば技術で崩せる。
魔族が連撃に移る。
速い。
一撃、二撃、三撃。
レオンは捌く。だが、まだ甘い。どうしても最後に押される。遠征の時よりは明らかに良くなっている。だが、まだ足りない。
ルシアンが静かに見ていた。
(悪くありません)
踏み込みは良くなっている。剣の振りも以前よりは鋭い。遠征からの数日、毎晩続けた稽古の成果は確かに出ていた。だが、目の前の相手はSランク相当の上位魔族。小手先の改善だけで覆せる差ではない。
魔族が踏み込みのリズムを変える。
レオンの反応がわずかに遅れる。
剣閃。
脇腹を狙う一撃。
その瞬間、レオンの身体が自然に半身になる。まるで最初からその軌道を知っていたかのような回避。刃は浅く掠めるだけで終わる。
ルシアンの目が細くなる。
(……今のは)
偶然ではない。
レオンから、ごくわずかな気配を感じた。
神性に似た――極めて微弱な気配。
だが確かに存在した。
(……神の気配)
まだ断定はできない。だが、違和感は確実だった。
レオンは気付いていない。
「……今の、危なかったな」
息を吐きながら言う。
魔族が笑う。
「勘だけはいいらしい」
レオンが剣を握り直す。
再び戦闘。
レオンの動きが少しずつ良くなっていく。
だが――魔族もまだ余裕がある。
連撃。
押し込み。
レオンが防ぐ。
互角。
だが決定打にならない。
魔族の剣筋は鋭く、それでいていやらしい。わざと浅い角度から切り込み、レオンに受けさせたところを次の一撃で崩しにくる。実戦を積んだ者の戦い方だった。
レオンは押されながらも、必死に食らいつく。
遠征の時とは違う。
今回は一対一に近い。だからこそ、自分がどこで劣っているのかが分かる。反応が遅い。間合いの詰め方が甘い。読み合いでも負けている。
(でも……)
剣を受ける。
衝撃で腕が痺れる。
(届かない相手じゃない)
レオンが踏み込む。
剣を振るう。
魔族が受ける。
そのまま押し込み、肩をぶつけるように間合いへ潜る。遠征の時より滑らかだ。魔族の口元の笑みが少しだけ薄れる。
レオンの剣が下から跳ね上がる。
魔族はかろうじて防ぐ。だが体勢が崩れる。
そこへ追撃。
もう一歩。
だが、その踏み込みがわずかに浅い。
魔族が立て直す。
剣が閃く。
レオンの肩へ入る軌道。
その瞬間、ルシアンの指先がわずかに動く。地面の土がほんの少し盛り上がり、レオンの足を支える。踏み込みが半歩伸びる。
レオンの身体が前へ出る。
魔族の斬撃が浅く逸れる。
レオンの剣が魔族の肩口を裂いた。
「っ――」
初めて魔族の表情が歪む。
レオンが息を荒くしながら下がる。
ルシアンが静かに言う。
「今のです」
「踏み込みを止めないでください」
レオンが短く返す。
「ああ」
戦場の空気が張り詰める。
少し離れた場所では、アルベインたちも別の魔族と交戦していた。あちらも楽ではない。剣士が前を支え、弓使いの女が矢を飛ばし、回復役が援護し、アルベインの魔法が戦線を保っている。だが、こちらへ割ける余裕はない。
つまり――この魔族は、レオンとルシアンで抑えるしかない。
レオンが深く息を吸う。
吐く。
遠征の時の感覚を思い出す。限界を越えたあの瞬間。身体の奥から力が湧き上がった、あの光。
(出せ)
だが、焦るほど掴めない。
魔族は待たない。
再び来る。
今度は鋭い連撃。レオンが捌く。だが四撃目で押し込まれる。五撃目が頬を裂く。六撃目を受けた瞬間、腕が痺れる。
「レオン」
ルシアンの声。
「力に頼ろうとしすぎです」
レオンが下がりながら言い返す。
「頼ろうとしてるわけじゃない!」
「なら、もっと落ち着いてください」
静かな声だった。
「相手を見て」
「自分を見失わないで」
魔族が笑う。
「人間同士で余裕だな」
地を蹴る。
剣が閃く。
