第131話
第131話
夜は深く、更けていた。
フェルディア大森林は静まり返っている。昼間の戦闘の余韻がまだ空気に残っているようで、風すらも重く感じられた。
焚き火の火が小さく揺れる。
レオンは横になったまま動かない。ガイウスも同様に深く眠っている。ノエル、テオドールも疲労の色が濃く、完全に眠りに落ちていた。フィアナも意識は戻っていない。
フリードとミレイが少し離れた場所で見張りをしている。
ルシアンは目を閉じて横になっていた。
だが――眠ってはいなかった。
ゆっくりと目を開ける。静かに体を起こす。
誰も起こさないように慎重に立ち上がる。
「……少し、トイレに」
小声で告げる。
フリードがちらりと視線を向ける。
「遠くに行くなよ」
「はい」
ルシアンは静かに森の中へ入っていく。
焚き火の光が見えなくなるまで歩く。さらに少し奥へ進む。
そして――
「……ノクシェル」
小さく呟く。
ルシアンの身体が揺らぐ。もう一人のルシアンが現れる。
分離。
九対一。
一割のルシアンが野営地へ戻る。
九割のルシアンが森の奥へ進む。
静かに。
だが確実に。
しばらく進んだところで、ルシアンが足を止める。
闇の中から声が響く。
「流石だねぇ」
ゆっくりと姿が現れる。
長身の男。黒い外套。赤い瞳。
不気味な笑みを浮かべていた。
「久しぶりだね。俺のこと覚えてるかな?」
ルシアンの視線が鋭くなる。
「……忘れるはずがない」
低い声で答える。
「お前に故郷を滅ぼされたのだから」
男――ゼルキスが楽しそうに笑う。
「アッハッハ。そうだよねぇ」
肩をすくめる。
「いやぁ、あの時は楽しかったなぁ。必死に逃げる人間たちってさ、見てて飽きないんだよね」
ルシアンの魔力がわずかに揺れる。
だが、すぐに抑える。
「……何しにきた」
ゼルキスが軽く首を傾げる。
「前の時に占いの話したの覚えてるかな?」
ルシアンは無言。
「また占いでね。この辺りに来るといいことがあるって言われてさ」
ゼルキスが笑う。
「来てみれば君がいるじゃないか」
赤い瞳が楽しそうに細まる。
「嬉しくなってちょっとオーガをけしかけちゃったよ」
ルシアンの視線が鋭くなる。
「……やはりお前か」
「うん。三体くらいならちょうどいいかなって」
軽い口調だった。
「それにしても」
ゼルキスが興味深そうにルシアンを見る。
「いまは勇者や聖女と一緒に行動してるんだね」
少し笑う。
「面白い組み合わせだ」
さらに続ける。
「それに……なんだか不思議な力を感じるし」
目を細める。
「前よりも強くなってるね。君」
ルシアンは何も言わない。
ゼルキスが楽しそうに笑う。
「あの時生かしておいてよかったよ」
少し前に出る。
「どう?これから少し遊ばない?」
空気が張り詰める。
ゼルキスの魔力がわずかに溢れる。
ルシアンは静かに答える。
「やめておく」
短く言う。
「今の俺じゃお前に勝てそうにない」
ゼルキスが目を細める。
「へぇ」
少し意外そうだった。
「正直だね」
笑う。
「でも君なら逃げずに戦うと思ったんだけどなぁ」
「今は仲間がいる」
ルシアンが静かに言う。
「無駄な戦いはしない」
ゼルキスが少しだけ嬉しそうに笑う。
「いいねぇ。そういうの」
肩をすくめる。
「まぁいいや。君とはいずれまた遊べるだろうし」
背を向ける。
「今回のところは失礼するよ」
「そうしてくれ」
ゼルキスが止まる。
「あーそうだ!」
振り返る。
「忘れてた」
笑う。
「まだ君の名前を聞いていないんだよ」
ゆっくり言う。
「改めて、俺は魔族四天王の一人、ゼルキス」
赤い瞳が光る。
「君は?」
ルシアンがわずかに沈黙する。
そして――
「……ルシアン」
ゼルキスが嬉しそうに笑う。
「そっかぁ!ルシアンって言うんだね!」
楽しそうに続ける。
「これからよろしくルシアン」
笑みが深くなる。
「俺の退屈を壊してくれよ」
次の瞬間――
ゼルキスの姿が闇に溶けるように消えた。
静寂が戻る。
ルシアンはしばらく動かなかった。
拳をわずかに握る。
だがすぐに表情を戻す。
静かに野営地へ戻る。
もう一人の自分と合流し、横になる。
焚き火の火が静かに揺れていた。
ルシアンは目を閉じる。
だが――眠りは浅かった。