レオンは受けない。横へ流す。返す刀で斬る。魔族が避ける。さらに追う。剣と剣が噛み合う。押し合い。レオンは踏み込む。魔族が押し返す。拮抗。
その時、レオンの中で何かが噛み合った。
恐怖ではない。
焦りでもない。
ただ、目の前の相手を倒すために必要な一手だけを考える。余計な雑念が消えていく。音が遠のく。視界が澄む。
魔族の動きが、少しだけ遅く見えた。
「……っ」
レオンの身体から、淡い光が漏れる。
魔力が変わる。
ルシアンの目が細くなる。
(来ましたか)
勇者の力。
まだ不安定だ。だが、遠征の時のような一瞬の爆発ではない。今回は、意識の中で掴みかけている。
レオンが踏み込む。
速い。
魔族の目が見開かれる。
「何……?」
レオンの剣が、先ほどよりも一段深く食い込む。魔族が飛び退く。傷口から血が流れる。
完全ではない。
だが――確かに出た。
レオン自身も分かっていた。
「……これか」
魔族が表情を変える。
「面倒な」
踏み込む。
だが、さっきまでとは違う。レオンの身体は軽い。剣も速い。踏み込みに迷いがない。勇者の身体強化。その発現はまだ弱いが、十分に戦局を変える。
ルシアンはあくまで補助に徹する。
危険な一撃だけを逸らす。
致命傷になる軌道だけを殺す。
前に出ない。
あくまでレオンに戦わせる。
(掴んでください)
心の中でそう呟く。
レオンは戦っている。
目の前の敵と、自分自身の限界と。
魔族が大きく振りかぶる。
レオンは真正面から行かない。半歩ずらす。流す。潜る。剣を下から振り上げる。魔族が受ける。だが遅い。頬が裂ける。
レオンが続ける。
連撃。
以前よりも明らかに鋭い。成長がその場で起きていた。
魔族が舌打ちする。
「人間風情が……!」
魔力が膨れ上がる。剣に黒い光が宿る。強引に押し切るつもりだった。
危険な一撃。
ルシアンが初めて一歩前に出る。
風魔法。
剣筋が僅かに逸れる。
レオンがその隙に懐へ入る。
迷わない。
踏み込みは深く、速い。
一閃。
魔族の胴を深く裂いた。
血が舞う。
魔族がよろめく。
レオンが息を荒くしながら剣を構える。
「まだだ」
魔族が睨み返す。
だが、もう最初の余裕はなかった。
攻めきれない。
レオンを押し切れない。
しかも後ろにいるルシアンが、必要な瞬間だけ確実に介入してくる。そのせいで流れを掴みきれない。
魔族の苛立ちが増していく。
「……鬱陶しい」
視線が、再びルシアンへ向く。
「貴様が……!」
次の瞬間――
魔族がルシアンへ踏み込んだ。
今度は明確な殺意を向けて。
レオンよりも速い斬撃。
強引に首を刈り取る軌道。
だが――
ルシアンは一歩だけ動いた。
最小限の動き。
剣が空を切る。
同時に、軽く手首を払う。
魔族の体勢が崩れる。
あまりに自然だった。
まるで大人が子どもの腕をいなすような気軽さで、Sランク相当の魔族の一撃が無力化された。
ルシアンは追撃しない。
ただ静かに立っている。
魔族が距離を取る。
「……何だ」
魔族の眉が歪む。
今の動き。
見えた。
だが理解できなかった。
圧倒されたわけではない。
それなのに、本能が告げていた。
――この男には触れるな。
「貴様……何なんだ」
声に、わずかな恐怖が混じる。
ルシアンは静かに言う。
「あなたの相手はレオンです」
それだけだった。
余裕も、威圧も見せない。ただ事実だけを告げる。その淡々とした声音が、かえって不気味だった。
魔族の苛立ちは、もはや焦りに変わっていた。
レオンが前に出る。
「続きだ」
再び戦闘。
レオンの動きがさらに鋭くなる。
そして――レオンの身体から漏れる光が、先ほどよりも少しだけ安定する。
ルシアンは静かに見守る。
レオンは戦っている。
限界を超えようとしている。
勇者として――その片鱗を、確かに見せ始めていた。




